まさおレポート

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シュピースまでのバリの歴史

2020-09-29 | バリ島 絵画・紋様・アート・クリス・美術館・ワルター シュピース

 

 

シュピースまでのバリの歴史
1、700、000 B.C. ジャワ原人
250000B.C. ホモ エレクトスがバリに 洞穴や木の上に住む。毛皮や木を切る。
40000B.C. ホモサピエンスがバリに
20000B.C. スラウェシ イリアンに洞穴画
12000B.C. 氷河期の終わり 西からの陸続きの移住は最終期に
4000B.C. 金属使用の時代がタイの北部で始まる
2000-3000B.C. Malaysia、 Philippines、  Oceaniaからオーストロネシア語族がバリに移動
バリ島西部のCekikでこの時代の石器が発見されている。
1000B.C. インド、中国との交易がはじまる
500B.C. DONG SON文化の影響を受け青銅の製造がバリとジャワで始まる。中国と香辛料の交易がはじまる。
200B.C. ヒンドゥ、ブディズムの王国が東南アジアで起こる。
100B.C. DONG SON文化の影響を受けた銅鼓が発見される。
400AD ジャワでスリビジャヤ SRIVIJAYA HINDU 帝国が起こリ、バリはジャワの支配を受ける
450AD カリマンタンに文字の書かれた遺物
778AD バリのストーパ (塔)にサンスクリット文字が見られる。 ゴアガジャ GOA GAJAHやタンパクシリングTampak Siringがおそらくこのころに設立。
800AD ジャワ島の仏教遺跡ボルブドールがこのころに設立
900AD ベサキPURA BESAKIH ティルタPURA TIRTA TEMPULが建てられる。この100年の間に仏教からヒンドゥーに劇的に変わった。
989年 ワルマデア WARMADEA王朝の始まり バリの王子ウダヤナ UDAYANAと東JAWAの王女が結婚する。バリのJAWA化が加速する。
11世紀 バリ島の王朝は東ジャワのクディリ王国との繋がりを強めるようになる。スバック(水利システム 世界遺産)など21世紀初頭でも続いている伝統的な文化・慣習の起源は少なくともこの頃にまで遡ることができる。カヤンガン・ティガや家寺の建立は、ジャワから渡ったヒンドゥー僧クトゥランが広めた慣行とされている。
カヤンガン・ティガはプラ・デサ(Pura Desa)デサを創始した祖先をまつる寺院。プラ・プセー(Pura Puseh)デサの集会所を兼ねる寺院。プラ・ダルム(Pura Dalem)墓地を併設し、まだ浄化されていない死霊をまつる寺院。からなる。
1248年 ジャワのシンガサリ王国クルタナガラ王の軍隊は東JAWAのクディリ王国を滅ぼし、その延長線上でバリは征服される。
1256年 バリを支配していたジャワのシンガサリ王国がジャワの新王国マジャパヒトによって滅ぼされ、バリは隷属から脱する。
1342年 バリはジャワのマジャパヒト王国に侵攻され、BEDA ULUがGAJAH MAJAPAHIT王朝のMADAに敗れる。ワルマデワ王朝は滅びる。マジャパヒト王国は、クディリ王国末裔の第四子スリ・クトゥット・クレスナ・クパキサンを遣わしゲルゲル王国を建国。
1500年 ジャワのマジャパイト王朝がイスラムに滅ぼされる。数千人の王国の廷臣、王妃、プリースト、職人、兵士がバリに逃げ、バリ文化に多大な影響を与える。
影絵芝居ワヤンや音楽、彫刻にジャワの影響を受けた文化が花開いた。ジャワから渡来したヒンドゥーの高僧ダン・ヒャン・ニラルタがタナロット寺院やウルワツ寺院など数々の寺院を建立する。
1597年のオランダ商船乗組員がバリ島に最初に上陸しバリのゲルゲルに住む。
1651年 ゲルゲル王がクルンクン(スマラプラ)に移動し、権力基盤が揺らぐ。
17C-18C クルンクン王国のほかに7つの国(タバナン王国、バドゥン王国、ギアニャール王国、カランガスム王国、バンリ王国、ムンクウィ王国)が起こる
1800年代 コロニアル建築がシンガラジャSINGARAJAから東へ伝搬する。
1846年 オランダ軍がバリに バリ島サヌール沖の難破船引き上げ要請に乗じてバリ サヌールに軍隊を上陸させ、ブレレンとジュンブラナを制圧する。
1860年 ウォーレス線で有名なウォーレスがバリ島に上陸。
1894年 オランダはロンボク戦争でロンボク国とカランガスム王国を獲得。
1906年 オランダ軍はサヌールに上陸しバリを攻撃。ププタンで抵抗する。
1908年 クルンクン王国を滅ぼし、全土を植民地とする。ププタンでオランダは国際的な非難を浴び現地伝統文化を保全する方針を打ち出す。
1917年 バリ島南部大地震による死者・負傷者はそれぞれ1000名を上回る。
1918年 世界的に流行したインフルエンザがバリに
1919年 南部バリでネズミが大量発生し穀物の収穫量が激減した。
こうした災難をバリの人々は神々に対する儀礼をおざなりにしていたことに対する神の怒りとして捉え清浄化のために、バロンやサンヒャン・ドゥダリが盛んに行われるようになる。
1920年代 バリへの旅行熱が起きる。シンガラジャーデンパサール間の道路が完成する。


ラマヤナ物語
ラマヤナ物語は、マハバラタ物語と並びインドの2大叙事詩。ラーマ王子と引き離されたシータ姫の悲しみがモチーフに。


1990年当時のウブド王宮 定期公演スケジュール。
月曜日:レゴン・クラトン/サダ・ブダヤ歌舞団/料金:3、500ルピア
火曜日:ラーマヤナ舞踊劇(以前は、ラジャパラ舞踊劇)/ビナ・ルマジャ歌舞団/料金:3、500ルピア
水曜日:スンダ・ウパスンダ舞踊劇/パンチャ・アルタ舞踊団/料金:3、500ルピア
木曜日:ガボール民族歌劇/パンチャ・アルタ舞踊団/料金:3、500ルピア
金曜日:バロン&クリスダンス/サダ・ブダヤ歌舞団/料金:3、500ルピア
土曜日:レゴン・クラトン/ビナ・ルマジャ歌舞団/料金:3、500ルピア


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