ユーレイルパスを手に、次なる冒険に心を弾ませていた。イタリアからスペイン、バルセロナへの列車の旅を決意した。イタリアの魅力に既に浸り次の章はスペインだ。
ボローニャの駅に切符を買いに行くと、予想外の返答が待っていた。予定していた土曜夜の寝台列車はすでに満席で金曜日の出発に変更し、個室寝台を確保したはずだった。長い道のりを思い描きながらほっと一息した。ところが実際にミラノから19時50分発の列車に乗り込むと期待していた個室ではなかった。目に飛び込んできたのは、広々とした一等車のビジネスクラス風の座席が並んだ空間だった。椅子は斜めに倒れるが個室とはほど遠い。思わずため息をつきながら車掌を探し出し、何とかならないかと訴えたが、「今日は満席で変更はできない」とのことで現実を受け入れるしかなかった。
列車をよく見渡してみると、これはどうやら「ホテル列車」だったらしい。もし個室が確保できていれば部屋にはシャワーまでついていて、ユーレイルパスを持っていても追加料金が一人2万円以上かかるタイプの列車だったようだ。それに対して、私たちが支払った追加料金は80数ユーロで確かに安いが、それだけに何かが違っていたのだろう。あのボローニャ駅で切符を売ってくれたおじさんの言葉「シー」という答えが今となっては虚しく響く。
気を取り直して食堂車へ向かうと、今度はスペイン語メニューが登場だ。まだスペインに入ってもいないのに、なぜスペイン語? 英語のメニューをお願いし、ようやく一息つく。隣にはアメリカ人観光客が次々とやってきて、私たちがメニューを回すとおかしいほど感謝された。彼らも同じようにスペイン語に戸惑っている様子だった。
私たちは夜11時過ぎまでゆっくりと夕食を楽しんだ。6月の終わりの外は10時近くまで明るく、窓の外の景色を眺めながら食事ができる。ワインを1本空けて、ようやく「今宵の宿」へと戻る時間が来た。周りの乗客たちはすでに眠りについている。
席に戻ると、列車はすでにフランスに入っていたらしく、フランスの警察が乗り込んできた。順番に荷物を確認され、寝ていた人たちも次々に起こされる。私たちの後ろに座っていた乗客は何度も質問され、荷物を開けさせられていて軽い緊張が走ったが特に問題はなかったようだ。警察のチェックが終わり、車内の明かりは豆電球だけに。私はパレルモからのフェリーで学んだ耳栓を準備し、いざ寝ようとしたが、腰が痛くて何度も目を覚ます羽目になった。
結局、ほとんど寝られないまま朝を迎え、さらに列車は2時間遅れて到着するという。さすが、イタリアとスペインはラテンの国だ、2時間遅れなど珍しくもないらしい。
列車から降り立った瞬間に感じたのは、これまでの旅路の疲れよりもこれから始まることへの期待感だった。ガウディの傑作が待つ街、そして1992年のオリンピックで世界にその名を轟かせたバルセロナ、その二つの象徴が、私の胸に興奮を呼び起こす。駅のホームには、夏の陽射しを浴びた観光客たちが次々と列車から降りてくる。色鮮やかな服装にサングラス、キャリーバッグを引いて歩くその姿は、どこか期待に満ちている。緑のTシャツを着た若者も、シンプルなシャツに薄いジャケットを羽織った年配の男性も、それぞれの目的を胸に、このバルセロナの街に集っているのだ。
空港ではなく列車でやってきたことが、私には特別に感じられる。空の旅では得られない、ゆっくりと変わっていく景色や、列車独特の揺れが、旅の余韻を増幅させる。足元の固い床から響く歩行音も都市の鼓動とシンクロしている。
バルセロナと言えば、まずはアントニ・ガウディ。彼の作品に触れることを思い描いただけで、胸が高鳴る。サグラダ・ファミリアやカサ・バトリョ、そっらが街の魂の一部として存在している。ガウディのアートは視覚的な驚きだけでなく、その独創的な建築様式に隠された哲学や自然への崇拝を表している。
カサ・バトリョ
この画像は、アントニ・ガウディが設計したカサ・ミラ(La Pedrera)の屋根裏部分の特徴的なアーチ構造。ガウディは自然からインスピレーションを得て、曲線を多用したデザインを生み出した。この屋根裏部屋にはガウディの作品や設計に関する展示があり、彼の建築における革新性と独自性がよく表れている。カサ・ミラはバルセロナにあるガウディの代表的な建築物の一つで、ユネスコ世界遺産にも登録されている。
ガウディの代表作の一つであるカサ・バトリョには曲線と光の戯れ、そしてその奥に潜む哲学、この街に根付いたバルセロナの心が表現されている。カサ・バトリョの前に立つと、ガウディの天才的な創造力が目の前に広がっていた。建物自体が呼吸をしているように、壁は生きているごとく波打っていた。1904年から1906年にかけてカザノバスの依頼を受けて行われた改築によってこの異様に美しい建築物は誕生した。
バルコニーの形は骸骨のようで、恐ろしさと美しさが共存している。この建築物はガウディが自然を模倣し、超越していったことを物語っている。壁のタイルが光の反射で色彩豊かな風景を作り出す。ガウディは直線を嫌い、曲線を愛し自然から学ぶことによって空間と時間の制約を超えた存在を作り上げた。5階部分は、もともと1877年に建設されたものをガウディが増築したが、改築によって生まれ変わった。
バルセロナの中心であるグラシア通りに立つと、カサ・バトリョの独特な外観が目に飛び込んでくる。そのファサードは、見る者に無数の解釈を与え、それゆえに「骨の家」と呼ばれることもあるがこのニックネームはカサ・バトリョの真髄を捉えきれていないように思える。
確かに外壁の石柱は骨のような形をしており、カタルーニャ地方の守護聖人であるサン・ジョルディの竜退治の伝説を思わせるとか。多くの人々は竜に屠られた犠牲者たちの骨がこの柱となって表現されていると信じている。サン・ジョルディが竜を討ち、その血から咲いた赤いバラがカタルーニャの祝日である「サン・ジョルディの日」に象徴されているのは有名な話だとか。この建物はその伝説と密接に結びつき、バトリョ家の邸宅でありながら地域文化や神話の一部としての役割も果たしている。
しかし、私にはこの石柱が「骨」や「犠牲者」を表すものとは思えない。それは、生命の息吹、植物の茎に似ている。ガウディが自然から学び、自然そのものを建築に取り込んだことは周知の事実だ。彼の作品では植物や動物の形状が見られ、それはカサ・バトリョにも表れている。ファサードの柱は、骨ではなく、むしろ植物の茎がねじれて成長し、空へと伸びていく姿を表しているようにわたしには感じられる。
建物全体を覆う波打つ曲線、光を反射するタイル、不規則に配置された窓は自然の一部が建物の中に溶け込んでいる。ガウディは自然を模倣するだけでなく、自然そのものと一体化し、建物に生命を吹き込む。このファサードを見ていると生命の循環や成長の過程が感じられる。それは竜に屠られた「死」ではなく、新たな生命の「再生」を象徴しているように思える。カサ・バトリョは見る者によって異なる解釈を引き出す。骨と捉える者もいれば、私のように茎と感じる者もいる。それこそがガウディの建築の魅力なのだろう。
カサ・バトリョの前に立つと、この建物が単なる住宅でないことがすぐにわかる。その独特なデザインはアントニ・ガウディが自由な発想で建築を創り上げた証だ。この建物は、ガウディが新たに設計したものではなく、もともと1877年に建てられたものを、カザノバスの依頼を受けて1904年から1906年にかけて改築したものである。それゆえ、ガウディは建物の基礎部分に時間を割く必要がなかった。
ガウディにとって、この改築は再生されたキャンバスだった。既存の建物を利用することで思う存分に彼の創造力を注ぎ込むことができた。すでに存在していた建物の骨格に、彼の独特なデザインが融合し今見られるような独特の外観を持つに至った。彼は、この建物を単に美しいデザインにするだけでなく、機能的な要素も巧みに取り入れている。屋上の換気システムや、自然光を効果的に取り込むための窓の配置など、どれもが実用性と美しさを両立させている。
カサ・バトリョの室内に足を踏み入れた瞬間、その精緻なステンドグラスの美しさに目を奪われる。この窓から差し込む光は色彩が命を持ち、建物自体が呼吸しているかのように感じられる。
注目すべきは、ガラスそのものが持つ色合いだ。透明感のあるガラスに、柔らかい青や緑、そして鮮やかな赤が配されている。日中の光が角度によってさまざまな色彩に変化し、室内を飾る。窓から差し込む光は時間とともに移ろい壁に映し出される影や色の変化を楽しむことができる。ガウディは窓枠を使って、季節や時間によって異なる空間の表情を引き出している。花のような円形の模様は、自然界にある植物や花弁を彷彿とさせる。窓枠の滑らかな曲線も、ガウディならではだ。
また、この窓を通じて感じられるのは、建物の中と外との絶妙な関係だ。外の光景を遮ることなく、むしろそれを引き立てる役割を果たしている。外の景色がガラスに映り込み、内と外が一体化する瞬間が生まれる。これもガウディが建築の中に自然を取り入れたかったという意図の一環だろう。外界との隔たりを感じさせず、空間全体が自然の一部となるような感覚に包まれる。
カサ・バトリョのステンドグラスは、単なる装飾品ではなく、空間の一部としての機能を持つ。ガウディはこの窓を通じて、光の美しさ、自然の調和、そして生命の躍動を表現した。建物の細部にまで魂を込めた彼の意図を感じるたび、私は彼の建築がただの建物ではなく、芸術そのものであることを改めて実感する。この窓から差し込む光を眺めていると、時の流れを忘れ、永遠にこの空間に浸っていたいと思わせる魅力がある。
カサ・バトリョの室内に足を踏み入れるとどの部屋にも直線が見当たらない。ガウディは、自然界に直線が存在しないと信じていたため、彼の建築にも直線的な要素はほとんど存在せず、すべてが柔らかな曲線で構成されている。この部屋に施された装飾も曲線の美しさを最大限に引き立てている。
ガウディは部屋ごとに異なるステンドグラスのデザインを導入し、光と色のバランスを考えていた。この部屋のステンドグラスには明るい紫のガラスが目立ち部屋全体に温かみをもたらしている。どこか現代的な要素を感じさせるそのガラスはPCディスプレイを思わせる。ガウディがこのデザインを考えた時代にはそんなテクノロジーは存在しなかったが、光を通して色を際立たせる意図は現代に通じるように感じられる。
ステンドグラスの中に散りばめられた円形の模様は植物の葉脈や水面に浮かぶ波紋のようにも見える。曲線的な窓枠に取り込まれたこれらのガラスは時間とともに部屋の表情を変えていく。朝の柔らかい光は紫のガラスを静かに照らし、夕方にはその光が部屋に溶け込む。窓から差し込む光はガラスを通ることで「光」から「色彩」に変化する。紫、緑、青、そして透明感のある光が部屋全体にコントラストを生み出す。ガウディは光と色の関係性を深く理解していたのだろう。