現代短歌新聞四月の沖ななも寸評が面白い。歌人には動詞派と名詞派がいると。動詞を多用し巧みに使う人、名詞を多用し、、。わたしは動詞派かもしれない、ただし巧みに使うことはできないが。
魚の館 五首
トラフグが胸の辺りに来ていたり、心のなかは覗かないでね
総身の刺を光らせハリセンボン体まるごと怒りていたり
いちまいのガラスを通しその胸にふれいし手より去りゆくメバル
水槽がもし割れたなら非常口どこにあるのか魚のための
死ぬだろう、この水槽が割れたなら外つ国よりきしチョウチョウ魚は
魚の館 五首
トラフグが胸の辺りに来ていたり、心のなかは覗かないでね
総身の刺を光らせハリセンボン体まるごと怒りていたり
いちまいのガラスを通しその胸にふれいし手より去りゆくメバル
水槽がもし割れたなら非常口どこにあるのか魚のための
死ぬだろう、この水槽が割れたなら外つ国よりきしチョウチョウ魚は