まさおレポート

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マチュピチュ紀行 5 遺跡の温泉に浸かる

2024-09-17 | 紀行 マチュピチュ・ボリビア・ペルー

 

花崗岩の石切場は、観光客の目が集まる有名な遺跡とは異なり、自然と人間の手が静かに交わった場所だ。石を切り出すための無骨な作業の跡が、この場所にはそのまま残っている。無造作に積み上げられたように見える岩の群れだがインカの人々は巨石を切り出し、それを使って壮大な建築物を築き上げた。

この石切場が持つ魅力は原初的な力にある。花崗岩がむき出しになっているその様子は、古代のインカの石工たちの存在を感じさせる。彼らはこの地で黙々と作業し、その手で巨大な石を切り出し、完璧な形に整えていた。時間も労力も惜しまずに、一つの石にかける情熱と集中力が、この場所の石たちに刻み込まれている。

この石切場には「未完の美」が感じられる。切り出されかけた石がそのまま放置され、自然と一体となって時を経ている。未完成だからこそ、その過程にこそ意味があるのだと思わせる。

花崗岩そのものの堅牢さとその冷たい輝きは、石工たちがどれほどの技術と忍耐を必要としたかを物語っている。切り出された石が今でもその場に残っていることは、自然の力が強大であり、尊重しながら共存しようとした人々の知恵を感じさせる。この花崗岩の石切場を自然と対話する場所として大切にしていたのかもしれない。

壮大な遺跡が自然と一体となって山肌に広がる姿が目に飛び込んでくる。眼前にそびえる鋭い峰がワイナピチュだ。「ワイナ」は若い、「マチュ」は老いたという意味があり、老いたマチュピチュを見守るように立つワイナピチュはこの地の生命と歴史を語り継いでいる。

ワイナピチュからの雨水は、石の樋を通じてマチュピチュの都市へと導かれていた。岩にしみ込んだ雨水は、高度差を利用して、自然の流れを制御しながらマチュピチュへ運ばれ、そこで生活の基盤を支えていた。これらの石の樋は、単なる水路としてだけでなく、神聖な儀式や祈りの場としても使われていた。水がこの地にとってどれほど重要な存在であったかが、この仕組みからもよくわかる。

緑豊かな段々畑と石の建造物が広がるマチュピチュの全景は、自然との絶妙な調和を感じさせる。段々畑は急な斜面に沿って巧みに築かれ、食糧の確保に貢献していた。インカの人々は、この険しい山々を生きるために、自然の力を最大限に利用しながら自らの生活空間を作り上げた。彼らが残した建築物は、単なる石の集合体ではなく、自然と人間の共生を象徴するものだ。

石でできた建物は、居住空間や宗教儀式の場として使われていた。それらは、時を経てもなお強固な姿を保ち、大地から掘り出された石は、その場で形を整えられ、ぴったりと組み合わされている。その精巧さは、どれほどの時間と労力がこの建設に費やされたかを想像させる。

険しい山々に囲まれたこの地に都市を築くという選択は、自然の中で生きるための絶え間ない努力と適応の結果だ。

マチュピチュの静けさの中で、ワイナピチュが鋭くそびえ立っている。遠くから見ると緑に覆われた山のようにも見えるが、その頂上に至るまでには、険しい石段が人々を迎え入れる。標高2800メートルのこの山を登るということは、自然と死生観との対話そのものである。登山者は、その険しい道を一歩一歩踏みしめながら、山頂へと挑む。眼下に広がる遺跡と、深い谷のコントラストが、自然の厳しさと壮大さを感じさせる。

ネルーダが「第四の歌」で表現した「力強い死」が、この場で実感できる。石段を登る途中、狭い隘路に立たされると、命の儚さや自然の巨大さに圧倒されるだろう。風が体を突き抜け、下を覗けば、奈落のような谷が広がる。風そのものが、死の招待状のように登山者を誘い込む。しかし抗いながら、人々は前へと進む。生と死の境界を感じながら、ワイナピチュの石段を上る瞬間こそ、命の本質を探る瞬間でもある。

ネルーダが詩で描いた「生と死をわかつ剣が峰」とはこのような険しい道のことだ。人々は死を感じながらも、生への執着を持って登り続ける。風が吹き荒れる狭い道を歩くたびに、自分の存在が自然に飲み込まれそうになる感覚に襲われる。同時にその恐怖の中には、生の力強さが息づいている。

ワイナピチュの頂上に立てば、その先には絶景が広がると言われている。だが、その美しさは、死と隣り合わせの道を乗り越えた者にしか味わえない特別なものだ。頂上から見下ろす景色は、人生そのものの象徴であり、そこに到達するためには、自然の厳しさや自らの限界と向き合わなければならない。残念ながら56歳のわたしは体力的に諦めざるを得なかった。

力強い死はいくどとなくわたしを誘った
   それは波のなかの眼に見えない塩のようだった
   ・・・わたしはいくどとなく立った
   生と死をわかつ剣が峰に 風の狭い隘路に
   農業と石の経帷子に
   最後の足音をのみこむ天なる虚無のふち
   眼もくらむ奈落へときりもみに落ちこむところ    ネルーダ 

マチュピチュの居住区全景は複雑に交錯する石造りの建物と階段、段々畑からなり「渾沌」の秩序を象徴している。見渡す限りの石造りの構造物は、無数の人々がこの地で暮らし、労働し、祈り、そして死んでいった証だ。ネルーダの言葉にあるように、「石の夜の中」に隠された無数の命の鼓動がこの場所で静かに脈打っている。

「千年も囚われた小鳥のような、忘れさられたむかしのひとの心臓」を、この石の都市に触れることで再び感じることができる。ネルーダの詩の中で語られる「ひとつの肉体、千の肉体」が、この石の街に今も重く存在感を放っている。

居住区を覆う重厚な石造りの家々は、そこに住んでいた人々の営みを映し出すかのようだ。彼らはこの厳しい自然環境の中で生き、畑を耕し、家を築き、家族を守ってきた。彼らの足跡が、この石畳の道や段々畑に深く刻まれている。今は無人となったこの遺跡も、かつては命にあふれた場所であったことを、この壮大な全景は無言のうちに語りかけてくる。

ネルーダの「第十一の歌」が「立ち上って昇ってこい、兄弟たち」と呼びかける声は私たちの中に潜む古代の記憶を目覚めさせようとしている。

この居住区は過去に生きた人々の労働と苦悩、そして希望が物質化したものだ。それは「畑のなかで眠っている男」の姿そのものであり、重い石の陰で「緑の星の息子」が日々の糧を得るために汗を流していた場所だ。

「裸足のファンよ、立ち上って昇ってこい」とネルーダが呼びかけるその言葉は、マチュピチュの石に刻まれた無数の命を目覚めさせる。

 このすばらしい渾沌のなかに

  この石の夜の中に わたしの手をさし込ませてくれ
  そしてあの 千年も囚われた小鳥のような
  忘れさられた むかしのひとの心臓を
  わたしの胸のなかに 脈うたせてくれ!
  ・・・・
  わたしが見るのは こき使われた祖先だ
  畑のなかで眠っている男だ
  わたしに見えるのは 怖るべき突風の下で
  雨や夜で暗い顔をし 重い石の姿をした
  ひとつの肉体 千の肉体 ひとりの男 千の女たちだ
  ヴィラコツチャの息子 石切りのファンよ
  緑の星の息子 ひやめし食いのファンよ
  トルコ石の孫 裸足(はだし)のファンよ
  立ち上って昇ってこい 兄弟たち
  わたしといっしょに よみがえろう      ネルーダ「第十一の歌」

麓からマチュピチュへと続く急勾配を見下ろすと、緑豊かな山肌に白い道筋が幾重にも織り込まれているのが見える。その曲がりくねった道は、標高差450メートルをバスが登ってきた跡だ。鋭角に曲がりくねりながら山を這い上がるその姿は自然と人間の手が織りなす絶妙なバランスを感じさせる。

この道を上がってきた者が振り返れば、自分がどれほどの急斜面を登ってきたのか、思わず息を呑む。自然の壮大さに圧倒され、同時に命の脆さを感じる瞬間でもある。

この道の存在自体が奇跡のように感じられる。険しい斜面を切り開き、いかにしてこの道が形成されたのか。道が曲がりくねるたびに、崖からの転落の恐怖がよぎる。

道を下る途中、その表情には少し疲労の色がありながらも、満足感が浮かんでいる。登山の道中で拾った一本の杖を片手にしっかりと握り、身体を支えながら歩く姿は、自然の中での長旅を終えた者の静かな達成感を物語っている。杖は、登山道の途中で偶然に見つけた。

目の前に広がる茂みは、マチュピチュの厳しい自然環境の一部だ。湿気をたっぷりと含んだ空気の中で、草木が茂り、道を進むたびにその青々とした葉が風に揺れる。小さな石や不規則な段差が続く山道を慎重に下っていく。空気はまだ湿り気を帯び、辺りには緑が広がる。頂上で見た光景が今も心に鮮明に残り、そこからの帰路において、杖が疲れた身体を支えてくれるたびに、もう一度あの頂上に立ちたいという思いが胸に広がる。

夜の闇がすっかりと包み込む中、静かな温泉の湯に身を沈める。その温もりが全身に広がり、山の冷えた空気に晒されていた体がじんわりと解きほぐされていく。照明は薄暗く、湯けむりがぼんやりと浮かぶ空間はまるで別世界のようだ。まわりの音も遠のき、温泉の湯が静かに波打つ音だけが耳に届く。

ここ数日、標高の高さに慣れるため、ビールを控えていた。しかし今夜は違う。高山病も落ち着き、久しぶりに一杯を楽しむ気分が盛り上がっていた。温泉に浸かりながら、ひとくち目のビールが喉を潤した瞬間、その冷たさが爽やかに口内を満たす。久しぶりの味が特別なものに感じられ、深い満足感が体に広がる。アルコールがほどよく身体に回り、温泉の熱とともに心地よい酔いが訪れる。

遠くからかすかに人々の談笑が聞こえるが、その声も静かな夜の一部として溶け込んでいる。夜の空気は澄んでおり、疲れた心と身体を癒してくれる。標高の高い場所にある温泉ならではの特別な時間。星空は見えないが、温泉の湯に包まれ、冷えた空気と湯気の中で、ここにしかない安らぎを感じる。

日々の疲れや、旅の道中の苦労が溶けていくような感覚の中、ビールの残り少ない缶を振り、また一口。頬にかかる夜風と湯の温かさ、そして冷えたビールのバランスが絶妙で、このひと時を何度でも味わいたいと思う。

マチュピチュの駅名はアグアス・カリエンテス(熱い湯)と呼ばれたがその由来はこの温泉から来ている。露店ジャングル風呂。湯気のため、温泉内はピンボケだ。風呂に入りながらインカの文明に思いをはせる。

ペルーは12の世界遺産を持つ。マチュピチュは標高2400m にあり「アンデスの至宝」「天空の都市」「謎の空中都市」と呼ばれる。インカ帝国は1533年にスペイン人に征服されたが、それまでの歴史は1万2000年前に遡る。紀元前3000年頃には神殿があった。以降の帝国は チャビン、モチェ、ティワナク、ナスカと続き最後がインカ帝国となる。鉄器も車輪も歯車もないが脳外科手術の医療技術を持つ高度な文明を築いた不思議な文明だ。特に車輪の無い文明に驚く。

ペルー南部の小国インカは標高3500mにあるクスコを首都とし、15世紀半ばに北上を開始した。15世紀末には南北コロンビア南部からチリ中部アンデスまでおよそ5000km、日本の約8倍の領土を持ち最盛期には1000万人以上の人口を持つ大帝国に成長した。ところが1533年には滅亡する。百年に満たない短期間である。

「キープ」と呼ばれる組ひもで人口や収穫高などを記録する技能を持ち、発掘された頭蓋骨から手術された跡がうかがえるのど高い医療技術を持っていた。また総延長4万kmにもわたる「インカ道」も整備され皇帝からの伝達事項はインカ道を通じてチャスキと呼ばれる駅伝によりキープと情報が各地に日にキロの早さで伝えられた。さらに国政調査まで実施されていた。 

窓の外から聞こえる轟音。渦巻く茶色い濁流が岩の間を激しく叩きつけながら流れ続けている。朝7時、まだ薄暗い部屋の中に響くその音に、自然の力強さを感じながらも、どこか神秘的な感覚が広がる。ホテルの窓からは荒々しい川の様子がはっきりと見える。濁流が岩を削り取り、勢いよく進む様子が目の前に広がっている。

外はあいにくの雨と霧。朝から天候は崩れているが、それがまたこの場所特有の自然の一部であり、風景に深みを与えているように感じる。霧が立ち込め、山の輪郭はぼやけ、川の流れと霧の音が相まって、この静かな朝に生命感をもたらしている。

すでに他の宿泊客たちは、朝早くにマチュピチュに向けて出発している。雨にもかかわらず、皆がこの秘境を目指すのは、その神秘性と荘厳な雰囲気を一目見ようとする探求心だろう。昨日、遺跡に足を踏み入れた時の感動がまだ心に残っている。今朝もまた、新たな発見が待っているのだろうか。遺跡の石段を登るときの高揚感、そして霧に包まれた遺跡の静けさが頭をよぎる。

準備を整え、二日目のマチュピチュ訪問に出発するかどうか、迷いが心をよぎる。しかし、窓から見える自然の景色が背中を押す。雨の中、再びあの石の階段を登り、霧に包まれた遺跡を歩くことで、昨日とはまた違うマチュピチュの表情を見つけることができるかもしれない。 

管理人住居跡に到着すると、周囲には幻想的な霧が立ちこめ、まるで世界そのものが消えてしまったかのような感覚に包まれた。ここからマチュピチュの全貌が見渡せるはずだったが、眼前に広がるのはただの白い霧。期待していた壮大な風景は姿を隠し、心の中に少しのがっかり感が広がる。

それでも、この場所がかつての管理人の住処であり、彼が日々この景色を眺めていたであろうことを想像すると、どこかしらこの霧さえも歴史の一部のように感じられる。霧が遺跡を包み込み、過去の出来事や人々をも静かに覆い隠しているかのようだ。この土地の人々が霧の中でどんな思いを抱いていたのか、管理人はこの風景をどう感じていたのだろうか。霧のベールが引かれるまでの間、そんな思いにふけりながら、歴史の中に身を沈めているような気がした。

他の観光客もまた、その霧に包まれた風景をじっと見つめている。彼らの失望の声が耳に入るが、それと同時にこの神秘的な情景に何か特別なものを感じ取っているようにも見える。霧がすべてを覆い隠しているにもかかわらず、その背後には壮大なマチュピチュの姿が確かに存在していることを知っているからこそ、この一瞬が貴重に思える。

自然が織りなす予測不可能な瞬間に、人は歴史や自然の圧倒的な力を感じ取るのかもしれない。この霧が晴れたときに見える光景が、今までとはまったく違った意味を持つかもしれないと期待しながら、管理人がどのような日々を送っていたのか、彼の視点に立って思いを巡らせる。

手前に佇む質素な石造りの建物は、マチュピチュの見張り人小屋だ。この場所からは、かつて遺跡を訪れる者や山からやってくる侵入者を見張るための絶好の視点が得られたのだろう。しかし、今その役割を果たす者はいない。代わりに、この小さな小屋は長い歴史の中で風や霧にさらされ、まるで自然の一部として景色に溶け込んでいるかのように見える。

目の前には、霧に覆われた段々畑、アンデネスが広がる。その姿は、あまりにも美しく、そして静かだ。霧のヴェールに包まれ、畑の輪郭はぼんやりとしか見えないが、無数の石壁が緻密に積み重ねられていることが感じ取れる。先人たちの労働の跡が、この険しい斜面に刻み込まれている。

アンデネスは、マチュピチュに生きた人々がこの過酷な山岳地帯で生き延びるための知恵と工夫の象徴だ。水を確保し、農作物を育てるために、彼らはこの段々畑を丁寧に作り上げた。高度の差を利用し、効率的に水を供給し、豊かな収穫を得ていたという。この知恵が、石と自然との共生を見事に示している。

霧が立ち込めるこの朝、景色は一瞬で異なる表情を見せる。時折、風が霧をかき分けるように吹き、段々畑の一部が鮮明に姿を現すが、すぐにまた霧に飲み込まれてしまう。この移り変わる光景は、まるで時間の流れを可視化しているかのようで、古代と現代が交錯する不思議な感覚を与えてくれる。

静けさの中、風と霧、そして石畳が語りかける。この場所に立つと、ただ単に景色を見るだけでなく、過去の息吹を感じ、かつての人々の営みに思いを馳せる

 

この写真に写る石段には、明確に見える溝が刻まれており、これはかつての上水道の一部だ。当時、マチュピチュの住民は山から流れる雨水をこのような石造りの水路を通じて、生活に利用していた。石の表面に残る水跡が、この場所に水が豊かに流れていた名残を示している。

この溝をたどっていくと、当時の人々の生活が浮かび上がる。彼らはこの石の水路を通じて、必要な水を神聖な儀式や日常の調理、洗濯に使ったのだろう。厳しい自然環境の中で、知恵と技術を駆使して水の供給を確保し、生活を送っていた様子が想像できる。

この上水道は水を運ぶためのものだがそのデザインや配置には、マチュピチュにおける宗教的な役割が含まれていただろう。水は命を育むものだけでなく、神聖な力を持つものとされ、神々への奉納や儀式にも欠かせないものであったはずだ。

二日目に訪れたとき、初日には気づかなかったこうした細部に目が留まると、当時の生活や風習が徐々に形を取り、頭の中に浮かんでくる。石に刻まれた溝や傷あとは、彼らの労働や信仰、そして日々の営みそのものを物語る。

マチュピチュの石造りの水飲み場は、今も驚くほど清潔に保存されている。写真に写る水道跡は精密な設計が人々の生活を支えたことを物語る。このような水飲み場はマチュピチュに16箇所あり、住民たちはこれらを日常的に利用していた。岩に刻まれた溝は流れる水を導くもので、長い年月が経ってもその溝のシャープさと相待ってここに流れていた清らかな水の流れを思い起こさせる。

この石は、かつてインカの人々が神聖な儀式を行い、ヤギの首を落としたという場所であり、その形状はコンドルを象っている。白い部分はコンドルの胸を表し、頭部が盛り上がり、胴体が続く。そして、石の先には血が流れるための溝が刻まれている。これらの形象はネルーダが描いた詩の世界と重なるものがある。

「天なる鷲座よ 霧の葡萄畑よ」とネルーダは詩で歌い、コンドルの形をしたこの石が象徴するものが、天と地を繋ぐ存在であることを示唆しているように思える。古代インカの人々にとって、儀式は神々との対話であり、この場所はその対話の中心だった。ネルーダの詩は、ただの言葉の集合ではなく、古代の儀式や信仰を現代に呼び覚ます力を持っているように感じられる。

ネルーダが「滝のような階段よ 巨大な瞼よ」と歌う時、マチュピチュの石段や構造が頭に浮かぶ。ネルーダが詩の中で「石の本よ」と呼んだのも、この遺跡のように、石が人々の歴史や信仰を記録し、私たちに伝え続けているからだ。

彼が、「では人間はどこにいたのか」と問いかけるとき、それは単なる過去の儀式や歴史を問うだけでなく、現代の私たちにとっても重要な問いとして響いてくる。

ネルーダの詩が問いかけるのは、過去の儀式やインカの人々がこの場所で何を感じ、何を信じていたのかを私たちに問い直させることだ。そして、私たちはその問いに対し、ただ石の形を眺めるだけでなく、その奥にある人々の魂や信仰、彼らがここで何を祈ったのかを感じ取るべきなのだろう。

この小さな雀の姿を見た瞬間、思わず微笑んでしまった。首回りの黒い羽がまるでインカの装飾を身にまとったかのようで、その独特な模様に引き込まれる。この鳥は、ただの雀ではない。インカ文明を象徴する何かを感じさせる。インカの戦士や神々の姿が思い浮かぶような、堂々としたその姿勢には、どこか誇り高いものを感じた。

マチュピチュの遺跡を背景に、この雀はその風景の一部として自然に溶け込んでいる。しかし、その胸の模様は、どこか過去の文明と繋がっているように思える。まるで、この地の歴史を語り継ぐ役割を担っているかのようだ。インカの戦士たちが大切にしていたシンボルや、儀式で身につけた装飾品を思わせるこの鳥の姿は、単なる偶然ではなく、この場所が持つ特別な力が引き寄せたものなのかもしれない。

自然界には、その土地の歴史や文化を映し出すような存在がある。そして、この雀もまた、マチュピチュという神秘的な場所と、そこに生きた人々の文化を映し出す小さな鏡のように感じられる。インカの遺跡を訪れる私たちは、ただ石造りの建築物や壮大な風景を見るだけでなく、こうした小さな生き物たちを通して、さらに深くこの場所を感じ取ることができる。

鳥のさえずりが響く中、この雀は目の前で静かに佇んでいる。まるで、この場所に関する物語を静かに私たちに伝えているかのようだ。 

 

 


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