まさおレポート

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「アインシュタインと原爆」AIの未来に戦慄が走った

2024-02-26 | AIの先にあるもの

人は他国より優位に立とう、他国よりビジネスを成功させようとの思いと倫理的抑制力を比べた場合に絶対に倫理的抑制力が勝ることは無い。この映画は終始このことを訴えている。

何故か?人に科学の未来を正確に理解できる能力が与えられていないことか、未来に対する倫理的抑制力を真剣に考えることは自分の仕事では無いと多くの人がすましているからか。アインシュタインも自分は「E=MC2を発見しただけだ」とまさか原爆を広島長崎に落とすとは想像もしなかったと回顧している。
 
この映画はAIの未来に対しても色々と考えさせられる。取り返しのつかないことになった後、「AIの未来が地球を救うと信じていただけだ」と天才ビジネスマンが回顧するような事態だけは避けたい。
 
3万年前と言われる認知革命以来ここまできた。深刻に倫理と科学を相剋させる事態には無かったからだ。宗教と科学も例えば地動説や進化論はここまで深刻な対立を生まなかったのだろう。したがってこの問題に深刻な提起を行った大きな影響力を与えた哲学者はいない。だからユヴァル・ノア・ハラリは貴重な人だ、宗教家や哲学者よりも人類の未来に深い影響を与えている。
 
弱者であったホモサピエンスが地球上の絶対勝者になった今、ようやく科学と人類の未来に対して認知を微かに始めたばかりだ。今のままでは認知を確かなものにする頃に先に人類は滅んでいるのではないか、あるいは偉大な存在が我々の認知を進めてくれるだろうか。
 
事態は深刻だが毎日のビジネスや政争に明け暮れる大多数はそんなことはさっさと頭の隅に追いやって目先の勝者を目指して全力を尽くす。何も変わらないように思える。再認知革命は起きるのだろうか、それはどうやって。
 
宗教界はこのテーマにどのような提言ができるのだろうか。答えを未だ用意していない、無力に見受けられる。宗教界からも傑物がお出ましになってもいい頃ではないか。 文学ではドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」で大きな仕事をしているがそれに続くのが出ていない。
 
「幼年期の終わり」もすごいがあって欲しくない未来だ。
 

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