まさおレポート

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バリの風景 ガルンガン・クニンガン・メラスティ・オゴオゴ

2014-12-19 | バリ島 文化・風習・葬祭・ヒンドゥ・寺院・宮殿

 

 

 

 

ガルンガンが近づく 2009-10-11 
今月の14日がガルンガンだという。ビラのスタッフもガルンガンにはシンガラジャの村に帰って祭りをする。そのために金を工面して村に帰らなければならない。スタッフのニョマンに聞くと5000円程度の金が必要だという。かなりの人が高利で借金して当てるそうだ。金を貸し、何回にもわたって回収する若い女性がバイクで走り回っているのを何回も見かけた。20%の利子も有るというので驚いた。年利ではない、恐らく月利だろうか。

ケバヤでバイク

ここバリは土着の人はほぼ100%ヒンドゥで、教義よりも祭事が中心だ。インドから祭事の部分が伝わり、教義の部分が伝わらなかったという事を書いてある本もあった。この祭事はとにかくご馳走を供え、飾り物を供えなければならない。もちろん後はみんなで一緒に食べてしまうのだけど飾り物などは完全な消耗品となる。このお供えと飾りに一月分の給料程度を使ってしまう。普通の人々は年に何回もあるこうしたお祭りに金を使い、蓄えをする暇がないようにみえる。

キンタマーニ村のガルンガンにも参加したことがある。サロンを巻いて頭に特有のはちまき風帽子をかぶる。村人は家族寺や村の寺にお供えをして祈りを捧げる。ケバヤを身にまとい、少し腰を下ろし立て膝に近い格好で背筋をのばし腕を頭の上に上げて合掌して祈る。数分にわたってこの姿勢で祈る姿は感動的に美しい。

日本には言葉だけしか残っていない「共同体」をこの祭りは目の当たりに見せてくれる。できれば今年もどこかの村に行ってみたい。

2010-05-13 

昨日からガルンガンが始まった。10日間続くバリのお正月だ。もっとも年に2回ある点が日本の正月とは異なるが。ちなみにバリの老人達は年齢をバリ歴で数えるので、2倍の年齢になる。100才と聞いて実は50才ということになるので驚いてはいけないと聞いたことがあるが実際にはそんな場面にはお目にかかっていない。学校では西暦を教えるので、若い人は2倍の年齢は言わない。

10日後にクンニガンでお正月を締めくくる。この間学校も休みになる。郵便局も一昨日、昨日、今日とお休みだ。

サヌールの海岸には大勢のインドネシア人が海水浴に訪れていた。大型バスが数台止まっていたのでジャワ島から遊びに来ているのだろう。ガルンガンはヒンドゥ教のお祭りなのだが、モスリムが多数派をしめるインドネシア国民の祝日になる。キリスト教のなんとか祭やモスリムのなんとか日も国民の祝日になる。調べたことがないのでなんとも確かなことは言えないが、日本国より国民の祝日は多そうだ。

クタやスミニャックにもジャワ島から休日に遊びに来ていたが、サヌールの方が圧倒的に多い。こちらの方がジャワ人の好みにあうのだろう。

ガルンガンが始まる 2010-12-08 

昨日からガルンガンが始まった。郵便局は3日間も集配がお休み、学校も2週間もお休みのところもある。(これが一般的かどうかはしらないが)海岸通りの土産物店もワルンも軒並みお休みだ。とても静かだ。

そのせいだろう、昨日は交通量が少なかった。そういえば去年のガルンガンもそうだったなと思い出す。近所の家々には昨日からペンジョールが掲げられ、今日は滞在中のホテルの一家も家寺でお祭りをしているのか正装して行きかう姿が見られる。

バリのお正月に相当するとよく言われるが、こののどかで静かな雰囲気は確かに日本の正月に似ている。

朝食をとっているとさわやかな風が吹き抜ける。いつもの風とは違い、湿気が確実に少ない。5月の風のようだとつれあいが感想を述べたが、本当に気持ちのよい風が吹いている。

今年の3月は二大行事が重なった 2013-03-26

今年の3月は二大行事が重なった。3月12日にニュピを、そして明日27日はガルンガンを迎える。明日は郵便局や学校はお休みで、近所の土産物どおりもこのようにがらんとしている。

ここでガルンガンのおさらいをしておきます。

①祖霊を迎える行事。②ブト・カロに対する供養。③邪悪(adarma)にたいする善(darma)の勝利を記念する日。の三つの解釈がバリ人に自然に受け入れられているが、③が教義上の共通見解とされているという。(バリ宗教と人類学 吉田竹也 風媒社)

②バリにはサカ歴とウク歴がある。ニュピはサカ歴で祝う。ウク歴は210日が一年になるので、ガルンガンはウク歴の新年にあたる。

③ガルンガン前日にペンジョールと呼ぶ竹の幟を各家の門の横に立て、豚をつぶして料理を作る。

アリッツ玄関のペンジョール

今年のガルンガンの日程
2,014年12月16日 ガルンガンの料理を作る
17日 祈りの日 村の寺を訪れ祈る
18日 休日

ガルンガンは神が悪魔に勝った日で天から先祖が戻って来る日、クンニガンは彼らが天に帰っていく日とされている

ガルンガン、クンニガンは210日ごとにやってくる。そしてガルンガンは水曜日、クンニガンは土曜日と決まっている。バリの暦であるウク歴で決まる。それにしてもなぜ210日周期なのか、7日周期なのかと興味はつきない。

 

クニンガン 2011-07-16 

今日7月16日はクニンガンの日、バリ人は午前中に家寺などにお祈りをして午後には終了する。日本の送り盆に相当すると言われたりしている。ダルマ(善神)がアダルマ(悪魔)に勝利する日だとも。いずれにしてもバリ人にとっては最重要な日の一つだ。

家の屋上に祭られた家寺風景。

午前中にお寺に祈りをささげるためにやってくる人々。この日のみならず他の祭事のときも正装しているバリ人はヘルメットをかぶらないでバイクを走らせている。正装している限りヘルメット着用はしなくても罰金の咎めはなし。バリでは祭事が法律に優先する例になる。

由来など 2009-10-25


210日ごとにめぐってくるガルンガンとその10日後のクニンガンはバリ島の聖なる日で休日となる。街も心なしか車が少ない。しかし白い正装でバイクに乗って祭りに出かける人々も多い。


街角には先の曲がった竹の飾りがいたるところにみられる。ペンジョールと呼び、大きさと立派さでその家の格式を表すという。

午後に出かけてみたがクニンガンのセレモニーは見られなかった。朝10時頃には終わってしまうらしい。それでもプロ(pura)と呼ばれる寺院はいつもよりも飾りとバナナの葉で造った13センチ四方の供物サイバンが数多く地面に並んでいた。

ちなみに210日毎にめぐってくる暦はウク歴というバリ特有の暦で、7日が一つのUKUで、30種類のUKUで循環する暦だと説明してある。なんにしても日本にはないUKUという暦単位が存在する。このお正月に当たるのがガルンガンとクニンガンだと理解した。

明日はクニンガン 霊が芳香をともなってやってくる話 2010-05-21

明日はバリの送り盆に当たるとされるクニンガンの日だ。ガルンガンから10日目に催されるこのお祭りは迎え盆つまりガルンガンで迎えた祖先の霊を送り出す。朝から出身村の寺に詣でて祈り、午後は黄色い飯を中心としたご馳走を食べて海岸に出かけたりしてリラックスするという。もともと日本の盂蘭盆会も発祥を尋ねればヒンドゥのこの儀式に共通性を見いだせるのだろう。

今日のったタクシードライバーはシンガラジャの出身で、今晩遅く村に帰るという。ガルンガンやクニンガンそのほか各種の祭り=セレモニーでは彼の亡くなった父がやってくるのが感じられるといった。どんな風に感じるのかと問うと、父の霊がやってくると、花のような芳香がまわりにたちこめるのだそうだ。霊がやってくるとよい匂いがたちこめるとははじめて聞いた。霊というとなにやらおどろおどろしいものにしがちだが、芳香が立ち上るとは何と素敵な霊の来臨であることか。


バリのお祭り 2010-03-09

バリの祭りにはオダランとハリラヤの2つがある。オダランはお寺の創立記念のお祭り。オダランの規模の小さいものはウバチャラ。新月、満月の頃が多い。ハリラヤはバリ全島上げてのヒンドゥの祝祭日でインドネシア国民の祝日。

3月16日はニュピ=バリヒンドゥのサカ歴の正月で一日中ホテルから外出できない。で17日はクンパック・グニ=お祈りの後の新年の挨拶回り。

オダラン(寺院創立記念日)を初めて見る2010-11-24

夜が更けたころにガムランが聞こえてきた。既に夜11時を過ぎているので不思議に思って音のするビーチに向かった。ホテルを出るとすぐに舞台と白装束の村人が目に入った。ビーチに向かって右にお寺があり、その前に竹や木で舞台が設置されている。舞台の前には椅子が置かれ大勢のバリ人家族が舞台のバロンダンスを楽しんでいる。飛び入りの男性がバロンダンスの踊り手と絡んで踊っているのが大受けしている。この男の踊りもさまになっている。バロンダンスの踊り手は男性だが女装しているので、飛び入りの男性はふざけてこの女装の踊り手の胸のあたりに触ろうとするしぐさをする。踊り手は怒ったふりをする。観衆はどっと笑う。

ほとんどすべての観客が村人で、頭のキャップであるウダンからシャツ、下半身にまくサロンまで白で統一している。横に座る男性のサロンは絹のような光沢のある白地にうっすらと光る刺繍が施されている高価そうなサロンだ。4,5歳の子供たちもこんな時間なのにもかかわらず起きて舞台を親と一緒に楽しんでいる。

やがてバロンダンスは終わり、一部の人々は旗を立ててジャラン・ハントゥアを行進しだした。しかし舞台はまだ続く。次は男二人が登場して掛け合い漫才を始める。一言発すると男はハハハハと笑い声をいれる。テレビで笑い声をかぶせる方法は今に始まったものではなく、既にこんな伝統演劇にも存在していた。

オラダンはこの後1時過ぎまで続くという。そのころマンクが神のお告げをするのだがそれは目撃できなかった。このマンクというのは村人の特定の素質のある人が一定の勉強をした後になれるらしい。憑依されやすい人の家系があるという。特定の階級に属する人ではなく一般の人がマンクになる。

ウバチャラ 2011-10-11 

今日は満月で、街のあちこちで白い正装に身を固めたウバチャラ(寺院のお祭り)の集団に出くわす。途中から反対車線はものすごい渋滞になっている。そして普段よりも圧倒的に多い交通整理の警官や兵士も。運転手君は「大統領が通るためだ」と言っている。

帰りはその渋滞を避けるために、抜け道を通るが、これが又ものすごいでこぼこ道で気分が悪くなるほどのすごい道だった。普段通らないガタガタ道の両端は荒れたような野原で、それでも何頭かの牛がその草を食んでいた。たくましい。

この間から運行を始めた公衆バスに乗客がかなり埋まっている。当初ほとんど客が乗っていなかったので経営を心配していたがこれならなんとか行けそうだ。

ガルンガン ペンジョール

ペンジョールの下部

海岸でのウバチャラの後に残されたチャナン

ガルンガン バロンの練り歩き

バロンのアップ キンタマーニにて

 ゴングをもって歩く

 オゴオゴ1

オゴオゴ2

 メラスティ

メラスティに向かう人々

バロンも行進

ゴングを鳴らしながら行進

バロンが5頭 勢ぞろい

バロンの正面

メラスティ 白装束の人々

メラスティ 夕暮れの帰路

2014-05-31

今日は5月31日 ハリ・ラヤ・クニンガンでガルンガンの10日後、先祖の霊を送り返す日で日本の送り盆に相当する。家では、黄色く色づけされた御飯であるナシ・クニンを作って供え、食べる。

午前中は家寺や墓に参り、午後はメラスティ(諸寺院の神像を海で浄化する儀式)で海岸に向かう。ニュピの数日前にもメラスティ―の儀式が行われる。

海岸に向かう行列。さすがに黄色い帯が多いがオレンジや白も。

3バロン

ガムランの一行

海岸でのセッティング 海岸に向かってバロンを並べる。

バロンたちの後ろから。赤、白、黒の布をかぶっている。

プダンド

プダンドらしき高齢の僧が現れ、衣装を整える。プダンドは常に高台に座るとあるのであるいはマンクーかもしれない。(あとで確かめるとやはりプダンドだと言う)

座ってゆっくりと儀式用具を整える。冠風の帽子が入ったアタ風の丸い容器の蓋を開けたところ。プダンドの左に座る白い帽子の男性がマンクー。

帯状の布をたすきに掛ける。黄金の冠はketuと呼ばれる.

水晶と思われるビーズを通した数珠をたすきに掛ける。耳にも掛ける。枯草のような装飾物はbanten.

最後に冠をかぶり、前にある錫製の容器に入った聖水を振りかける。これでようやく準備完了で、海岸に到着してから既に1時間ほど経っている。

この聖水はサンダルの煙でいぶした大甕(直径1メートル近い)に水を入れてマントラを唱えて作る。

絵画のガルンガン

ガルンガンの水浴

ガルンガン ゲボガン を頭に乗せる女

2014年5月21日 ハリ・ラヤ・ガルンガン ガルンガンはダルマ(善)がアドハルマ(悪)に勝利したことを記念する日で210日ごとに巡ってくる。日本の盆のように祖先の霊が帰って来る日とされる。輪廻転生のヒンドゥでは霊はすでに転生しているのだがなぜかこの日に帰ってくる。家の前にペンジョールpenjorを立て、正装して寺院に参拝する。

これは滞在ビラの近くのお寺。大勢のバリ人が正装(白や黄色が基調)して次から次へと訪れる。お寺の前はバイク・バイク・バイク・・・白一色の男たち。腰布sarung 腰覆いの布kampuh 帯selendang 頭巾udeng 上着kwaceで固める。別名もある。順にkamen,saput,anteng,destar.

参拝を終えて帰路につく家族。ご婦人の左手に持つ籠は青が基調の年代もの風。この中に供物(gebogan)を入れる。代々ファミリーで使用してきたことがわかる。

ヒンドゥ教徒は祈りの際に清潔な服で腰覆いか腰布を巻いていればよいことになっている。こうした正装とは色を揃えて着ることではないとされているが1990年代に始まった一種の流行であるらしい。

豚の可愛い置物

ガルンガンも終わった。ガルンガンにはバリ人は必ず豚をバビ・グリンにして食べる。300万人のバリ人が一斉にバビを食べるので一人100gとしても30万キロの豚が必要になる。一匹30キロとしても1万匹の豚君が食べられたことになる。そんなことを考えながら車に乗っていると豚の可愛い置物が目に入った。

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