日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

主よ、どうか僕にお示しください

2012-01-31 | Weblog
 サムエル記上23章 

 11節「『ケイラの有力者らは、サウルの手にわたしを引き渡すでしょうか。…イスラエルの神、主よ、どうか僕にお示しください。』主は『彼は下って来る』と言われた」(新共同訳)

 1節「ペリシテ人がケイラを襲い、麦打ち場を略奪している、という知らせがあったので」。ここはダビデの逃亡生活である。小麦の収穫期にそれを略奪するのは盗賊の常套手段である。ケイラが襲われていることを耳にしたダビデは、主の託宣を得て敵ペリシテ人を攻撃しようとした(2節)。彼に従っていた兵士600人はペリシテ兵の戦列と相対して勝ち目は無いという。そこで再度主の託宣を求め「立て…行け。ペリシテ人をあなたの手に渡す」と指示されて対戦し大打撃を与えて勝利した。そしてケイラの住民を救った。彼の徹底した主への信頼が伺える(3~5節)。
 7節「ダビデがケイラに来たと知らされたサウルは、『神がダビデをわたしの手に渡されたのだ。彼は、扉とかんぬきのある町に入って、自分を閉じ込めてしまったのだ』と言った」。この情報を知ったサウルは全軍を差向けで町を包囲し、有力者にダビデを引き渡すよう伝える(9節)。ダビデは身の危険を感じて祭司アビアタルにエフォドを持って来させ、ケイラにサウルが来て、有力者がわたしと兵士を引き渡すかどうかを主に尋ねると、「引き渡す」と言われた。そこでダビデは六百人の兵士と共にケイラを去った。ここで有力者らはダビデの恩義を感じてサウルに背くなら、町は全滅すると判断したのか。人の心を見抜く神はダビデに町を去ることを託宣で示したのである。サウルは出陣をとりやめ、ダビデは再び放浪の旅をすることになる。ケイラから南東15キロのジフの荒れ野に逃れる。ジフの情報がサウルの耳に伝えられると、更に東へホレシャの要害に逃れる。
 15節「ジフの荒れ野のホレシャにとどまっていたダビデは、サウルが自分の命をねらって出陣したことを知った」。ホレシャにいるヨナタンからダビデに恐れることなく神に頼るようにと励ました。父サウロの手が及ぶことはない。イスラエルの王となるのはあなただと告げ、父も知っていると語り、二人は契約を結んだ(16~18節)。ジフの人々は、サウルにハキラの丘にあるホレシャの要害にいると伝えた。そして更に東数キロのマオンの岩場に移動する。これらはヘブロンの山岳地帯である(24節)。しかしどこに逃れても神は彼をサウルの手に渡されなかった。サウルはマオンの荒れ野にダビデを追跡した。この時サウルは山の片側を行き、ダビデとその兵は山の反対側に行った(26節)。サウルの兵が周囲から迫り、取り囲まれたが使者が来てペリシテ人が国に侵入してきたので急いで帰るようにと伝えたので、追うことを止めている(27節)。

 ここで示されるのは詩46篇2節神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」である。


要害にとどまらず、ユダの地に出て行く

2012-01-30 | Weblog
  サムエル記上22章
 
  5節「預言者ガドが、『要害にとどまらず、ユダの地に出て行きなさい』と言ったので、ダビデはハレトの森に移って行った」(新共同訳)

  1節「ダビデはそこを出て、アドラムの洞窟に難を避けた。それを聞いた彼の兄弟や父の家の者は皆、彼のもとに下って来た」。アドラムには南ユダの丘陵地帯に石灰岩で出来た大きな洞窟(要害)があったと言われる。難を逃れたこの洞窟に家族一同と、困窮者や不満を抱く者ら400人の者が集まった。一つのダビデ集団が発生したのである(2節)。彼は取敢えず両親を先祖の地モアブのミズパにいる王に託した(3~4節)。その後預言者ガドによる神の託宣で、ダビデとその集団はユダの地ハレトの森に移って行った(5~6節)。神の言葉に忠実なダビデの一面をここに見る。この行動を知ったサウルはギブアにある丘に立ち、家臣の王に対する忠誠心に疑義を抱いて詰問した。それは一団となって王に背き、ヨナタンとダビデが契約を結んでも知らせず、息子がダビデを王に刃向かわせ、ねらわせても、憂慮もせず耳に入れもしないと言うのである(7~8節)。ところが家臣の一人エドム人ドエグがサウルの傍に立って、祭司アヒメレクの許にダビデが来て、彼のために主に託宣を求め、食糧を渡し、ゴリアトの剣を与えた事柄を垣間見たと告げた(9~10節)。これは21章5~8節に出ている事柄である。サウルは祭司アヒメレクと、ノブで祭司職にある父の家の者をすべて呼び出した。彼らは皆、王のもとに来た。そして何故エッサイの息子と組んで王に背き、刃向かい命をねらうようなことをしたかと詰問した(11~13節)。
  14節「アヒメレクは王に答えた。『あなたの家臣の中に、ダビデほど忠実な者がいるでしょうか。ダビデは王様の婿、近衛の長、あなたの家で重んじられている者ではありませんか』」。そして僕(しもべ)と父の家の者に罪をきせないでください、僕は事の大小を問わず、何も知らなかったと弁明した。しかし王は死罪だと言って、傍らに立つ近衛兵に命じが、王の家臣は誰も、その手を下して主の祭司を討とうとはしなかった(15~17節)。アヒメレクの適切なダビデの人物を表す言葉を殺意で否定する処に、サウルの王失格が浮かび上がる。ここでエドム人ドエグに命じたので、亜麻布のエフォドを身に着けた祭司ら八十五人を討った。更に祭司の町ノブを襲い、男女、子供も乳飲み子もまた牛やろば羊もみな剣にかけた(18~19節)。祭司一族を根絶することは、イスラエル共同体を否定し神に背を向けることになる。
  20節「アヒトブの子アヒメレクの息子が一人、難を免れた。アビアタルという名で、彼はダビデのもとに逃れた」。アビアタルから、サウルが祭司アヒメレクの一族と祭司の町ノブの人々を殺した事をダビデは聞いた時、エドム人ドエグが居合わせ、サウルに報告することを予想していたのに、何の手立てしなかったこと、その為に祭司の家の者の命を奪わせた責任を深く感じたのだった。そして「わたしの許にいれば命は奪われず安全だった」と悔いている(21~23節)。アビアタルの保護は、この後彼の祭司としての働きにつながっていくことになる(23章9~12節、サムエル記下15章)。

  人は誰も神への背信の罪を除かれねばならない(詩32篇1~2節)。
  

人々の前で変わったふるまいをした

2012-01-29 | Weblog
  サムエル記上21章 

  14節「そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。」(新共同訳)

  1節「ダビデは立ち去り、ヨナタンは町に戻った」。ここからダビデの逃避行が始まる。ここでは勇姿のダビデではなく、彼の弱さが一面に出てくる。彼はヨナタンと別れて単身ノブの地に逃れた(2節)。ノブは祭司エリの子孫が住んでいる町であったが、そこで祭司アヒメレクに会った。何故一人なのかと尋ねられたが、ダビデは真相を告げないで、王の命令である場所に行って従者たちと落ち合うことになっていると答えた(3節)。彼はアヒメレクに糧食パン5個を求めたが、普通のパンはなく、供えのパンを焼いて取り換える日だったので、その聖別された供えのパンを頂いた(4~7節)。この事柄は新約聖書で安息日問題として取り上げられている(マルコ福音書2章25~26節)。
  8節「そこにはその日、サウルの家臣の一人が主の御前にとどめられていた。名をドエグというエドム人で、サウルに属する牧者のつわものであった」。この時サウルの家臣ドエグがいる事を知りながら、見過ごしてしまう失敗をした。これは後で後悔することになる(22章22節see)。更に急な用件だったので剣も武器も持って来なかった為、アヒメレクに武器を求めた。祭司はゴリアテの首をはねた剣があるといったので、それを手に入れる(9~10節)。剣を手にしなければならない人間的な弱さが伺える。
  11節「ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た」。この時ガドの王アキシュの家臣が、この男はかの地の王ダビデではないかと言った。『サウルは千、ダビデは万を討った』という噂が伝わっていることを耳にした彼は心にかかり、王アキシュを大変恐れ、狂態を演じて敵意のないことを示さねばならなかった(12~13節)。
  14節「そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした」。サウルの狂った有様を見てきたダビデのこの演出は、真に哀れである。アキシュは、彼の狂った様をみて家臣に、何故連れて来たのかと咎めている(14~16節)。
 
  この時の苦境を取り上げた詩34篇(アルファベットによる詩)がある。これは後代作品で、ダビデの作ではない。アキシュでなく、アビメレクの前で狂気の人を装い、追放された時~となっている。この詩人はその心境を「助けを求める叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される。主は打ち砕かれた心に近くいます」と歌っている(18~19節)
  キリスト者も弱さの只中で主を呼ぶ者である(コリント第二の手紙12章9節)。

死とわたしとの間はただの一歩

2012-01-28 | Weblog
   サムエル記上20章 

  3節「それでもダビデは誓って言った。「…主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。死とわたしとの間はただの一歩です」(新共同訳)

  1節「ダビデはラマのナヨトから逃げ帰り、ヨナタンの前に来て言った。「わたしが、何をしたというのでしょう。お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか」。本章ではサウルの殺意とヨナタンの友情が反比例して描かれる。ダビデは妻ミカルのいる家に帰るが、ヨナタンに会って王の殺意の真相を確かめようとした(2節)。それは王位継承と二人の関係に対する誤解から来るのではないかということであった(3節)。この時「死とわたしとの間はただの一歩です」と言った。これは徹底した自己否定を表す。すべての判断や行動は生ける主とあなたの間に委ねるということである。ダビデはヨナタンに新月祭で会食する時、不在を質して殺意の有無を知るという方法を提案した(4~8節)。それは三日目の夕方まで野原に隠れていて、不在の理由を告げた時承諾したら無事だが、ひどく立腹したら危害を加える決心をしているということになる。もしそうなら、だれがそれを知らせるかである。そこで矢の伝達方法を考えた。ダビデが潜んでいる野原のエゼルの石の傍らに矢を確認の為三本放つ。『矢を見つけて来い』と言って従者をやるが、次に『矢はお前の手前にある、持って来い』と言ったら無事である。しかし『矢はあなたのもっと先だ』と言ったら逃げなければならない(20~24節)。
   24節「ダビデは野に身を隠した。新月祭が来た。王は食卓に臨み~」。その日ダビデの席は空席だったが、サウルは何も言わなかった(25~26節)。二日目サウルは空席に気が付き、二日も来ないのは何故かとヨナタンに問い質した。町で犠牲を献げる為と応えるとサウロは激怒し、ヨナタンが王権も確かでないのにダビデを贔屓(ひいき)にして自分を辱めているといったので彼は食事をしないで席を立った(27~34節)。
  35節「翌朝、取り決めた時刻に、ヨナタンは年若い従者を連れて野に出た」。予め取り決めていたダビデが潜んでいる場所に行って従者に「矢を見つけて来い」と言った。彼を越えるようにヨナタンは矢を射た。そして「矢はお前のもっと先だ」と呼ばわり、早くしろ、急げ、立ち留まるなと声をかけた(36~38節)。何も知らなかった従者にヨナタンは武器を渡して先に帰らせた。草むらから出て来たダビデは三度伏して礼拝し、互いに口づけし、共に泣いた(41節)
  42節「ヨナタンは言った。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから」。あなたとわたしの間に主が永遠におられると言った。これは23節にもある。これと完全に対比するのが「死とわたしの間の一歩」(3節)である。申命記33章27節(口語訳)「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある」の通りである。

  生命の安全が保障されている現代社会でも、突然の死が襲う。事故や自然災害、犯罪に巻き込まれて襲われる死。不幸な魔手を断ち切るすべは無いのか。命の根底を支えられるお方として、イエスを信じ受け入れることができるなら、何と幸いであろう(ヨハネ福音書11章25節)。

その傍らで竪琴を奏でていた

2012-01-27 | Weblog
  サムエル記上19章 

  9節「ときに、主からの悪霊がサウルに降った。サウルは館で槍を手にして座り、ダビデはその傍らで竪琴を奏でていた」(新共同訳)

  1節「サウルは、息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すようにと命じた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデに深い愛情を抱いていたので~」。サウルの殺意は遂に公になる。しかし、息子ヨナタンはこれを阻止しようと考えた。そしてダビデに注意を促がし見つからないよう隠れ場にいるようにと伝えた。そして翌朝野原に出て行き父の傍らで、その真意を確かめてみると言った(2~3節)。
  4節「ヨナタンは…ダビデをかばって話した。『王がその僕であるダビデのゆえに、罪を犯したりなさいませんように。彼は父上に対して罪を犯していないばかりか、大変お役に立っているのです』」。彼が命を懸けてあのペリシテ人を討ったから大勝利になり、それで喜び祝われたのに、何故罪なき者を理由なく殺すのかと述べると王はこれを聞き入れ、主に誓って殺さないと言った。ヨナタンはこれをダビデに伝え、元通り王に仕えた(5~7節)。しかしこの後も王はまた悪霊につかれ、傍らで竪琴を奏でていたダビデを槍で突き刺そうとしたが、ダビデは難を免れた(8~10節)。
  11節「サウルはダビデの家に使者を遣わし、彼を見張らせ、翌朝には殺させようとした。ダビデの妻ミカルはダビデに言った。『今夜中に避難して自分の命を守らなければ、明日は殺されます』」。ここでもミカルにより窓から逃げ出して難を免れることが出来た。サウルの使者が来た時、ミカルは彼が病気で伏していると言ったが、床を剥ぐと山羊の毛を頭にかぶせたテラフィムが置かれていた(12~16節)。サウルはミカルを咎めたが、逃さないとお前を殺すと言われたと偽って弁明している。難を逃れたダビデはラマのサムエルのもとに行き、サウルの仕打ちをすべて報告した。二人は共にナヨトに行き、そこにとどまったが、ダビデの行方をサウルに告げる者がいた(17~19節)。
  20節「サウルはダビデを捕らえようと使者を遣わした。彼らは預言者の一団が預言しているのに出会った。サムエルが彼らの先頭に立っていた。神の霊はサウルの使者の上にも降り、彼らも預言する状態になった」。サウルはこの報告を聞いて他の使者を遣わしたが、彼らもまた預言する状態になった。三度追っ手を送ったが、彼らも同じ状態になった。サウル自身がラマに向かい所在を訊ねたが、ラマのナヨトに行ったと聞き、そこに向かった。彼自身も預言の状態で歩き続け、着物を脱ぎ捨て、一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた。このため「サウルもまた預言者の仲間か」と人々が言ったとある(21~24節)。これはサウルが王の召命を受ける前に既に記され、サウルの流言(りゅうげん)となっていた(10章9~11節)。
 サウルは悪霊に憑かれて正常ではなかったのである(18章10節see)。

 殺意に取り囲まれた時の祈りはこうである。
 「わたしの力と頼む神よ、あなたにほめ歌をうたいます。神はわたしの砦の塔。慈しみ深いわたしの神よ。」(詩59篇18節)


主は彼と共におられ

2012-01-26 | Weblog
 サムエル記上18章 

  13~14節「…ダビデは兵士の先頭に立って出陣し、また帰還した。主は彼と共におられ、彼はどの戦いにおいても勝利を収めた」(新共同訳)

  1節「ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した」。サウルとの話は、彼の前にゴリアトの首を持って出た時に訊ねてエサイの息子だと答えたことだが(17章58節)、ダビデの素情を知らない筈がないのに、何故訊ねたか判らない。この時ダビデは王宮に召し抱えられた訳である。同席していたヨナタンは自分自身のように愛し、契約を結び自分の上着や装束していた武具をも与えた(2~4節)。ヨナタンとの友情物語は19章に出てくる。
  ダビデが出陣する度に勝利を収めた為、サウルは彼を戦士の長に任命した。これはすべての兵士も、サウルの家臣も大いに喜び、町に凱旋して帰ると女たちが歓声をあげ、太鼓や三絃琴を奏で踊りながら、サウル王とダビデ一行を迎えた(5~6節)。これは、出エジプト記15章20~21節、士師記11章34節にもある。この時女たちが「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌ったので、王は激怒し妬んだ。次の日、悪霊が王に降り、ものに取りつかれた状態に陥り、竪琴を奏しているダビデを槍で突き刺そうとした(7~11節)。「ものに取りつかれた状態」を口語訳「狂いわめいた」となっている。10節は16章14、22節と同じ状況だが、違うのは嫉妬で殺意を抱いていること。それにも拘わらずダビデは忍従をもって王に仕えている。
  12節「主はダビデと共におられ、サウルを離れ去られたので、サウルはダビデを恐れ~」。激戦地にダビデを送るが主が共におられたのでどの戦いも兵士の先頭に立って勝利した(14節)。そこでサウルは初め長女を妻として与えようとしたが、アドリエルに嫁がせ、ダビデがミカルを愛していたので、好都合と考え一計を案じた。それは彼が王の婿になるには貧しく身分が低い者だと言った言葉を家臣から聞いて、結納金は望まないから、王の敵の報復のしるしとして二百人のペリシテ人を殺して陽皮百枚を持参するようにと告げた。これはペリシテ人の手でダビデを倒そうという魂胆だった。ダビデは、王の求めに応じたのである(17~25節)。「陽皮」(男性の性器の包皮)を求めたのは、ペリシテ人の無割礼に対する嘲笑行為の意味と考えられるが、陰惨な事柄と言わざるをえない。
  27節「自分の兵を従えて出立し、二百人のペリシテ人を討ち取り、その陽皮を持ち帰った。王に対し、婿となる条件である陽皮の数が確かめられたので、サウルは娘のミカルを彼に妻として与えなければならなかった」。サウルは、主がダビデと共におられること、娘ミカルがダビデを愛していることを思い知らされて、いっそう恐れ、生涯ダビデに対して敵意を抱いたとある。ペリシテ軍との対戦は続いたが、彼はそのたびに家臣のだれよりも武勲を立て、名声を得た(28~30節)。

 箴言4章30節に「娼嫉(ねたみ)は骨を腐らせる」(元訳)とある。必要なのは「分別」である(サムエル記上16章18節)。Ⅱテモテ1章7節も参照したい。

この戦いは主のものだ

2012-01-25 | Weblog
  サムエル記上17章 

  47節「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、…すべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」(新共同訳)

  1節「ペリシテ人は戦いに備えて軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集結し、ソコとアゼカの間にあるエフェス・ダミムに陣を張った」。本章はダビデとゴリアトの一騎打という一つの物語として読むことが出来る。エラの谷を挟んでペリシテ軍とイスラエル兵が対峙した。ペリシテ陣地から背丈六アンマ半(2.9メートル)の巨人ゴリアトというガド出身の戦士が出て来た(2~4節)。同名の人物がサムエル記下21章19節にあり、彼はベツレヘム出身のエルハナンが打ち殺したことになっているが物語は混乱するので、ここでは無視する。5~7節にゴリアトが屈指の戦士で身に着けた武具は尋常ではないことを説いている。彼の前には、盾持ちがいた。イスラエルの陣営に向かって一騎打ちをしようと名乗りを上げ、負けた方の陣営はみな奴隷になると叫んだ(5~10節)。
  余談であるが、イスラエル旅行をした時、このエラの谷に行き手土産に小石を拾って帰った。子供たちにこの物語を聞かせる為だったが、今は地形がすっかり変わっていた。
  11節「サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた」。この戦いにはエッサイの三人の息子エリアブ、アビナダブ、シャンマという三人の兄が出陣していた。この時末息子のダビデは16章14~23節にある通りサウル王にもっぱら仕えていると考えられたが、ここでは「行ったり来たりして、サウルに仕えたり、ベツレヘムの父の羊を世話したりしていた」とある(15節)。父親はダビデに戦いの陣営にいる兄達にパンと炒り麦を届けて安否を問いに行かせた(17~18節)。エラの谷ではゴリアテが四十日間も朝晩出て来て決着しないので、兵は鬨の声あげて前戦に出るところだった。ダビデは兄たちに会って安否を問い、話している時に、ゴリアトがペリシテ軍の戦列から現れて、いつもの言葉を叫んだ(19~23節)。これを聞いたダビデは彼を打ち倒せば何をしてもらえるのかと兵士に訊ねた。そこでもし倒すことが出来たなら、王から大金を賜り、更に王女をくださり、父の家にはイスラエルにおいて特典を与えられると答えた。長兄エリアブはこの会話を聞いて立腹し厳しく批判した(24~29節)。この後ダビデは王に召し出され、ゴリアトと対戦することになる(30~35節)。
  36節「わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから」。王は彼に鎧と兜を貸し与えようとしたが、慣れない装束で断り、自分の杖を手に川岸の滑らかな石五つと石投げ紐を手にしてゴリアトと対戦した(37~40節)。これを見たゴリアトは彼を侮り、お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろうと罵った(41~44節)。 
  45節「…『「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう』」。この対決はあっけなく決着がついた。ダビデの石が彼の額に食い込み、うつ伏せに倒れ、彼の剣でとどめを刺し、首を切り落とした。これを見たペリシテ軍は逃げ出し、これをイスラエルは追跡したのである(46~52節)。
  この物語の中心はダビデの勇敢さより、「剣と槍を必要としない」万軍の主の戦いであり勝利であることを強調しなければならない。ここでは教会学校でなじみの讃美歌21-484番「主われを愛す」がぴったりする。


竪琴の名手を見つけ出せ

2012-01-24 | Weblog
  サムエル記上16章 

  17節「サウルは家臣に命じた。『わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい』」(新共同訳)

  1節「主はサムエルに言われた。『いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした』」。サムエルの嘆き(15章35節)に対して、主は新しい王の登場を指示された。それはベツレヘムのエッサイの許を訪ねることであった。これは既にルツ記4章で予言されていたことである。ベツレヘムに行くならサウルは敵意を抱いて殺すという不安を告げると、主は若い雌牛を引いて行き、主に犠牲を献げるために来たと言いなさいと告げた。主が言われる通りにした(2~4節)。ベツレヘムの町の長老は不安げに出迎え、理由を尋ねたので、サムエルは主に犠牲を献げる為なので、身を清めて、いけにえの会食に一緒に来るようにと応えた。そしてエッサイとその息子たちをそこに招いた。そこで彼は長兄エリアブが、主の前に油を注がれる者だと思った(5~6節)。
  7節「しかし、主はサムエルに言われた。『容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」。これはサウルを教訓として伝える主の言葉である(9章2節)。エッサイはサムエルの前に面通しをしたが、主が選ばれる者は、エリアブでも二男アビナダブでも、また三男シャンマでもなかった。七人の息子はみな当たらなかったので、息子はこれだけかと尋ねるとエッサイは、末の子が残っているが今、羊の番をしていると言った。そこで彼を呼びに行かせた(8~11節)。
  12節「…彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。『立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ』」。サムエルの評価はダビデの内面性と思われる。神の物差しと彼の物差しが一致し、そこで油の入った角を取り出し彼に油を注いだ。主の霊が激しくダビデに降るようになった。これに対して主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった(13~14節)。何時の頃か判らないが、縦琴を奏でて心が安らぐというのは精神疾患と言えなくはない。サウルは家臣に、竪琴を上手に奏でる者を探して来るよう命じた(15~17節)。
  18節「従者の一人が答えた。『わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です』」。このダビデがサムエルから油注がれたイスラエルの王に相応しいことを、従者は知らないで評価したことになる。この選びの要となるのは、「主が共におられる人」という点にあった。早速サウルは、エッサイに使者を立て、羊飼いのダビデが召し出された。彼はサウルのもとに来て、王に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた(19~21節)。口語訳は「王はダビデを非常に愛した」となっている。サウルは父エッサイに羊飼いの身分から、王の護衛に引きたてたことを告げて了解を得ている(22節)。神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れたという(23節)。

  神の選びが人の側ではなく、神ご自身の計らいであることは、聖書に出てくるすべての人物に当たる(ヨハネ福音書15章16節、ガラテヤ1章15節see)。

主が喜ばれるのは御声に聞き従うこと

2012-01-23 | Weblog
  サムエル記上15章 

  22節「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる』」(新共同訳)

  1節「サムエルはサウルに言った。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい」。本章は主の言葉を聞くことが如何に重要であるかを試される処である。サムエルから告げられたのは、アマレクに対してこれを滅びし尽すことであった(2節)。アマレクは砂漠の遊牧民であったが、その攻撃の理由が出エジプト時代にまで遡るのは、如何にイスラエルにとって宿敵であったかを表す(出エジプト17章8~16節)。男女子供、家畜すべてを打ち殺し容赦してはならないとは「聖絶規定」で、これまで何回も出てきた(民数記21章2~3節、ヨシュア記11章6~20節)。これは神の唯一絶対性を示すことで、社会倫理的に容認されるメッセージではない。ここではサウルにサムエルを通して、神の御声に聞き従うか否かの二度目(13章8~14節)の試練となった。
  4節「サウルは兵士を召集した。テライムで兵士を数えると、歩兵が二十万、ユダの兵は一万であった」。サウルはアマレク人と共にいたカイン人に、かつて親切を示してくれたので、避難するようにと伝え、彼らは立ち退いた(5節)。サウルはアマレクの王アガグを生け捕りにし、民を剣で殺したが、家畜は上等なものは惜しんで滅ぼし尽さなかった(7~9節)。
  11節「『わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない』。サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ」。主に背を向けて陥ったサウルの罪過のゆえに、主に向かってサムエルは悲嘆と苦悩の中で、夜通し叫んだのである。この時サウルはカルメルに戦勝碑を建てギルガルで祭壇を築いて献げ物をしようとした。サムエルはサウルの言動を問い糺す。サウルは自分の過ちに気付くが、その責任を兵士に転嫁し、また勝利品の中から最上の供え物を献げようとしたと弁明する(12~19節)。彼は「わたしは主の御声に聞き従いました」(20節)と言うが、それは自己弁護する詭弁であり、不徹底な信心を暴露する。
  22節「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる』」。そして、主の言葉を退けたあなたは王位から退けられると告げた(23節)。サウルは兵士をおそれ、彼らの声に聞き従い、主の言葉に背いたと告白し、一緒に帰って下さい、主を礼拝しますと言ったが、サムエルは身を翻して去ろうとした。その時彼の上着の裾をつかんだら上着が裂けた(24~27節)
   28節「サムエルは彼に言い渡した。『今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたよりすぐれた隣人にお与えになる』」。サムエルとサウルの断絶を象徴しているかのようである。しかしサムエルは、サウルがイスラエルと長老達の手前一緒に帰ってくださいという願いを聞いている(29~31節)。この後、アマレクの王アガグはサムエルの手で殺された。またサムエルはサウルと再び会うことなく、彼のために歎いた(32~35節)。
  「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえでなく、主の御声に聞き従うことである」ということは信仰の基本であり、イザヤ1章11~17、ホセア6章6、アモス5章21~24節、詩51篇19、そしてローマ12章1節にもある。

神はサウルに答えられなかった

2012-01-21 | Weblog
 サムエル記上14章 

  37節「サウルは神に託宣を求めた。『ペリシテ軍を追って下るべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるでしょうか。』しかし、この日、神はサウルに答えられなかった」(新共同訳)

  1節「ある日、サウルの息子ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。『さあ、渡って行き、向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう』ヨナタンはこのことを父に話していなかった」。小見出しに「ヨナタンの英雄的行動」とある。彼の活躍振りが語られているが、同時に王サウルの無能も出ている。彼の許には六百人の兵士がいたが、武器を持つ従卒と二人で、切り立った岩の一方ボツェツ、他方センネと呼ばれる処に行った(2~4節)。そこではペリシテ軍の先陣が渡ろうとして構えていたのである。
  6節「ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。従卒はあなたと一心同体だから行きましょうと言った。そこでヨナタンは、ペリシテ軍に姿を見せた時、彼らが「そこに行くからじっとしていろ」と言ったら、切り立った崖を登って行くことは止めるが「登って来い」と言ったら、主が彼らを我々の手に渡して下さると従卒に伝えた(7~10節)。先陣の兵士らが「登って来い」といったので、両手両足でヨナタンはよじ登り、彼らは倒れ従卒が止めを刺した。その数は二十名程だった。恐怖が陣営全体に広がり、地は揺れ動いた(11~15節)。サウルの見張りはペリシテ軍が右往左往しているのに気づきサウルに知らせると、誰が出て行ったかを調べさせた。点呼の結果ヨナタンと従卒だと判った(16~18節)。敵陣は同志討ちをし、益々混乱に陥り、そこにイスラエル軍は奇襲攻撃をしたので、彼らはベト・アベンへと敗走した。主はイスラエルを救われた(19~23節)
  24節「この日、イスラエルの兵士は飢えに苦しんでいた。サウルが、『日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ』と言って、兵に誓わせていたので、だれも食べ物を口にすることができなかった。」。民に勝利するまで断食の誓をさせたことは、サウルの王として判断を誤らせた無能振りを示す事柄だった。ヨナタンはこれを知らないで杖の先端で蜂の巣の蜜に浸して手につけ口に入れた時、彼の目が輝いた。兵士たちも戦利品に飛びかかり、羊も牛もし、血を含んだまま食べた(27~32節)。この時サウルは兵士らに牛を引いて来て、主の祭壇を築いて血を含まないで酬恩祭の犠牲を献げさせている(33~35節)。神の託宣を求めたが神は応えられなかったので、原因は何かをくじ引きで調べさせたところ、ヨナタンに当たった。それはヨナタンが杖の先で蜂蜜をつけ口で舐めた行動(17節)が、24節にある誓いを破ることだったと判明した(36~43節)。ヨナタンは自分が死なねばならないと告げると、民はこの大勝利は神が共に居られたからで、とんでもないと告げ、死を免れた(44~46節)。ここでも籤引きで原因を調べるという安直な方法が間違いであったという、王の判断が試された事柄であった。この後サウルは王権を振るって周辺の王たちと戦いをおさめた(47~48節)。
  49~51節はサウル王一族の紹介で、18章、31章、サムエル記下2章等に出てくる。
 ここはヨナタンの活躍と対比してサウルの王としての資質が試された物語である。誰でも、主が共にいることを知る賢明さが求められる(45節)。

主がお与えになった戒め 

2012-01-20 | Weblog
  サムエル記上13章 

  13節「…『あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに』」(新共同訳)。

  1節「サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき~」。口語訳では「三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた」となっているが、原文(ベン・シャーナー)は「息子の年」で、一つの区切りを表わしている。当初彼は一部族の王だったが、一年後イスラエルの王となったのである。二年後彼は対ペリシテ戦で鋭兵三千人を対戦に向かわした。その内千人をベニヤミンのギブアでヨナタンのもとに置きペリシテの守備隊を打ち破った(2~3節)。ヨナタンはサウルの息子である。サウルは国中に角笛を吹き鳴らし、ギルガルに集め、ペリシテから憎しみをかうことになったことを伝えた。
  5節「ペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結した。その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった。彼らは上って来て、ベト・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた」。「戦車三万、騎兵六千」とあるが、口語訳は「戦車三千、騎兵六千」。ヘブライ語の数字の読み方は難しい。余りの兵の多さにイスラエルは圧倒され、危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。河を渡ってガドやギレアドの地に逃げ延びた者もあった。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、彼の後ろで慄いていた(6~7節)。
  8節「サウルは、サムエルが命じたように、七日間待った。だが、サムエルはギルガルに来なかった。兵はサウルのもとから散り始めた」。堪りかねたサウルは兵に命じて燔祭と酬恩祭(口語訳)を献げた(8~9節)。献げ終えたそのとき、サムエルが到着したので、サウルは彼に挨拶しようと迎えに出た。約束をいつしたのかは不明であるが、サムエルは何をしたのかと質した。七日待っても来られないので、兵は散りはじめ、敵はミクマスに集結しているので、嘆願しようと燔祭を献げているのですと応えた(10~12節)。祭壇に献げ物をする祭儀はレビ族サムエルの権限であった。これは、11~12章で示されていた王の権限を逸脱したことを指す。彼の短慮が犯した失敗である。ベニヤミン族のサウルには祭儀の権限は与えられていなかった。
  13節「サムエルはサウルに言った。『あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに』」。今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を民の指導者として立てられる。サムエルはギブアに行った。サウルの兵士は約六百人オフラに通じる道からシュアル(ベテル北東方面十キロ)、一隊はベト・ホロンに通じる道(ギブオン北西八キ)、残る一隊は荒れ野の方角から国境エルサレム南東で、波状攻撃を掛けて混乱を起こす戦略であったと思われる(14~18節)。この戦闘で決定的に不利なのは、イスラエル軍には鍛冶屋がいなく鋤や鍬や斧や鎌を研いで、剣や槍に打ちかえることが出来なかった為に、戦場で用いられなかったことである。
  22節「こういうわけで、戦いの日にも、サウルとヨナタンの指揮下の兵士はだれも剣や槍を手にしていなかった。持っているのはサウルとその子ヨナタンだけであった」。鉄製の武器が無かったことは戦闘の不利となったことは確かであるが、ここで問題なのは、王が祭儀・宗教を支配しようとする政治的な誘惑が、唯一絶対なる神に対する背反となるからである。これは15章でも起きている。箴言16章32節に「自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。」とある。サウルの短慮は王位を失う原因となった。

心を尽くして主に仕えなさい

2012-01-19 | Weblog
サムエル記上12章 

  24節「主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい」(新共同訳)

  1節「サムエルは全イスラエルに向かって言った。『わたしは、あなたたちがわたしに求めたことについては、すべてあなたたちの声に従い、あなたたちの上に王を立てた』~」。小見出しに「サムエルの告別の辞」とある。サムエルは民が立てた王に従っていくことを告げ、自らは年老い、髪も白くなったので、これからは主と主が油を注がれた方の前で訴えなさい。もしわたしが不正を働き、誰かを踏みにじり、賄賂を取ったことがあるなら全て償うと、指導者として自分の身の潔白を証明しようとした(2~3節)。民は何一つ抑えつけたり踏みにじったりしたことがないと応え、主と油注がれた者がその証人であるとサムエルも答えている(4~5節)。
  次に、サムエルは民に、主がモーセとアロンを用いて民をエジプトから導き上り、この地に住むようになってから今まで敵の手から救い出して下さったこと、エルバアル、ベダン、エフタ、サムエルという士師によって安全に住めるようになったことを語る(6~11節)。
  12節「ところが、アンモン人の王ナハシュが攻めて来たのを見ると、あなたたちの神、主があなたたちの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々の上に君臨すべきだ』とわたしに要求した」。そこでその要求により、主はあなたたちに王をお与えになった。今見よ、あなた達が求め選んだ王がここにいると言った。
  14節「だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい」。否定的であった王制国家に対して、サムエルはここで肯定的に受け入れるに際して、偉大な主の力の顕現を示すのである。
  16節「さあ、しっかり立って、主があなたたちの目の前で行われる偉大な御業を見なさい」。サムエルが主を呼び求めると、主は雷と雨を下された。民は皆主とサムエルを非常に恐れた。そして皆、サムエルに、僕たちのために、あなたの神、主に祈り、我々が死なないようにしてください。確かに、我々はあらゆる重い罪の上に、更に王を求めるという悪を加えたことを悔い改めた。そこでサムエルは、恐れるなら今後は、虚しいものにそれることなく主に付き従い、主に仕えなさいと告げた(17~21節)。
  22節「主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかになさらない。主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである」。またサムエルも決して祈ることを止め、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。だからあなたたちは主を畏れ、心を尽くし、誠実をもって主に仕え、主がいかに偉大なことを示されたかを悟りなさいと述べた(23~24節)。

今日、主が救いの業を行われた

2012-01-18 | Weblog
  サムエル記上11章 

  13節「しかし、サウルは言った。「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから」(新共同訳) 

  1節「さて、アンモン人のナハシュが攻め上って来て、ギレアドのヤベシュを包囲した。ヤベシュの全住民はナハシュに言った。『我々と契約を結んでください。我々はあなたに仕えます』」。契約の内容を聞いて驚く。それはお前たち全員の右の目をえぐり出すのが条件だという。これは完全な支配と服従を意味する。そこでヤベシュの長老たちは、七日間の猶予を願い、使者はサウルのいるギブアに行って、事の次第を民に報告した。民のだれもが声をあげて泣いた。牛を追って畑から戻って来たサウロは、その理由を民から聞いた(2~5節)。
  6節「それを聞くうちに神の霊がサウルに激しく降った。彼は怒りに燃えて~」。まるで士師サムソンのようだった(士師14章19節)。一軛の牛を捕らえ、それを切り裂き、使者に持たせイスラエル全土に送りつけた。そしてサウルとサムエルについて出陣しないなら、この牛のようになると檄をとばした。民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した。彼がベゼクで彼らを点呼すると、イスラエルが三十万、ユダが三万であった(7~8節)。
  9節「彼らはヤベシュから送られて来た使者に言った。「ギレアドのヤベシュの人々にこう言うのだ。『明日、日盛りのころ、あなたがたに救いが来る。』」使者が帰って来てそう知らせると、ヤベシュの人々は喜び祝った」。翌日、サウルは民を三つの組に分け、朝の見張りの時刻にアンモン人の陣営に突入し、日盛りのころまで彼らを討った。生き残った者はちりぢりになり、二人一緒に生き残った者はいなかった(10~11節)。この時、『サウルが我々の王になれようか』と侮った者らを引き渡してくだされば殺すと言ったが、サウルは言った。「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだからとこれを否定した。このサウロを侮った出来事は、10章27節にあり、「ならず者」(口語訳「よこしまな人々」)となっている。彼が内紛を避けたことは王の資格として賢明だった。内部で争う国は滅びる。ヤベシ・ギレアドの住民がサウルに抱いた温情は忘れることは無かった(31章11~13see)。
  14節「サムエルは民に言った。「さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を興そう」。この指示に従って民はギルガルに行き、そこでサウルを王として主の御前に立てた。和解の献げ物(酬恩祭)を主の御前にささげ、サウルもイスラエルの人々もすべて、大いに喜び祝った。

 王に相応しい資格は柔和と謙遜である。それはロバに乗ってエルサレルに入城される方に示されている(ゼカリヤ書9章9節。マタイ福音書21章5節)。

 神に心を動かされた勇士たち

2012-01-17 | Weblog
  サムエル記上10章

 26節「…神に心を動かされた勇士たちはサウルに従った」(新共同訳)
  
  1節「サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。『主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです』」。9章27節につながっている。サムエルは主から告げられた通り(9章16節)、若者サウルの人間性を見極める前に王の任職を示す頭に油を注いだ(サムエル記上16章3節=ダビデ、列王記上1章39節=ソロモン)。これは秘密時になされた。サムエルは彼にベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓の脇で二人の男に出会い、ろばが見つかったこと、父親が気遣ってどうしたものかと言っていると告げる。更にタボルの樫の木まで行くとベテルに神を拝みに上る三人の男に出会い、子山羊三匹とパン三個、ぶどう酒一袋を持っていて、挨拶し、二個のパンをくれる。次にペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに向かい、琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にした預言者の一団に出会い預言状態(恍惚状態を指す)になっている。主の霊があなたに激しく降りあなたも預言する状態になり、あなたは別人のようになる。この三つのしるしを示された(3~6節)。
  7節「これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです」。そして先にギルガルに行き、燔祭と酬恩祭を献げて七日間待つようにと言った。サウルはサムエルと別れて帰途についた時、神は彼の心を新たにされ、以上のしるしはすべてその日に起こった(8~9節)。その第三のしるしがこの後細述されている。ギブアに行くと預言者の一団が彼を迎え、神の霊が彼に激しく降り、サウルは彼らのただ中で預言する状態になった。サウルを知っていた人々がこれを見てキシュの息子に何が起こったのだ。サウルもまた預言者の仲間かと言った(10~11節)。この言葉が19章24節にもあることから、サウルを形容する文言となったようだ(12節)。預言の状態から覚めサウルは聖なる高台(5節see)に上った。そこで伯父に会い、何処に行っていたか。サムエルは何と言ったかを問われた。王位のことについては話さなかった。1節の頭に「油を注がれた」ことは秘密裏になされたからである(13~16節)。サムエルはミツパで主のもとに民を呼び集め、イスラエルの人々に、エジプトから導き、救い出し、圧迫するすべての王国からも救い出した主、あらゆる災難や苦難から救われたあなたたちの神を退け、『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。部族ごと、氏族ごとに主の御前に出なさいと呼び掛けた(17~19節)。
  20節「サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せた。ベニヤミン族がくじで選び出された」。更にベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せ、マトリの氏族がくじで選ばれた。次にキシュの息子サウルがくじで選び出されたが、彼は荷物の間に隠れていた。連れて来たところ、民の真ん中に立つと、だれよりも肩から上の分だけ背が高かった(21~23節)。これは9章2節にあった。
  24節「サムエルは民全体に言った。『見るがいい、主が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない』。民は全員、喜び叫んで言った。『王様万歳』。」サムエルは民に王の権能について話し、書に記して主の御前に納めた。サウルもギブアの自分の家に向かった。神に心を動かされた勇士たちは、サウルに従った。しかしならず者は、こんな男に我々が救えるかと言って侮ったが、サウルは何も言わなかった。

  王様万歳という喚声は、付和雷同の嫌いがあるが、「神はサウルの心を新たにされた」(9節)ことと、「神に心を動かされた勇士たちはサウルに従った」(26節)ことがせめてもの救いである。

預言者を先見者と呼んだ

2012-01-16 | Weblog
  サムエル記上9章 

  9節「昔、イスラエルでは神託を求めに行くとき、先見者のところへ行くと言った。今日の預言者を昔は先見者と呼んでいた。」(新共同訳)

  1節「ベニヤミン族に一人の男がいた。名をキシュといい、家系をさかのぼると、アビエル、ツェロル、ベコラト、ベニヤミン人のアフィアに至り、勇敢な男であった」。本章は王として選ばれるサウルの紹介から始まる。この一人の男とはキシュの息子で名をサウルといった。彼は美しい若者で誰よりも背が高かった(2節)。美しく背が高いことが王に相応しいということにはならない。ある日キシュはろばが数頭いなくなったので、サウルに探すよう言いつけた(3節)。彼はエフライムの山地からシャリシャの地に行ったが、ろばは見いだせず、シャアリムの地を越えてもそこにはおらず、ベニヤミンの地を越えても見つけ出せなかった(4節)。ツフに来た時サウルは供の若者に父が気遣うので帰ろうというと、若者はこの町に神の人がおられます。尊敬されている人で、恐らく進むべき道について、何か告げてくださるに違いありませんと言った。ここに四分の一シェケルの銀があり、これを神の人に差し上げて教えて頂くことを提案した(5~8節)。彼らは神の人がいる町に向かい、水汲みに出て来た娘たちに出合い、先見者つまり預言者に居場所を尋ねた(9~11節)。娘たちは「この先におられます。今日、この町に来て聖なる高台で犠牲をささげられます」と答えた。二人が町に入って行こうとしたとき、サムエルも聖なる高台に上ろうと向こうからやって来た(12~14節)。ここでサウルとサムエルの出会いがあった。これは前日主からサムエルに告げられていたことであった。それは一人の男をベニヤミンの地からあなたのもとに遣わす。彼に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの指導者とせよ。この男がわたしの民をペリシテ人の手から救うということであった(15~16節)。
  17節「サムエルがサウルに会うと、主は彼に告げられた。「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。この男がわたしの民を支配する」。城門の中でサウルはサムエルに先見者の家はどこかと尋ねた。サムエルは「わたしが先見者です。先に聖なる高台へ上って行きなさい。今日はわたしと一緒に食事をしてください。明朝、あなたを送り出すとき、あなたの心にかかっていることをすべて説明すると告げた(18~19節)。更に三日前に姿を消したろばのことは、心にかける必要はない。すでに見つかっている。イスラエルの期待はあなたにかかっていると言った(20節)。
  21節「…『わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンでも最小の一族の者です』」サウルはなぜそのようなことを言われるのかとサムエルに訊ねた。この後、サウルは広間に招かれ、三十人程の上座に着き、料理人に命じた料理をサムエルは持て成した。それは最上の料理だった(22~25節)。翌朝サムエルはサウルと一緒に外にでて町外れまで見送って次のように告げた。
  27節「…『従者に、我々より先に行くよう命じ、あなたはしばらくここにいてください。神の言葉をあなたにお聞かせします』」。サウルにメシアとしての「油注ぎ」を行うのであるが、それは秘密裏になされる。

  いなくなったロバを探しに出掛け、神の人の存在を聞いて逢いにいった時サムエルと出会った。サウルには偶然であるが、サムエルは前日に神から告げられていた。たかがロバ、されどロバ。神は様々な出会いを通して、その聖意を進められる。偶然と思えることでも、「今は判らないが後でわかる」(ヨハネ13章7節)という経験をする。この神の御手の働きを、キリスト者もしばしば与えられるのである。