使徒言行録8章
4節「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」(新共同訳)
1節「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」。小見出し『エルサレムの教会に対する迫害』。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ(2節)。この殉教は信徒達が地方に散って行く結果、宣教の拡大へとつながる。
3節「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」。彼がステファノの殺害に賛成し、石打ちの刑に立ち合い、石を投げる者らの着物を預かった人物として記されている(1節、7章58節)。
4節「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」。小見出し『サマリアで福音が告げ知らされる』。使徒たちは都を離れなかった為、結果的に自立した信仰を継承することになる。「巡り歩く」は新約聖書に43回出てくるが、使徒言行録は21回もある。福音が苦難という入れ物で持ち運ばれた。「殉教者の血は教会の種子である」(テルテュリアヌス)。
5節「フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた」。1章8節に預言された通りディアコヌース(奉仕者・第一テモテ2章8節“執事”)のフィリポによるサマリア宣教である。差別と偏見の壁を越えて福音は伝えられた。彼は初期の信徒伝道者である。町の人々は彼の話を聞き、悪霊が追い出され、癒しの業がなされ大いに喜んだ(6~8節)。
9節「ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた」。しかしフィリポが神の国とイエスの名による福音を語り、信じた者らがバプテスマを受かるのを見て、シモンもこれに心を引かれてバプテスマを受けた。この有り様を聞きエルサレムからペトロとヨハネが来て彼らの上に手を置き聖霊を授かった。これをみたシモンは金を持って来て聖霊を授かるよう頼んだが、ペトロから神の賜物を金で手に入れようと願う悪事を諭され悔悛の心を表し「泣きに泣いた」といわれる(19~24節)。教父時代にシモン-マゴグ(魔術師シモン)がグノーシス主義の父であるという伝承がある。
26節「さて、主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け』と言った。そこは寂しい道である」。次にフィリポに示された宣教は エルサレムから南西80キロの旧ガザ(戦争で破壊された)へ下る寂しい道で口語訳「このガザは、今は荒れはてている」としている。宣教は人の判断を超え、大衆の待ち受けている所とは限らない。そこで女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理していたエチオピア人の宦官と出会う(27節)。遥か二千キロの旅をしてエルサレムへの巡礼を終えて帰国するユダヤ教改宗者であった。彼は馬車に乗って予言者イザヤの書を朗読していた(28~30節)。聖霊はフィリポに「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と指示した。不思議な出会いである。大声で朗読している馬車に近づいて、読んでいることがお判りですかと声をかけた。それはイザヤ53章7~8節である(32~33節)。宦官は謙虚に.「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言っている(31節)。フィリポの「手引き」は真に適切であった。これは誰のことかと聞かれ、「羊のように屠り場に引かれて行った~」をイエスの十字架として説き、更に「彼の命は地上から取り去られるからだ」を復活の予言として伝えた(32~33節)。つまりイエスの十字架と復活が約束の実現であることを示した。「イエスについて福音を告げ知らせた」とはこれである(35節)。
これを受入れた宦官はバプテスマを受けたが、彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた」(39節)。フィリポは栄誉も賞賛も受けないで、その場を去るのである。
4節「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」(新共同訳)
1節「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」。小見出し『エルサレムの教会に対する迫害』。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ(2節)。この殉教は信徒達が地方に散って行く結果、宣教の拡大へとつながる。
3節「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」。彼がステファノの殺害に賛成し、石打ちの刑に立ち合い、石を投げる者らの着物を預かった人物として記されている(1節、7章58節)。
4節「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」。小見出し『サマリアで福音が告げ知らされる』。使徒たちは都を離れなかった為、結果的に自立した信仰を継承することになる。「巡り歩く」は新約聖書に43回出てくるが、使徒言行録は21回もある。福音が苦難という入れ物で持ち運ばれた。「殉教者の血は教会の種子である」(テルテュリアヌス)。
5節「フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた」。1章8節に預言された通りディアコヌース(奉仕者・第一テモテ2章8節“執事”)のフィリポによるサマリア宣教である。差別と偏見の壁を越えて福音は伝えられた。彼は初期の信徒伝道者である。町の人々は彼の話を聞き、悪霊が追い出され、癒しの業がなされ大いに喜んだ(6~8節)。
9節「ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた」。しかしフィリポが神の国とイエスの名による福音を語り、信じた者らがバプテスマを受かるのを見て、シモンもこれに心を引かれてバプテスマを受けた。この有り様を聞きエルサレムからペトロとヨハネが来て彼らの上に手を置き聖霊を授かった。これをみたシモンは金を持って来て聖霊を授かるよう頼んだが、ペトロから神の賜物を金で手に入れようと願う悪事を諭され悔悛の心を表し「泣きに泣いた」といわれる(19~24節)。教父時代にシモン-マゴグ(魔術師シモン)がグノーシス主義の父であるという伝承がある。
26節「さて、主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け』と言った。そこは寂しい道である」。次にフィリポに示された宣教は エルサレムから南西80キロの旧ガザ(戦争で破壊された)へ下る寂しい道で口語訳「このガザは、今は荒れはてている」としている。宣教は人の判断を超え、大衆の待ち受けている所とは限らない。そこで女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理していたエチオピア人の宦官と出会う(27節)。遥か二千キロの旅をしてエルサレムへの巡礼を終えて帰国するユダヤ教改宗者であった。彼は馬車に乗って予言者イザヤの書を朗読していた(28~30節)。聖霊はフィリポに「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と指示した。不思議な出会いである。大声で朗読している馬車に近づいて、読んでいることがお判りですかと声をかけた。それはイザヤ53章7~8節である(32~33節)。宦官は謙虚に.「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言っている(31節)。フィリポの「手引き」は真に適切であった。これは誰のことかと聞かれ、「羊のように屠り場に引かれて行った~」をイエスの十字架として説き、更に「彼の命は地上から取り去られるからだ」を復活の予言として伝えた(32~33節)。つまりイエスの十字架と復活が約束の実現であることを示した。「イエスについて福音を告げ知らせた」とはこれである(35節)。
これを受入れた宦官はバプテスマを受けたが、彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた」(39節)。フィリポは栄誉も賞賛も受けないで、その場を去るのである。