詩61篇
3節「心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上にわたしを導いてください」(新共同訳)
1~2節「指揮者によって。伴奏付き。ダビデの詩。神よ、わたしの叫びを聞き わたしの祈りに耳を傾けてください」。王に在りながら尚苦悩が絶えない状況が伺えよう。それはアブサロム反逆で、放浪中の歌であるといわれる(サムエル記下15章)。
3節「心が挫けるとき 地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に、わたしを導いてください」。直訳「わたしの心が弱る時(気を失う時)わたしは叫ぶ」。それは地の果てからである。「高くそびえる岩山」、直訳「私より高い岩山」、口語訳「及び難いほどの高い山」、エルサレムを指している。
4節「あなたは常にわたしの避けどころ、敵に対する力強い塔となってくださいます」。敵対するわたしの「強固な塔」(岩波訳)、御翼のもとに隠れる「避け所」ですと詠う。測り知れない信頼と従順を表わす。詩篇に多く出ている(17篇8節、36篇8節、57篇2節、63篇8節、91篇4節)。84篇4節では、それを羨む表現となっている。
6節「神よ、あなたは必ずわたしの誓願を聞き取り、御名を畏れる人に、継ぐべきものをお与えになります」。神の名を畏れる者らに「継ぐべきもの」(イェルシャト=エルサレム)を与えてくださるようにと誓願している。
7節「王の日々になお日々を加え、その年月を代々に永らえさせてください」。ここから聖歌隊によって、王の執成しとして歌われる祝いの合唱となる。それは王の長命と支配が永らえるようにというものである。王座について「慈しみとまこと」(ヘセド ヴェエメット)が御使いのように常に共なるようにと詠う(8節 詩23篇6節、40篇12節、57篇11節1see)。
9節「わたしは永遠にあなたの御名をほめ歌い、日ごとに満願の献げ物をささげます」。「日ごとに満願の献げ物をささげます」。直訳「日に日に、わたしの誓願を果たすために~」。「誓願」を新共同訳は「満願の献げ物」と訳している(レビ記27章see)。誓願とは何か。それは神から賜る嗣業の地エルサレムである(6節)、そのことを思い、いつまでも絶えず褒め歌うことである。
キリスト者にとって嗣業の地は御国を指す。
3節「心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上にわたしを導いてください」(新共同訳)
1~2節「指揮者によって。伴奏付き。ダビデの詩。神よ、わたしの叫びを聞き わたしの祈りに耳を傾けてください」。王に在りながら尚苦悩が絶えない状況が伺えよう。それはアブサロム反逆で、放浪中の歌であるといわれる(サムエル記下15章)。
3節「心が挫けるとき 地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に、わたしを導いてください」。直訳「わたしの心が弱る時(気を失う時)わたしは叫ぶ」。それは地の果てからである。「高くそびえる岩山」、直訳「私より高い岩山」、口語訳「及び難いほどの高い山」、エルサレムを指している。
4節「あなたは常にわたしの避けどころ、敵に対する力強い塔となってくださいます」。敵対するわたしの「強固な塔」(岩波訳)、御翼のもとに隠れる「避け所」ですと詠う。測り知れない信頼と従順を表わす。詩篇に多く出ている(17篇8節、36篇8節、57篇2節、63篇8節、91篇4節)。84篇4節では、それを羨む表現となっている。
6節「神よ、あなたは必ずわたしの誓願を聞き取り、御名を畏れる人に、継ぐべきものをお与えになります」。神の名を畏れる者らに「継ぐべきもの」(イェルシャト=エルサレム)を与えてくださるようにと誓願している。
7節「王の日々になお日々を加え、その年月を代々に永らえさせてください」。ここから聖歌隊によって、王の執成しとして歌われる祝いの合唱となる。それは王の長命と支配が永らえるようにというものである。王座について「慈しみとまこと」(ヘセド ヴェエメット)が御使いのように常に共なるようにと詠う(8節 詩23篇6節、40篇12節、57篇11節1see)。
9節「わたしは永遠にあなたの御名をほめ歌い、日ごとに満願の献げ物をささげます」。「日ごとに満願の献げ物をささげます」。直訳「日に日に、わたしの誓願を果たすために~」。「誓願」を新共同訳は「満願の献げ物」と訳している(レビ記27章see)。誓願とは何か。それは神から賜る嗣業の地エルサレムである(6節)、そのことを思い、いつまでも絶えず褒め歌うことである。
キリスト者にとって嗣業の地は御国を指す。