日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

丘の上に建てられた町々

2017-12-20 | Weblog
  ヨシュア記11章 

  13節「ヨシュアが焼き払ったのはハツォルだけで、その他の丘の上に建てられた町々をイスラエルは焼き払わなかった」(新共同訳)

 1節「ハツォルの王ヤビンはこの事を聞くと、マドンの王ヨバブ、シムオンの王、アクシャフの王~」小見出し「ハツォルとその同盟軍の征服」。イスラエルの次第に勢力を拡大することをハツォルの王ヤビンは聞いて看過できない為、マドン、シムオン、アクシャフ、アラバ、シェフェラ、ドル台地の人々に呼び掛け、同盟を結びイスラエルと戦うためにメロムの水場に結集した(3~5節)。ここはガリラヤ湖の北15キロ、ハツォルから8キロ西に当たる。
  6節「主はヨシュアに言われた。『彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え』」。ヨシュアは、水場にいる敵を急襲して同盟軍を撃ち、大シドンからミツバ平原まで追撃し、馬の足の筋を切り、戦車を焼き払った(7~9節)。この地域を見るとイスラエル中部から北西部で、遥かヘルモン山麓にまで及んでいる。南北王朝時代では北イスラエルの属する地域といえよう。人種と地域とは同じでないことが判る。ミズパの住民はギブオンと同じヒビ人、山地エブス人(3節)はエルサレム住民も同じである。ヨシュアはハツォルを占領し王を剣で殺し町を焼き払ったが、他の丘の上に建てられた町々は焼き払わなかった。「丘」(テル)は町が繰返し破壊されて出来た人口的な丘で、現代でもその遺跡がある。彼はモーセに命じられたことをすべて行った(10~15節)。「一人も残さず滅ぼした」と、8、11、12、14節に繰り返して記す。聖絶思想である。これは10章28、30、37、39、40節にもあった。
 16節「ヨシュアの占領地は、この地方全域である。すなわち、山地、ネゲブ全域、ゴシェンの全地域、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそれに続くシェフェラ、シュアの占領地は、この地方全域である…」小見出し「占領地」。以下箇条書きにすると①山地、ネゲブ全域、②ゴシェンの全地域、③シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地④、それに続くシェフェラ、すなわちセイル途上にあるハラク山、⑤北はヘルモン山のふもとレバノンの谷にあるバアル・ガドまでである。これらの地域の王を皆捕えて打ち、処刑した(17節)。
  18節「ヨシュアとこれらすべての王たちとの戦いは長い年月にわたり~」。ヨシュアとイスラエルはこれらを一気に攻撃し占領したのではない。完全な戦争など有り得ないのである。滅ぼし尽したとあるが、実際は士師記1章にある通り、共存したのである。20節は聖絶思想が色濃く記されている箇所である。
  21節「このとき、ヨシュアは攻め込んでアナク人を…ユダの山地およびイスラエルの山地から一掃した。ヨシュアは彼らをその町もろとも滅ぼし尽くした」。最後に登場するのは「アナク人」である(21~22節)。彼らはカナン全土に住んでいた。「アナク」(アナーキム)は総称名詞で「首の人びと、首飾りをつけた人」という意味であるが、巨人として恐れられた(民数記13章23節)。カレブによって滅ぼされ、彼の嗣業地となったと14章12~14節にある。
  23節「ヨシュアはこうして、この地方全域を獲得し、すべて主がモーセに仰せになったとおりになった。ヨシュアは、それをイスラエルに各部族の配分に従って嗣業の土地として与えた。この地方の戦いは、こうして終わった。」。主イエスのマタイ26章52節「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と言われた言葉が示される。

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