まさおレポート

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永井荷風「雪の日」読書 メモ追記

2016-11-24 | 小説 音楽

2016/11/24 追記

今朝は11月に54年ぶりに雪が降った。54年前というと大阪で14か15、中学2年か3年のころだ。思い出があるか記憶を辿ってみたが特に思い当たることはなかった。中学生に雪の感慨など求めることが無茶な話だ。

テラスからバラにかけて蜘蛛が巣を張っていて随分丈夫なものだと感心していたら今朝の雪でとうとう切れてなくなっていた。雪の重みでバラがしなり、そのせいで糸が切れたのだろう。

今朝ツツジに積もった雪を見ていると

降る雪や 明治は遠く なりにけり が盛んに頭を巡った。明治を知る由もないが「回想は歓喜と愁歎との両面を持つてゐる謎の女神であらう。」を納得した。

 

以下2010-01-07 初稿

「雪の日」 永井荷風 より。
『わたくしは雪が降り初めると、今だに明治時代、電車も自動車もなかつた頃の東京の町を思起すのである。東京の町に降る雪には、日本の中でも他処に見られぬ固有のものがあつた。されば言ふまでもなく、巴里や倫敦の町に降る雪とは全くちがつた趣があつた。巴里の町にふる雪はプツチニイがボヱームの曲を思出させる。』

今年の新年はバリで迎えた。言うまでもなく真夏の正月です。毎日ビーチやプールで憩えるので、もとより自ら求めた環境でもあり、楽しくないはずは無いのだが、やはり無い物ねだりとでもいうのか、身体の感覚が記憶しているというのか、今頃は無性に雪景色が見たくなります。

『焼海苔に銚子を運んだ後、おかみさんはお寒いぢや御在ませんかと親し気な調子で、置火燵を持出してくれた。親切で、いや味がなく、機転のきいてゐる、かういふ接待ぶりも其頃にはさして珍しいと云ふほどの事でもなかつたのであるが、今日これを回想して見ると、市街の光景と共に、かゝる人情、かゝる風俗も再び見難く、再び遇ひがたきものである。物一たび去れば遂にかへつては来ない。短夜の夢ばかりではない。』

寒い日の熱燗 これぞ日本人に生まれて良かったと思うことの一つだが。焼海苔に銚子・・・思わず生唾が。物一たび去れば遂にかへつては来ない。短夜の夢ばかりではない。・・・その通りと思うこの頃です。

『寒い雪もよひの空は、今になつても、毎年冬になれば折々わたくしが寐てゐる部屋の硝子窓を灰色にくもらせる事がある。すると、忽あの鳩はどうしたらう。あの鳩はむかしと同じやうに、今頃はあの古庭の苔の上を歩いてゐるかも知れない………と月日の隔てを忘れて、その日のことがあり/\と思返されてくる。鳩が来たから雪がふりませうと言はれた母の声までが、どこからともなく、かすかに聞えてくるやうな気がしてくる。が回想は現実の身を夢の世界につれて行き、渡ることのできない彼岸を望む時の絶望と悔恨との淵に人の身を投込む………。回想は歓喜と愁歎との両面を持つてゐる謎の女神であらう。』

回想は歓喜と愁歎との両面を持つてゐる謎の女神であらう。・・・なるほど。

『巷に雨のふるやうに
わが心にも雨のふる

といふ名高いヴヱルレーヌの詩に傚つて、若しもわたくしが其国の言葉の操り方を知つてゐたなら、

巷に雪のつもるやう
憂ひはつもるわが胸に

或はまた

巷に雪の消ゆるやう
思出は消ゆ痕もなく
………………………

とでも吟じたことであらう。』

さすが永井荷風。

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