日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

民に公道と正義を

2012-06-28 | Weblog
歴代誌上18章 

  14節「こうしてダビデはイスラエルの全地を治め、そのすべての民に公道と正義を行った」【口語訳

  1節「その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からガトとその周辺の村落を奪った」。小見出しに「ダビデの戦果」とありサムエル記下8章に並行記事があるが、違った記述もある。ペリシテ人に続いてモアブ人を討ち(2節)、ハマト地方のツォバの王ハダドエザルを攻撃し、騎兵、歩兵を捕虜とし、戦車の馬は僅か残して腱を切った(4節)。この時援軍を送って参戦していたダマスコのアラム軍も討って、ダビデに隷属し貢を納めることになる。「主はダビデの行く先々で勝利を与えられた」とある(5~6節)。13節でも繰り返し記される。この対ハダドエザル戦で得た大量の戦利品をエルサレムに運び、ティブハトとクンの町からも大量の青銅を奪って持ち運び、これらはソロモンが神殿建設の時に用いることとなった(7~8節)。
  9節「ハマトの王トウは、ダビデがツォバの王ハダドエゼルの軍勢を討ち滅ぼしたと聞き…」。ダビデがモアブ軍を討って貢ぎ物を納めさせ、さらにこれに加勢した援軍のハダドエザルも破ったという情報を聞いたハマトの王トウは、ハダドエザルと交戦中であったので、ダビデに戦勝祝いとして、金、銀、青銅の器を贈ったのである。彼はダビデ王に対して恭順の意思を表わしたのである(10節)。彼が戦勝で得た品々は、7~8節にあるが、同じように神殿建設のために聖別することになる(11節)。
  12節「ツェルヤの子アブシャイは塩の谷でエドム人一万八千人を討ち殺し~」。アブシャイがエドム人を討って、その地に守備隊を置き、全エドム人がダビデに隷属することになる(13節)。しかし、この箇所はサムエル下8章12節では「ダビデはアラムを討って帰る途中…エドム人を討ち殺し、名声を得た」となっている。この変更は彼もツェルヤの子ヨアブの兄弟であることから、15節の重臣の一人に加えられる意図が考えられる。
  14節「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った」。口語訳公道と正義を行った」。イスラエルの政治理念となるべきもの、これこそ現代でも求められている、変わらない、変えてはならないものである。
  15節~17節 ダビデの重臣たち 
  重臣の肩書きが新共同訳・口語訳・新改訳それぞれ統一を欠いている。翻訳の問題が感じられる箇所である。
 15節 ヨアブ・軍の司令官()=軍の長(口語訳)・軍団長(新改訳)
    ヨシャファト・補佐官=史官(口語訳) ・参議(新改訳)
 16節シャウシャ・書記官=書記官(口語訳)・書記(新改訳)
 17節ベナヤ・監督官=長(口語訳)・上に立つ者(新改訳)
 

わたしの王国の中に

2012-06-27 | Weblog
  歴代誌上17章 

  14節「わたしは彼をとこしえにわたしの家とわたしの王国の中に立てる。彼の王座はとこしえに堅く据えられる」(新共同訳)

  1節「ダビデは王宮に住むようになり、預言者ナタンに言った。『見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、主の契約の箱は、天幕を張ってその下に置いたままだ』」。サムエル記下7章と殆ど同じ並行記事になる。自分は王宮に住みながら神の箱を天幕に置いたままに大きなためらいを覚えたに違いない。これを預言者ナタンに告げた(2節)。これに対してナタンを通して神は、これまで天幕を住み家としてイスラエルと共に歩み、羊の群れをあなたの背後にあって導き、あらゆる敵を断って退けたと告げた(5~10節)。あなたが生涯を終えて眠る時に、あなたの子孫に跡を継がせ、王国を揺ぎないものとすると言われた(11節)。
  12節「この者がわたしのために家を建て、わたしは彼の王座をとこしえに堅く据える」。神の家を建てるのはダビデでなく、後継者だと告げられた。その理由は告げられていないが、神の計画であることを認めねばならなかった(29章1節)。これにより、王国とその王座はとこしえに堅く据えられるのである(14節)。これは歴史的には実現せず、王国と王座は失われることになる。そして13~14節をメシア預言としてイザヤ11章1節で告げられることになった。
  16節「ダビデ王は主の御前に出て座し、次のように言った。「神なる主よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか」。後半17~27節はダビデの祈りである。彼は遠い将来に関わる御言葉を賜わったこと、この僕を重んじて、その大いなる御業を知らせて下さったことを語り(17~20節)、これは神が民を贖ってご自分の民にされて御名を崇めさせるためであるとして感謝をささげる(21~22節)。
  23節「主よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに確かなものとし、御言葉のとおりになさってください」。それが確かなものとなり、「万軍の主、イスラエルの神」の御名が永久に崇められますように。そして「僕の家」(神の神殿)が祝福され、とこしえに御前に永らえさせてくださいと祈る(24~27節)。

  ここで献げるキリスト者祈りは、ルカ福音書11章2節である
 「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように

驚くべき御業と奇跡

2012-06-26 | Weblog
  歴代誌上16章 

  12節「主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を 主の口から出る裁きを心に留めよ」(新共同訳)

  1節「人々は神の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置し、神の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた」。口語訳「燔祭と酬恩祭」を祭壇に献げた。また祝いの品である「パン一個となつめやしの菓子、干しぶどうの菓子」がイスラエルの民に配られた(2~3節)。サムエル記下6章17~19節の通りである。レビ人の任務である楽器の奏者と詠昌者は、神の箱を天幕に運んだ後も継続した(4節)。アサフを頭として9名の名前が挙げられる(5節)。
  6節「祭司のベナヤとヤハジエルは神の契約の箱の前で、絶えずラッパを吹いた」。ここでダビデは契約の箱の前で賛美リーダーとしてアサフとその兄弟たちを指名し、主への賛美を託した(7節)。それが8~36節である。その全体は、感謝と賛美と祈りである。
  (1)8~22節=詩105篇1~15節
  喜びと賛美は限りなく「主」に向けられる。主に感謝をささげ(8節)、主に向かって歌い(9節)、主を、主の御力を尋ね求めよ(11節)と命じる。
15節「とこしえに主の契約を心に留めよ 千代に及ぼすよう命じられた御言葉を」。族長時代の約束と歴史を回顧した賛美。主の契約を心に留めよと三度繰り返す(15、16、17節)。神の宣言はカナンの地を嗣業として与えるというもので、今それが実現に至った(18~22節)
 (2)23~33節=詩96篇1~13篇
 (3)34節=詩106篇1節
 (4)35~36節=106篇47~48節
 神の限りない主権に対する賛美が続く。「全地よ主に向かって歌え」(23節)「国々に、諸国の民に栄光を語り伝えよ」(24節)、「大いに賛美されるべき主」に対して(25節)。賛美が繰り返される。「諸国の民よ」(28節)、「全地よ」(30節)、「天よ」(31節)「海とそこに満ちるもの、野とそこにある全てのものよ」(32節)、「森の木々よ」(33節)栄光を主に帰せよ、主に感謝し、御名に感謝せよで締めくくられる(35~36節)。
  37節「ダビデはそこに、主の契約の箱の前にアサフとその兄弟たちを残し、日ごとの定めのとおりに絶えずその箱に奉仕させた」。「毎日の日課として常に」(新改訳)続けられねばならないという任命である。それはアサフ、オベド・エドム、ホサに対してである(38節)。この他にヘマンとエドトン、更に選ばれ指名された者らがいて「主の慈しみはとこしえに」と感謝してラッパやシンバルを奏でた(39~42節)。

  ここで、この賛美の中で中心となる言葉に心を合わせることにしたい。それは34節である。「恵み深い主に感謝せよ 慈しみはとこしえに。」

法に従って主を求めなかった

2012-06-25 | Weblog
  歴代誌上15章 

  13節「最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである」(新共同訳)

  1節「ダビデは、ダビデの町に宮殿を造り、神の箱のために場所を整え、天幕を張った」。13章で中断していた神の箱を再びダビデはオベド・エドムからダビデの町に場所を整えて運ぶことになる。ソロモンの時までそこは「天幕」であった。彼が三ヶ月の間にしたことが、詳細に記される。箱を担ぐ任務はレビ人であり、全イスラエルを召集して行なうことを告げる(2~3節)。ケハト族120人、ゲルショム族130人、エリツァファン族200人、へブロン族80人、ウジエル族120人計650人であった(5~10節)。次に祭司ツァドクとアビアタル、レビ族の家系の長六名に、「祭司とレビ人は聖別」して任務に就くよう命じた(11~12節)。ダビデは前回の過誤は「法に従って主を求めなかった」ことだと語り、新しい任務であることを伝えた(13節)。
  14節「祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるため自らを聖別した」。前回と異なり、主の言葉に従ってレビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担いで運んだ。神の掟に忠実に従うダビデの意思が表れている(15節)。
  16節「ダビデはレビ人の長たちに命じて、詠唱者であるその兄弟たちを任務に就かせ、琴、竪琴、シンバルなどの楽器を奏で、声を張り上げ、喜び祝うようにさせた」。行列の順序は次の様である。先頭詠昌者三人が「青銅のシンバル」を鳴らして行く(19節)。次に八人のレビ人が「十弦の琴」を奏でて続く。アラモト調である(20節)。続いて六人のレビ人が第八調(セミニテ調・口語訳)で「八弦の竪琴」を奏でて行く(21節)。レビ人の長ケナンヤが荷物運搬の指示をする(22節)。ペレクヤとエルカナの門衛が神の箱を守る(23節)。七人の祭司たちがラッパを吹き鳴らした。隊列を組むレビ族が続くことになる。
  25節「ダビデは、イスラエルの長老と千人隊の長たちと共に行き、喜び祝って主の契約の箱をオベド・エドムの家から運び上げようとした」。25~29節はサムエル記下6章12~16節と平行記事になるが、表現の違いが見られる。ここでは「主の契約の箱を担ぐレビ人を神が助けてくださったので…」とあるが、サムエル記では「主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえに献げた。主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた」となっている(13~14節)。つまり、ダビデは背後に退き、「法に従って」箱を運ぶレビ人が主役となっている。28節「イスラエルの人々はこぞって喜びの叫びをあげた」とあり、全イスラエルの参加が明確にされている。

  ここで示される聖句は詩119篇71節口語訳「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」


主が…揺るぎないものとされた

2012-06-23 | Weblog
 歴代誌上14章 

  2節「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を非常に高めてくださったことを悟った」(新共同訳)

 1節「ティルスの王ヒラムは、ダビデのもとに使節を派遣し、王宮建設のためにレバノン杉、石工、大工を送ってきた」。本章は王の権力確立を示したところで、サムエル記下5章11~25節に平行記事がある。比較して読むと一層強調されているのが判る。ティルスの王ヒラムが王宮建設に資材と大工派遣で敬順を表わしたことは、主が彼の王位を揺るがないものしたという(2節)。見落としてならないのは、「主の民イスラエルの為」でダビデはそのために用いられた器にすぎない。
  3節「ダビデはエルサレムでも妻をめとり、息子や娘が更に生まれた」。3~7節はダビデの息子たちのリストであるが、サムエル記下5章13節では「妻を娶り、側女を置いたので~」となっている。この変更は王に相応しくないと考えられたのか(申命記17章17節)。
 8節「ペリシテ人は、ダビデが油を注がれて全イスラエルの王となったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た。ダビデはこれを聞いて彼らに向かって出陣した」。レファイムの谷で対戦したが、ダビデは神の託宣を求め、「攻め上れ、あなたの手に渡す」と告げられ、敵に勝利する。水が堤防を破るように破られたとして、そこを「バアル・ペラツィム」(破れ目の主)と名付けた(9~12節)。
   13節「ペリシテ人は再び谷に侵入した」。二度ともダビデは神の託宣を求めて勝利するが、それは第一回の時とは異なっていて敵陣の背後から襲うことで、神が茂みから行軍の音を起こし、それを合図に攻めた。これは神が命じられた通りの行動でペリシテ軍に勝利したのである(14~16節)。これはサウルがペリシテ軍と対戦した時、神の託宣を求めることをしなかった為に敗走したのと対照的である(10章13節see)。ダビデは、神が「この手で」(10、11節)敵を討ち滅ぼしてくださったことを確信している。彼が神の器として用いられた理由である。特に、第二回目のペリシテ戦に際して、彼が前の経験を頼らないで再度神の託宣を求めた。誰もが陥りやすい自分の経験を頼らない謙虚さがある。神の託宣は先と同じではなかった。神が「先んじて出陣され」「神が命じられた通りに行動した」のである。
  17節「こうしてダビデの名声はすべての国々に及んだ。主は諸国の民が皆、彼を恐れるようにされた」。王権確立の結語であるが、これはサムエル記下5章にはない。ここでも、主は諸国の民が皆、彼を恐れるようにされたとあり、ダビデの主導権は神が持っておられたのである。

 キリスト者も神の憐みの器として召されていることを覚えたい(ローマ9章24節)



ダビデも怒った

2012-06-22 | Weblog
  歴代誌上13章 

  11節「ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたからである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている」(新共同訳)


  1節「ダビデは千人隊と百人隊の長およびすべての指導者と協議し」。小見出しに「神の箱を迎えに行く」とある通り、本章はサムエル記下6章と並行記事である。先ずダビデはイスラエル全会衆に呼び掛けて、ペリシテ人に奪われたが今はキリヤト・エアリムに置かれている神の箱をダビデの町に移そうと相談した。それは誰もの賛同することだった(2~4節)。ペリシテに奪われた事件はサムエル記上5章で今はキリヤト・エアリムにあることは同7章1節に出ている。預言者サムエルの時代であるから、数十年は経過している。ここで精鋭3万人を動員したとあるが(サムエル下6章1節)、ダビデは王座を確立し、契約の箱を中心にした新しいイスラエル信仰共同体を造ることであった。
  6節「ダビデはすべてのイスラエル人と共にバアラト、つまりユダのキルヤト・エアリムに上って行った。それは、ケルビムの上に座しておられる主なる神の箱、その御名によって呼ばれる箱をそこから運び上げるためであった」。アビナダブの家にあった神の箱は、新しい車に載せて運び出され、アビナダブの子ウザとアフヨが車を御した。ダビデとすべてのイスラエル人は力を込めて神を賛美し竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でて進んだ(7~8節)。
  9節「一行がキドンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは手を伸ばして箱を押さえようとした」。ところが、ウザに対して主は怒りを発し彼を打たれて死んだ。ダビデも怒ったとある(10~11節)。しかし神の怒りとダビデの怒りは同じだったのか。違うだろう。ダビデの怒りは人間的なものだったと思われる。ここでウザが箱の転落を防ごうとして押さえた行為を問われる主に対して、ダビデは転落を防ごうとした動機を問わないでウザが裁かれたことを不満とした怒りである。彼が押さえなかったら箱は転落したに違いない。問題の一つは「牛車」で運ぶことにあった。箱はレビ人が肩に担ぐように造られ、担ぐ棒もあった(民数記4章、出エジプト37章see)。今一つはダビデが、神の箱を運ぶ規定を安易に考え、神の意思に対する熟慮を欠いていたのである。問題はウザだけのことではない。その場所は「ペレツ・ウザ(ウザを砕く)」と呼ばれた。
  12節「その日、ダビデは神を恐れ、『どうして神の箱をわたしのもとに迎えることができようか』と言って~」。ここでダビデの怒りは神への恐れに変わっている。ここで彼は「神の箱」取扱いを新たに認識させられることになる。三ヶ月間オベド・エドムに置かれ、その家の中にあり、彼ら家族は神の祝福を受けた(14節)。この後の詳細な記事は15章にあるが、サムエル記下6章にはない。

  新約聖書にも「神への恐れ」のことが出ている(使徒言行録5章1~11節)




あなたに平和、あなたを助ける者に平和

2012-06-21 | Weblog
 歴代誌上12章 

  19節「…『ダビデよ、わたしたちはあなたのもの。エッサイの子よ、あなたの味方です。平和がありますように。あなたに平和、あなたを助ける者に平和。あなたの神こそ、あなたを助ける者』…」(新共同訳)

  1節「ダビデがまだキシュの子サウルを避けていなければならなかったとき、ツィクラグにいるダビデのもとに来た者は次のとおりである。彼らも戦いの補助要員として、勇士たちに連なっていた」。11章では既にダビデは全イスラエルの王として油を注がれ、エブスの町をダビデの町として城壁を築き、勇士らにより陣営が整えられたことが記されたが、12章では周辺からダビデの下に帰属する部族の名が挙げられる。先ずベニヤミン族で2~8節。「サウルと同族~」とは8章28節などからダビデに加担していた人々が想定される。続いてガド族で、軍隊の頭とその勇士たちである(9~16節)。17~18節はベニヤミン族とユダ族であるが、ベニヤミン族を2~8節と区別している。ダビデはまだ荒れ野を彷徨していた時であるが(1節)、その後へブロン(エルサレム)に都を建設した時にその中心となる部族であった。イスラエル南北が分裂する時にダビデを支持した。彼は平和の約束を求めている。
  19節「すると霊が三十人隊の頭アマサイに降った。『ダビデよ、わたしたちはあなたのもの。エッサイの子よ、あなたの味方です。平和がありますように。あなたに平和、あなたを助ける者に平和。あなたの神こそ、あなたを助ける者』。ダビデは彼らを受け入れ、部隊の頭とした」。アマサイはアマサ(2章17節)と同一人物と思われている。アブサロムが父ダビデに反旗を翻した時に軍の長であったが、アブサレム戦死のあと、和解交渉を図った人物であり、ヨアブとアマサの確執物語は本書に全く出てこないが、同一人物なら、マサイが霊に満たされて語った19節の言葉に平和の王を願う心情がよく表れている。
(サムエル記下17章25節、19章12~14節、20章10節see)。三十人隊長ア口語訳「われわれはあなたと共にある。平安あれ、あなたに平安あれ。あなたを助ける者に平安あれ。あなたの神があなたを助けられる」。20~22節はマナセ族に言及する。
  23節「毎日のように、ダビデを助ける者が加わり、ついに神の陣営のような大きな陣営ができた」。2~22節の結論部分である。ここで先ず目につくのはダビデを助ける者で、23節「毎日のように、ダビデを助ける者が加わり」とある。18節、19節(二回)にも出てくる。つまり、王を支持し協力する者である。「神の陣営」が出来たとある。
 24~38節は各部族の動員した武装兵のリストである。
ユダ(25節)、シメオン(26節)、レビ(27節)、サウルと同族のベニヤミン(30節)、エフライム(31節)、マナセ半部族(32節)、イサカル(33節)、ゼブルン(34節)、ナフタリ(35節)、ダン(36節=7章にはなかった)、アシュル(37節)、ヨルダン東側ルベン、ガド、マナセ半部族(38節)。
  39節「このすべての戦陣に臨める戦士たちが、全き心をもってヘブロンに集まり、ダビデを全イスラエルの王とした。イスラエルの他の人々も皆、ダビデを王位につけることに同意した」。「全イスラエルの王」は11章3節に記された事柄を指す。「全き心(新改訳「誠実な心」)心をもってダビデに臣従し、彼らの念願は適い、一致と喜びの祝宴が三日間続いたのである(40~41節)。
 ダビデは人の助けを超えて働かれる神に助けを生涯与えられた。彼は詩篇の中で繰り返し歌っている(28篇7、34:篇16、70篇2、140篇2)。

万軍の主は彼と共におられた

2012-06-20 | Weblog
  歴代誌上11章 

  9節「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた」(新共同訳)

  1節「すべてのイスラエル人はヘブロンのダビデのもとに集まり、こう言った。『御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です』」。すべてのイスラエル人とあるが、ダビデがユダの王となった記事(サムエル記下2章1~7節)、サウルの子イシュ・ポシェトとの王位争い(同2~4章)後に全イスラエルの王となる(同5章1~3節)経緯が略されている。彼らに主なる神から告げられた言葉は『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがわが民イスラエルの指導者となる』であった(2節)。そして更にイスラエルの長老全員が集り、預言者サムエルが告げた通り、ダビデに油を注いで王としたのである(3節)。
  4節「ダビデはすべてのイスラエル人と共にエルサレムに向かった。この町はエブスと言われ、エブス人がその地の住民であった」。エブスの住民はシオンの要害を陥れることは出来ないと啖呵を切ったが、イスラエルの全軍はこれを占領し、ダビデの町とした。町の周囲に城壁を築いて堅固なものとした(5~8節)。エブスの町攻略の時に真っ先にエブス人を倒したヨアブをダビデは将軍にした(6節)。ここでイスラエル統一国家を建設するのである。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられたと記している(9節)。
  10節「ダビデの勇士の頭は次のとおりである。彼らはダビデの統治に協力し、イスラエルのすべての人々と共に、主がイスラエルに告げられたとおり、ダビデが王となるように尽力した」。ダビデがイスラエル統一国家の王になるのに、勇士らが貢献したとしてヤショブアム(サムエル記下23章8節=イシュバアル)、エルアザルの名が挙げられる(11~14節)。
  15節「三十人の頭の中の三人が、アドラムの洞窟にいるダビデを訪ねて岩山に来たことがあった。ペリシテ人の陣営がレファイムの谷に張られていた」。ダビデがアドラムの洞窟に潜んでいた記事はサムエル記上22章にあるが、ペリシテの駐屯部隊がベツレヘムにいたことは特定できない。しかしここでは三勇士が命がけでダビデの求めに応えて城門の傍らにある井戸から水を汲んできて差し出したことが16~19節にある。ダビデはその水は彼らの血に等しいとして飲まず、主の祭壇に注ぎ、その忠誠心をほめた。三勇士の名前の一人がヨアブの兄弟アブシャイであるが、しかし彼はその勲功は重んじられなかったとある(20~21節)。この一連の並行記事はサムエル記下23章8~19節にある。ヨアブの子ベナヤについても同23章20~23節に出ている(22~25節)。
  26~47節は勇士の名簿。並行記事もサムエル記下23章24~39節にある。「ヘト人ウリヤ」(40節)はサムエル記下11章で妻バト・シェバとダビデとの不倫関係に陥った記事に登場する人物である。聖書を詳細に読むと、ダビデの汚点が出てくる。

  ダビデは全イスラエルの民の牧者となり指導者となることを予告しているが真に相応しい牧者、指導者は新しい時代を待たねばならない(イザヤ11章1節)

王位

2012-06-19 | Weblog
 歴代誌上10章 

  14節「彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された」(新共同訳)

  1節「ペリシテ軍がイスラエルに戦いを挑んできた。イスラエル兵はペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた」。いきなりギルボア山上での対ペリシテ戦が出てきて、サウル王が矢に射られて瀕死の状態になったことが記される(2~3節)。1章から起こされたイスラエルの系図は9章39~44節キシュの子サウルの家系で終り、1節以下の記述になっていると理解すれば唐突とは言えないのかも知れない。サウルはペリシテ兵に殺されることを拒み、自刃で倒れ従卒も自刃する(4~5節)。これはサムエル記上31章4~5節に出ている。
  6節「こうしてサウルと三人の息子は死んで、その家もすべて絶えた」。9章39節以下の家系の記録と矛盾しているようだ。ヨナタンの子メフィボシェト物語(サムエル記下4、9、16、19章)は歴代誌では語らない。
 8節「翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその息子たちがギルボア山上に倒れているのを見つけた」。サウルの生涯はサムエル記上9~31章にあるが、ここでは二つの出来事だけしか出てこない。ぺリシテ軍が彼の首と武具を奪って持ち帰り、武具は神々の神殿に納め、その首はダゴンの神殿にさらした(9~10節)。これを知ったギレアドのヤベシュの人々はギルボア山に残されていたサウルとその息子たちの遺体を持ち帰り、鄭重に葬り、七日間断食して喪に服したことである(11~12節)。これはサムエル記上31章12~13節にある。彼らはかつ果てアンモン人ナハシュから攻撃を受けた時に、サウルがこれを撃退した時の恩義を忘れなかったのである(サムエル上11章)。
  13節「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ」。今一つはサウルの死の原因が口寄せに伺いを立て、主に背いたことであるという記述である。サムエル上28章3~25節の事柄を指している。
  14節「彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された」。この厳然とした神の裁断に、思わず声を呑む。この後ダビデの物語が11~29章まで記される。

  サムエル記上15章22節から、主が喜ばれるのは何かを再度知るべきでる。
主が喜ばれるのは 焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。
むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。
見よ、聞き従うことはいけにえにまさり
耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる
。』



神殿を警備し、毎朝その扉を開いた

2012-06-16 | Weblog
  歴代誌上9章 

  27節「彼らは神殿の周囲で夜を過ごした。神殿を警備し、毎朝その扉を開くことが彼らの責任であった」(新共同訳)

  1節「イスラエルの人々はすべて登録され、『イスラエルの列王の書』に記されている。ユダは神に背いたためにバビロンに捕囚として連れ去られた」。「~すべて登録された」とは、2~8章の結びの言葉である。バビロン捕囚後、エルサレムに帰還した一族はユダ、ベニヤミン、エフライムとマナセの一部(3節)。その数はユダ族六百九十人(4~6節・並行記事ネヘミヤ11章4~6節)。ベニヤミン族九百五十六人(7~9節・同11章7~9節)。祭司千七百六十人(10~13節・同11章10~14節)。レビ人(14~16節・並行記事 同11章15~18節)。人数は数えられない。
  17節「門衛は、シャルム、アクブ、タルモン、アヒマン。その兄弟シャルムが頭で~」。先ず門衛について17~26節に細述する。祭司の中から二百十二人がえり抜かれて門衛の任務に就いた(22節)。彼らは幕屋の入り口の門衛で、東西南北の四方に立った(24節)。神殿の宝物庫の警備、及び祭儀用具の責任を負ったのはレビ人であった(27~28節)。麦粉、ぶどう酒、オリーブ油、香、香料の責任を持つ者が特定された(29節)。香料の調合をする者(30節)、菓子の製造をする者(31節)、供え物のパンを安息日ごとに準備する責任を負う者(32節)について特定する。菓子を製造するコラ一族とあるが、民数記16章ではモーセの指示に背くものとして断罪された(31節)。しかし全てで無かったことが示される(民数記26章11節see)。
  33節「レビ人の家系の長である詠唱者たちは、祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき務めを持っていたからである」。詠唱者たちの任務は、昼夜を問わなかったことが伺える。35~44節は、8章29~40節にベニヤミンの子孫として記されているサウルの家系を二次的に記している。それは10章サウル物語の序文になっている。  
  歴代誌上23章にレビ人、24章に祭司、26章に門衛についてくわしく記されている。

  キリスト者も神に選ばれた祭司の務めを示されるものでありたい(第一ペトロ2章9節)

エルサレムに住んだ

2012-06-15 | Weblog
  歴代誌上8章 

  28節「彼らは、系図に記された家系の長たちである。この家系の長たちはエルサレムに住んだ」(新共同訳)

  1節「ベニヤミンには、長男ベラ、次男アシュベル、三男アフラ」。四男ノハ、五男ラファが生れたとある(2節)。既に7章6~12節に出ていたが、そこでは子の名前は三人だったが、ここでは補足する形で五人の名が出てくる。全体を区切ると、三つの家系が記される。
  7節「エフドの子はゲバの住民の家系の長、ナアマン、アヒヤ、ゲラである。その住民はマナハトに移された。彼らを移したのはゲラで、彼にはウザとアヒフドが生まれた」。1~7節がゲバの地に定住したエフドの家系。ゲバに住んでいた住民はマハナトに移された。士師記3章12~30節に士師エフドが登場している。
8節「シャハライムには、妻のフシムとバアラを追い出した後、モアブの野で子が生まれた」。シャハライムの家系が9~12節にある。ゲバからモアブに移住した。
  13節「ベリアとシェマは、アヤロンの住民の家系の長である。彼らはガトの住民を追い払った」。13~28節はエルサレムに住んだ系図。13節のガド攻略は定住地と関係がないようだ。18節「エルパウル」は11節「エルパウル」と同名別人。エルサレムはユダ領とベニヤミン領と国境に近いことで、エルサレムの名が上げられる。
29節「ギブオンにはギブオンの父が住み、妻の名はマアカといった」。29~32節はギブオンとエルサレムに住んだギブオンの家系である33節以下も同様と思われる。28~38節は、9章34~44節と重複した記録になっている。但し39~40節は省略されている。サウル王の系図は、ここにしか出てこない。遡った系図はサムエル記上9章1~2節にある。

 ベニヤミンは12部族の中で最小の領有地であり、士師記20~21章には忌まわしい事件が出ている。ベニヤミン族は消滅する危機にさらされたが、ギレアドのヤベシュの娘たちと結婚してその難から免れている。創世記35章にあるが、ベニヤミンはラケルから生まれ、十二氏族の最後の子だった。ラケルは分娩に際し難産でベノミ(苦しみの子)と付けて死んだが、その名前をヤコブはベニヤミン(幸いの子)にした。ベニヤミン族はソロモン没後、ヤブアムが反旗を翻した時にユダの人々と行動を共にし、南北王朝の時は、南ユダの属している(列王記上12章21節)。捕囚後の神殿再建の時にもユダとベニヤミンは行動を共にしている(エズラ記1章5節、4章1節)。その後のイスラエルの歴史で、血統的伝承を強く守ったことが、パウロの言葉から伺える(フィリピ3章5節 ローマ11章1節)。しかしパウロは、これを否定的に証したのである。

 キリスト者は、信仰の継承を強く願うが、家系や血統に依らないことを明確にする必要がある(ヨハネ福音書1章13節see)。パウロは人間的なすべての誇りに対して「塵あくた」に等しいと言っている。口語訳では「糞土」である(フィリピ3章8節)。

同じ家系に属する戦闘員

2012-06-14 | Weblog
  歴代誌上7章 

  4節「彼らには多くの妻があり、子供が大勢生まれたので、同じ家系に属する戦闘員が三万六千人いた」(新共同訳)

  1節「イサカルの子は、トラ、プア、ヤシュブ、シムロンの四人」。6章ではレビ族に、十二部族から割当られた放牧地が与えられる記であったが、ヨルダン川西側にあるイサカル、ベニヤミン、ナフタリ、マナセ半部族、エフライム、アシェルの六部族の系図に言及する。但しダンとユダが省略されている。その内、イサカル、ベニヤン、アシェル三部族については勇士と戦闘員が数えられている(4~~5節、11節、40節)。「ダビデの時代」(2節)とはサムエル記下24章に彼が人口調査をしたことがあり、主なる神の働きを疑った不信に対する審判がくだされる出来事があった。これを指しているようだ。イサカル全氏族の登録された勇士が八万七千人とあるが、民数記26章の第二回(カナン定着後)人口調査では六万四千三百人だったことが出ている(25節)。
  6節「ベニヤミンの子は、ベラ、ベケル、エディアエルの三人」。これは8章1~5節にもうひとつのリストとして出ているが、八章では長子べラだけが系図になっている。創世記46章21節にはベニヤミンの息子の数は十人である。また民数記26章38~41節ではベニヤミンの登録数は四万五千六百人であった。ベニヤミンの子孫については不明の点が多い。ナフタリの子孫(13節)、マナセの子孫(14~19節)、エフライムの子孫(20~29節)と続く。マナセとエフライムハはヨセフの子としてエジプトで生まれた(創世記48章1節)。マナセの記述はヨルダン川東側、マナセ半部族として5章23~26節にあり、戦闘員について書かれ、捕囚に至るまでの系図がでている。エフライムの関しては20~23節に危機的な状況が出ている。ガドで家畜を奪ことは主の戒めを犯すことで殺されたのだろう。長い間喪に服す意味が伺われる。
  23節「彼は妻のもとに行き、妻は身ごもって男の子を産んだ。彼は名をベリアと付けた。その家が災いのさなかに(ベラア)あったからである」。親族の慰めで立ち上がり、嫡子を得た。名前はベラア(災い)である。エフライムの苦汁が感じられる。しかしその子孫にモーセの後継者ヌンの子ヨシュア(27節)が出ているのは、神の慈愛の働きといえよう。ここでは戦闘員のことは言及していない。六番目にアシェルの子孫(30~40節)となる。これは並行記事として、創世記46章17節、民数記26章44~46節にある。

  戦闘によって地を支配しようとする大きな悪の働き(歴代誌21章1節参照)と、隣人のものを盗む小さな罪(21節、出エジプト20章17節)とが、系図に組み込まれている。ローマ5章12~14節から、人の系図はアダムの罪にまで遡ることを知り、新しい第二のアダムの系図(15~21節)に組み込まれねばならい。


領域内の居住地

2012-06-08 | Weblog
  歴代誌上6章 

  39節「レビ族はその領域内の居住地に、次のように定着した。…」(新共同訳)

  1節「レビの子は、ゲルション、ケハテ、メラリ」。小見出しで「レビの一族」とあるが、既に5章27~41節にケハテの家系が大祭司の系譜として捕囚期まで記されていた。本章では改めてゲルション(2、5~6節)、ケハト(3、7~13節)、メラリ(4、14~15節)の順番でその家系が記される。
16節「神の箱が安置されたとき以来、ダビデによって主の神殿で詠唱の任務に就けられた者は次のとおりである」。ここから系図の型が変わる。具体的な神殿での詠昌者の家系を、ダビデの時代から遡って記す。詠昌者の任命はダビデである。その中心はケハトの子孫で、詠昌者ヘマンが立つ。彼がダビデの時代に登場することは15章17節、16章42節にある。ヘマンからケハト、レビ、イスラエまで19代さかのぼる(19~23節)。幕屋の前で詠昌するヘマンの右側に立って任務につく者を12代さかのぼり、ヤハト、ゲルション、レビになる(24~28節)。29~31節はヘマンの左側に立って任務につく者を11代さかのぼりムシ、メラリ、レビに至る。
  33節「レビ族の他の兄弟たちは、神殿の幕屋のあらゆる任務に割りふられた」。献げ物の祭壇で献げ物を燃やして煙にし、香の祭壇で香をたき、至聖所におけるあらゆる務め、イスラエルのための贖いの務めを続けた。彼らは、神の僕モーセが命じたことをすべて守ったとある。これらはすべてアロンの家系であった(34~38節)。
  39節「レビ族はその領域内の居住地に、次のように定着した。ケハトの氏族に属するアロンの子孫には、彼らに当たったくじによって~」。ここからレビ族の居住地で、ヨシュア記21章に出てくる。ここでは部族ごとに記述している。レビ族は嗣業の土地を持たなかったので、各十二部族の町の放牧地をその居住地として与えられたのである。
  初めにケハトの氏族に属するアロンの子孫に籤で当たった十三の町とその周辺の放牧地が記される(39~45節)。ケハトの他の子孫では、マナセの半部族に十の町(46節)、ゲルションの子孫には十三の町(47節)、メラリの子孫には十二の町がくじで与えられた(48節)。以上の籤で与えられた子孫は9部族で、名が記されていないユダ、シメオン、ベニヤミンの子孫の部族にも町々が籤で与えられたことを加えている(49~50節)。
  再度補足として51~55節はケハトの子孫の氏族、56~61節ゲルションの子孫の氏族、62~66節メラリの子孫の氏族が有する放牧地が説かれる。
  42節へブロンと52節エフライムの山地シケムが「逃れの町」となっているが、これは血の報復を逃れるために定められた町でヨシュア記20章にある。民数記35章9~15節ではヨルダン川東西に三つの町が定められている。へブロンとシケムはヨシュア記20章7節にある。



信頼のゆえに祈りは聞き入れら

2012-06-07 | Weblog
歴代誌上5章 

  20節「彼らは戦いに際して神に助けを求め、その信頼のゆえに祈りは聞き入れられて敵に打ち勝つ助けを得、ハガル人とそのすべての援軍が彼らの手に渡された」(新共同訳)

  1節「イスラエルの長男ルベンの子孫について。ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった。そのため彼は長男として登録されてはいない」。ルベンが嫡系とならなかった理由を彼のスキャンダル(創世記35章22節)にあるとした。“天網恢々疎にして漏らさず”である。嫡系がユダからヨセフになることは創世記48章15節、49章25節から知られる。十二氏族の中で筆頭はユダであるというのは創世記49章8~10節にある(2節)。
  3~9節にルベンの系図があり、ヨルダン東岸に所領地を持つことは民数記32章にある。
  11節「ガドの子孫は、ルベンの子孫に向かい合ってバシャンの地に住んで、サルカにまで及んだ」。ガド族がルベン族とつながって系図が記されることは、ヨシュア記13章8~13節、24~28節から判る(11~17節)。18~22節でこれにマナセ半部族のリストを加えている。彼らは戦闘に際して神に助けを求めて勝利したとある。これはヨルダン川東部での占領地に対する評価である。
   23節「マナセの半部族に属する者は、バシャンからバアル・ヘルモン、セニル、ヘルモン山に至る地に住んだ。その数は多かった」。口語訳では「この地に住み、ふえ広がった」となっている。ヨシュア13章6~7節、29~31節が示されよう。「名高い勇士」の家系とあるが(24節)、士師記に登場する士師デオン、エフタを指していよう。
  25~26節は、列王記下16章29節、17章6節に記されている通り、二度にわたってアッスリアの攻撃に会い捕囚となった受難を指している。これは20節と対照になり、彼らが先祖の神に背き、その地の民の神々を慕って姦淫した為に「イスラエルの神」が捕囚の民にしたことを強調している。
  27節「レビの子はゲルション、ケハト、メラリ」。大祭司の系図としてケハトが取り上げられ、その子アムラム(29節)、次にアロン、モーセ、ミリアムとなる。アロンの子エルアザルが大祭司の系譜を継ぐことになる(30節)。ピネハス、アビシュア(31節)、ブキ、ウジ(32節)、ゼラフヤ、メラヨト(33節)、アマルヤ、アヒトブ(34節)、ツァドクが登場する(サムエル記下15章24~25節see)。続いてアヒマアツ(35節)、アザルヤ、ヨハナン(36節)、アザルヤ(同名、聖書には多く出てくる)である。ソロモン王に仕えたというのは列王記上4章2節。アマルヤ、アヒトブ(同名)、ツァドク(同名)、シャルム(38節)、ヒルキヤ、アザルヤ(同名)、セラヤ、ヨツァダク(40節・ヱズラ3章2、8節、ハガイ1章14節see)。彼はその子ヨシュアと共にバビロン捕囚五十年後にエルサレムに帰還している。
  レビ族に関しては、次章に継続して記される。系図のなかで、神への背信(1、25節)と神への信頼(20節)とが織りなされている。


神はこの求めを聞き入れられた

2012-06-06 | Weblog
  歴代誌上4章 

  10節「またヤベツがイスラエルの神に、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」と祈ると、神はこの求めを聞き入れられた」(新共同訳)

  1節「ユダの子は、ペレツ、ヘツロン、カルミ、フル、ショバル」。二章で12氏族のうち最初にユダ族が記されていたが、1~23節に改めてもう一つのリストとして出てくる。リストには似た名前が幾つもあり4節と2章19節など区別する必要があろう。この系図の中にも、イズレエル、ペヌエル、エフラタ、ベツレヘム、テコア、ヤベツなど地名が人名として登場する。
  9節「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、『わたしは苦しんで産んだから』と言って、彼の名をヤベツと呼んだ」。彼は難産の子で「苦しむ」(オツェブ)から「ヤベツ」(イャベツ)と命名した。2章55節では地名である。兄弟の中で最も尊敬されていたとあるが、その関係の有無は判らない。彼は名前を背負った人物でイスラエル(ヤコブ)の神に祝福を求め、苦しみを遠ざけてくださいと祈り、聞き入れたのである(10節)。これは領土を広げ、災いから守られ、苦しみを遠ざけてくださいということでアメリカナイズされ、家庭や企業の保全や繁栄を祈る題目となったことがある。『ヤベツの祈り』が翻訳されて書店に並んだ。創世記28章、32章のヤコブの祈りの関連から学ぶことは多いが、自己流の解釈は如何なものか。
  13節「ケナズの子はオトニエル…」。これは2章49節に出ているが、その背景になる物語はヨシュア記15章16~17節にある。オトニエルは士師記に出てくる最初の士師でもある(1章14、3章7~11節)。
  24節「シメオンの子は、ネムエル、ヤミン、ヤリブ、ゼラ、シャウル」。24~27節はシメオン族であるが、これは民数記26章12~14節にある。28~33節はその居住地。ヨシュア記19章2~8節を参照したい。ヨシュア記19章9節には「シメオンの人々の嗣業の土地はユダの人々の領土の一部であった。ユダの人々への割り当て地が多すぎたため、ユダの嗣業の土地の中にシメオンの人々は嗣業の土地を受け継いだのである。」とある。ユダとシメオンの子孫が一つに取り扱われている理由をここで見る。シメオン氏族は大きなものにならなかったとあるが(27節)、しかし34~43節には、首長らが牧草地を求めて土地を拡大し、メウニム人、アマレク人など先住民を撃退したとなっている。創世記49章5~6節では、シメオンが荒々しく剣で敵を支配する氏族とされている。創世記34章にその事例がでている。

 「イスラエルの神」で示されるのは詩篇72編18節である。「主なる神をたたえよ、イスラエルの神。ただひとり驚くべき御業を行う方を。」