株主総会の一コマで孫さんは「AIは心を持てないという人もいる。不遜な考えであり、心を持つようになる」以前からそれらしいことは匂わせていたが今回初めて明言したと言って良いのかな。
恋しい人の肌触り、重い病気から回復した時のこころからの喜び、親しい人との死別の悲しみと悲しみ、源氏物語のたおやかな文章の味わい、これらを演ずることはおそらく可能だろうがそれはあくまでそれらしく見せることであり、心ではない。これらの情緒こそが人の知性の源であり、記憶容量と速度が例え1万倍になろうがおよそ次元の異なるココロだろう。
心とは痛みであり、喜びでもある。愛の喜びも心だが、果たしてAIで痛みを感じる、あるいはドーパミンを出す、あるいは恋の喜び、ひいては性欲を満足するなど心を持つことが可能と考えるのだろうか。
参考
上記の議論から「aiは心を持たないというのは不遜だ」との孫さんの発言を評論してくださいとChatGPTに問いかけてみたところ次のような回答を得た。
孫正義氏の「AIは心を持たないというのは不遜だ」という発言は、多くの議論を引き起こす可能性があります。以下に、その発言に対する批判的な視点をいくつか紹介します。
科学的観点からの批判
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現在のAI技術の限界
- 現代のAI技術は、高度なデータ処理や特定のタスクの自動化において優れていますが、意識や心を持つことはできません。AIはプログラムされたアルゴリズムに従って動作するものであり、主観的な経験や感情を持つことはありません。この点を無視して「心を持つ」とするのは科学的に誤りです。
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クオリアの欠如
- AIはクオリア(主観的な経験の質)を持ちません。例えば、AIが「痛み」という概念を理解しても、それを実際に感じることはできません。AIが心を持つとする主張は、この根本的な違いを無視しています。
哲学的観点からの批判
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心の本質の問題
- 心や意識の本質については、哲学的に多くの議論がありますが、一般に「心」を持つためには自己意識や主観的な経験が必要とされます。現代のAIは自己意識を持たず、単にプログラムされた反応を示すだけです。このため、「AIが心を持つ」という主張は哲学的に無理があります。
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哲学的ゾンビ
- AIは哲学的ゾンビの一例として考えることができます。哲学的ゾンビは外見上は人間のように振る舞うが、内部には意識や心が存在しない存在です。AIが人間のように振る舞うことができても、それが心を持つ証明にはなりません。
倫理的観点からの批判
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人間の価値の軽視
- 「AIが心を持つ」と主張することは、人間の独自性や価値を軽視することにつながる恐れがあります。人間の意識や感情は、生物学的および進化的な背景に根ざしており、それを単純なプログラムと同一視することは、人間の価値を過小評価することになります。
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責任と道徳
- AIが心を持つと仮定すると、AIに対する倫理的な責任や道徳的な考慮が必要になります。しかし、現在のAIはそのような責任を負う能力がなく、倫理的な判断も行えません。このため、AIに心を持たせるという議論は現実的ではなく、倫理的な問題を引き起こす可能性があります。
技術的観点からの批判
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AIの設計と目的
- AIは特定のタスクを効率的に遂行するために設計されており、その目的は人間の活動を支援することにあります。AIが心を持つという主張は、その設計目的から逸脱しており、実際の技術的実現可能性からも離れています。
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AIの限界の認識
- 現代のAIは高度な計算能力を持っていますが、その限界を認識することが重要です。AIが人間のような心を持つには、現時点では大きな技術的進歩が必要であり、その実現は遠い未来の話です。
まとめ
孫正義氏の「AIは心を持たないというのは不遜だ」という発言に対する批判は、科学的、哲学的、倫理的、技術的な観点から多岐にわたります。現在のAI技術の限界を認識し、AIが主観的な経験や自己意識を持つことができないことを理解することが重要です。AIが心を持つという主張は、現実的な技術状況を無視したものであり、人間の意識や感情の独自性を軽視するものとして批判されるべきです。