・・・ 吾輩は犬である ・・・
『吾輩は犬である』とう小説を金原ひとみよお書きなさいな 松井多絵子
写真の金原ひとみの顔は猫のように見える。やや妖しい女の感じがする。彼女は犬になったら面白い。私たちの犬のイメージを変えるかもしれない。明日から朝日朝刊で『吾輩は猫である』の連載が始まる。先日来☀新聞は連日『吾輩は猫』についての記事。まるで前菜のようだ。今日は「猫キャラ 増殖のナゾ」、~猫人気が高まっている~から始まっている。
~昨年の推計飼育数は犬が991万7千匹。猫が987万4000匹。犬が200万匹多かった5年前から逆転しそうな勢いがある。「猫が魅力的なのはミステリアスな行動を楽しめるところ。ハンターとしての野生を維持したまま、ペットとして家にいる。野生モードに入ると、次々と謎めいた行動を引き起こす」と話すのは『ねこはすごい』(朝日新書)で猫の身体能力から魅力を説いた北九州市立自然史、歴史博物館の山根明弘学芸員だ。
文学の世界でも「源氏物語」では女三宮と柏木の密通の端緒を作りだし「枕の草子」には天皇の愛猫として位をもらった猫が出てくる。猫は勝手に家に出入りしえさだけもらう。最近はペット化が進み、より人間との距離が近づいた。ペット化されることで人が猫を観察するようになる。謎めいた行動をつい人と話したくなり、会話が促進され、猫好きが増えていく。
犬との違いは、猫世界を失わないまま人間世界に入り込んでいること。「吾輩」は超越的に世間を批評する存在として描かれる。先生のひざで丸くなりながら人間の話を聞いていたと思ったら、外に出て猫同士の情報網からいろんなゴシップを集めてくる。もし『吾輩』が犬だったら、人間世界の批評ではなく、もっと人間に寄りそう物語になるでしょうね」と精神科医の斉藤環。「吾輩」の猫と私たちは通じるところがあるのだろう。一段上から世を眺める批評性、斜に構えた冷笑的な視線など。明日から私たちに100年余も前の猫がやって来る。
お隣の犬、そのお隣の犬も亡くなって、犬小屋は空き家のまま。
3月31日 松井多絵子