ロシアのウクライナへの集団殺人犯罪行為が侵攻と表現されていることの悪影響を記者諸君はもっと真剣に考えるべきではないか。
ロシアの集団殺人行為がいつのまにか侵攻とならされることで、国なら許されるパワーゲームだと慣らされてきている気がするのはわたしだけか。子供たちもサッカーの実況中継風にならされてしまう。大人になったときに集団殺人行為も侵攻という言葉で浄化されてしまうことが恐ろしい。
これってロシアの腐臭にみちた史上最悪の大量殺人犯罪が言葉によって浄化されているように感じる。メディアは言葉でロシアの犯罪に一枚嚙んでないか。
侵攻なんてフビライのヨーロッパ侵攻など、痛みを直接感じることのない傍観者の側が使う言葉だろう。