4章手紙の最後は消息欄になっている。ここに目に留まる人物がいる。
先ず10節バルナバのいとこマルコである。彼は第二伝道旅行の時パウロから非難されて一緒に連れて行かれなかった若者?である(使徒言行録15章)。しかしその後の経緯は判らないが一緒に捕らわれの身になっている。和解があり生死を共にする協力者となった。
12節キリストの僕エパフラスはコロサイ教会の創立者だが、信徒をいつも覚えて信仰が完成するよう熱心に祈っている牧会者である。
14節医者ルカがパウロと一緒である。彼は福音書と使徒言行録の執筆者と伝えられている。「医者」の肩書きを記すのは珍しい。医療伝道者だったのか。
「あなたがたによろしくといっています」(10、11、12、14節)だが、改訳は「安否を問う」である。「よろしく」は軽い。危険にさらされた境遇に身を置く同志であれば、通り一遍の挨拶でないように思える。
そのことを深く示されるのが、18節である。
「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように」
安否を問いあう者でありたい。
(写真 ベト・シャン 競技場跡)
先ず10節バルナバのいとこマルコである。彼は第二伝道旅行の時パウロから非難されて一緒に連れて行かれなかった若者?である(使徒言行録15章)。しかしその後の経緯は判らないが一緒に捕らわれの身になっている。和解があり生死を共にする協力者となった。
12節キリストの僕エパフラスはコロサイ教会の創立者だが、信徒をいつも覚えて信仰が完成するよう熱心に祈っている牧会者である。
14節医者ルカがパウロと一緒である。彼は福音書と使徒言行録の執筆者と伝えられている。「医者」の肩書きを記すのは珍しい。医療伝道者だったのか。
「あなたがたによろしくといっています」(10、11、12、14節)だが、改訳は「安否を問う」である。「よろしく」は軽い。危険にさらされた境遇に身を置く同志であれば、通り一遍の挨拶でないように思える。
そのことを深く示されるのが、18節である。
「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように」
安否を問いあう者でありたい。
(写真 ベト・シャン 競技場跡)