阿含は初期仏教、般若心經は般若經群の一つ。内容は違う。ではどう違うか。
阿含は釈迦の教えに忠実だ。般若心經は阿含の戒を守れない人が空という真理を信じると救われるという神秘主義を取り入れた。
般若心経では阿含の教えをことごとく無という言葉で否定する。阿含の奥に真理が隠されているという意味で否定する。非常に複雑な否定なのだと。
空をそんな風に説明されたのはこれまでではじめてで非常に新鮮だ。阿含から一歩踏み出すために空なる真理を説いた集団が歴史的に生まれた。
それが中国から日本に伝来した。
ではどちらが優れているのか。好みの問題だと佐々木氏は言う。どちらか優劣を論じるのは排他独善に落ち入ると氏は強調する。
紀野一義氏も初期仏教では釈迦の墓は設けるなとの教えは正しいのだが、それではどうしてもおさまりのつかない人たちが大乗を作ったと説明していた。
これを釈迦に対する神秘的崇拝思想の発生とすると期せずして佐々木氏と同じことを言っていた。カソリックの国でマリア信仰が生まれ定着するのと同じ機序だと。
要は人は知的なものだけでは収まりがつかないのだ。神秘な観音力や久遠の仏を神秘として求めるものだからと言うことに落ち着く。
ただし紀野一義氏は大乗の法華経を好み、佐々木氏は神秘では無い阿含を好むのも面白いなと思う。でもそれでいいのだ。