2006年に下記のブログを書いている。今日は次の引用を加えてみるとなお一層昨今の楽しみが増える。
人間の不幸の唯一の原因は、自分の部屋で静かに過ごすすべを知らないところにある。
ピンクとブルーのパジャマを着て、自分の寝室という限られた場所の中で満足したグザヴィエ・ド-メーストルは、私たちをそっとつついて、試してごらんとうながすのである 地球の遠い半球に出発する前に、わたしたちがすでに目にしているものに注目してみたら、と。 パスカル パンセ第136節
嵐山光三郎 いながらにして旅をする。
引き続いて、嵐山氏の芭蕉紀行を読んでいる。その中に世界を旅をする上で参考になる一文があった。それは幻視だ。つまり、江戸古地図や浮世絵を緊張を解いて眺める。彼は朝から日本酒を一杯引っ掛けて眺めるらしいが、私は明るいうちは飲まない主義なので、これはまねをしない。そうすると、空想か夢想か、古い江戸のたたずまいと、そこに生きる人々の息づかいや、生活が幻視できるとのことだ。
幻視で家に居ながらにして、江戸を徘徊し、それに飽き、疲れると、日本橋や人形町、深川や清澄界隈を散歩するとのことだ。
このテクニックを世界への旅にも応用できる。パリでもニューヨークでもロンドンでも古地図はどこかで手に入るだろう。古地図はたいてい建物や風景の絵が豊富だろう。それに本も必要だ。幸い、文芸春秋社の「世界の都市の物語」もほぼそろっている。この本により、各都市の過去へと知識面では誘ってくれる。印象派の絵画やルネッサンス期の絵画も手元においておくと幻視を助けてくれるだろう。そしてネットでも素晴らしい絵が眺められる。これで家に居ながらにして、世界の都市への旅ができ、かなり深い楽しみが得られるのではないか。それに飽きればぶらりと旅に出るのもよい。すると一層、味わいが深くなりそうだ。
もちろん日本にも応用しよう。明治期の地図を眺めながら漱石全集をちびちび読み進めるのも悪くなさそうだ。それに飽きたら、この間まで仮住まいした墨田川周辺を徘徊してみよう。
さらには世界で撮りためた写真を肴に空想か夢想にふける楽しみもある。
とても興味深いですね。
私も見よう見まねでやってみたいです。
外国だとその土地のワインが幻視を助けてくれるかもしれませんね。
江戸の切り絵図や浮世絵、本などから浮かび上がる景色を楽しみ、人々の会話に遊べるのは至福の時ですね。まあ自分自身が幻のような気も・・・。
ほんとは、おっしゃるとおり、実際のその場所など散策出来ればより理解も深まるだろうと思いますが、残念ながら、一まとめの「江戸東京博物館」で我慢です。
「奥の細道」をたどる旅は大学時代に決行、芭蕉の心を追体験出来たような気がしたものです。
ブログ始められたのですね。興味深い内容♪これからも楽しませて頂きますね。
奥の細道をたどられたのですか。私も時間があればいってみたいですね。現代の風景からどれだけ歴史の重層空間がみえてくるか。
なんだか江戸学検定試験を受けに行くようですね。
なんとかドボンという人(哲学者)の旅の本にも、自分の屋敷から一歩もでずに地図と本だけの空想旅行で
楽しんだイギリス人の話がでてきます。これも究極の旅ですね。
どぼん は花札でした。