立ち読みびとが樹木のように
昨日から3月になった。裸木の長い並木をぬけだしたような心地だ。彼方の桜並木に向ってとぼとぼ歩く。郵便受けには旅の友、さくらが満開の表紙の雑誌、そしてモノトーンの「未来3月号」。昨年12月10日ごろに送った私の5首が載っている。ノーベル賞受賞式に「ボブ・ディランが欠席」のことで騒がれていた頃に詠んだ5首である。
風に吹かれて 松井多絵子
わが町の駅前通りの書店には立ち読みびとが樹木のように
樹木なら我は柊かもしれぬ淋しきときの棘のするどさ
「ありがとう」とあの日あの時云ったなら私はポインセチアの花に
なぜ受賞式に出ないかボブディラン、風に吹かれているかもしれぬ
がん張れば成功するとは思わなくなりて今年も終わりに近づく
「未来3月号」の「工房月旦」にこの欄の評者の1人✿ 守中章子氏の寸評が
▲ 暁の夢の出口の前にくる この世のことは夢かもしれぬ 松井多絵子、
(未来12月号出詠)
~「出口の前」とは思い切った表現だ。まだ夢から出ていないのだ。生きることは本当は長い眠りの中の夢なのかもしれない。守中章子~
わたしは眠っているときにはあまり夢をみない。嬉しいことがあった時これは夢かもしれないと思う、嫌なことがあった時もこれは悪夢だと思ったりして、昨年こんな歌を。
長いこと使っていた「ガラケイ」からスマホに代えて3日目、この世のややこしさに戸惑っています。まるで顕微鏡のなかを覗くような、小さな文字や記号、これも夢なのかしら。
3月2日 松井多絵子、
昨日から3月になった。裸木の長い並木をぬけだしたような心地だ。彼方の桜並木に向ってとぼとぼ歩く。郵便受けには旅の友、さくらが満開の表紙の雑誌、そしてモノトーンの「未来3月号」。昨年12月10日ごろに送った私の5首が載っている。ノーベル賞受賞式に「ボブ・ディランが欠席」のことで騒がれていた頃に詠んだ5首である。
風に吹かれて 松井多絵子
わが町の駅前通りの書店には立ち読みびとが樹木のように
樹木なら我は柊かもしれぬ淋しきときの棘のするどさ
「ありがとう」とあの日あの時云ったなら私はポインセチアの花に
なぜ受賞式に出ないかボブディラン、風に吹かれているかもしれぬ
がん張れば成功するとは思わなくなりて今年も終わりに近づく
「未来3月号」の「工房月旦」にこの欄の評者の1人✿ 守中章子氏の寸評が
▲ 暁の夢の出口の前にくる この世のことは夢かもしれぬ 松井多絵子、
(未来12月号出詠)
~「出口の前」とは思い切った表現だ。まだ夢から出ていないのだ。生きることは本当は長い眠りの中の夢なのかもしれない。守中章子~
わたしは眠っているときにはあまり夢をみない。嬉しいことがあった時これは夢かもしれないと思う、嫌なことがあった時もこれは悪夢だと思ったりして、昨年こんな歌を。
長いこと使っていた「ガラケイ」からスマホに代えて3日目、この世のややこしさに戸惑っています。まるで顕微鏡のなかを覗くような、小さな文字や記号、これも夢なのかしら。
3月2日 松井多絵子、