日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

あなたの命だけは、どこへ行っても守る

2014-08-24 | Weblog
   エレミヤ45章 

  5節「あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える」(新共同訳)

  1節「ユダの王ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に、ネリヤの子バルクは、預言者エレミヤの口述に従ってこれらの言葉を巻物に書き記した。その時、エレミヤはつぎのように語った」。小見出し「バルクへの言葉」。これは36章に出てくる。それは、バルクはエレミヤの口述筆記者として受難の日々を歩むことになった。
  3節「あなたはかつてこう言った『ああ、災いだ。主はわたしの苦しみに悲しみを加えられた。わたしは疲れ果てて呻き、安らぎを得ない』」。ここに彼の生涯が示されている。エレミヤと一緒にエジプトに連れて行かれ彼の代弁者となっている(43章6節)。51章59~62節には、ゼデキヤ王がバビロンに行った時、宿営長としてバルクの兄弟セラヤが同行し、エレミヤの巻物をバビロンに持って行っている。ここに「マフセヤの孫でネリヤの子であるセラヤ」とある。歴代誌下34章8節「町の長マアセヤ」から、バルクもその孫であり、名門の出身かも知れない。彼には栄達の道からは遠く、エレミヤと共に孤独な生涯だったことが想像される。
  5節「あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える」。口語訳「しかしあなたのいのちは、あなたの行くすべての所で、ぶんどり物としてあなたに与える」。岩波訳「あなたの行くすべての所であなたの命を戦利品として与える」。バルクに対する神の言葉は厳しい。神の僕の道はエレミヤもバルクも同じである。「ただあなたの命だけは、どこに行っても守り、あなたに与える」とは、神からの唯一の慰めとなる。戦士は激戦の後に戦利品を授かるが、バルクには何も無く、ただ与えられるのは命だけである。しかしこれは殉教者に授けられる命の冠である。
  ここで示されるのは第二テモテ4章7~8節口語訳「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」


主の言葉を聞け

2014-08-22 | Weblog
  エレミヤ44章 

 26節「それゆえ、エジプトに住むユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。わたしはわが大いなる名にかけて誓う、と主は言われる。エジプト全土のユダの人々の中に、『神である主は生きておられる』と言って、わたしの名を口に唱えて誓う人はひとりもなくなる」(新共同訳)

  1節「エジプトのミグドル、タフパンヘス、メンフィスならびに上エジプト地方に住む、ユダの人々に対する言葉がエレミヤに臨んだ」。既に前から在留していたユダヤ人もいたようだが、エレミヤはエジプトに移住したすべての民に向って預言した。それは、神の警告を無視し、信頼を裏切り、異教の神々に香をたき、礼拝したと告げる(2~3節)。
  4節「わが僕である預言者たちをお前たちの処へ繰り返し派遣して、わたしが憎むこの忌まわしいことを行ってはならないと命じた」。預言者らを繰り返し派遣して警告したが、それにも関らず、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪を改めず、異教の神々に香をたくことをやめなかった。そこで主の怒りと憤りが燃え上がり、エルサレムは廃墟と化したと語った(5~6節)。
  7節「このとき、バビロンの王の軍隊は、エルサレムと、ユダの残っていた町々、すなわちラキシュとアゼカを攻撃していた。ユダの町々の中で、これらの城壁を持った町だけがまだ残っていたのである」。何故、ユダの滅亡を経験したにも関わらず、寄留しているエジプトにおいて、自分の手で偶像を造り、異教の神々に香をたき、わたしを怒らせ、世界のあらゆる国々で、ののしりと恥辱の的となるのか。神の審判としてなされたエジプトで同じ背信行為を行うのは何故なのかと問う(8節)。
  14節「エジプトの地へ移って寄留しているユダの残留者には、難を免れ生き残り、ユダの地に帰りうる者はひとりもない。彼らは再びそこに帰って住むことを切望しているが、少数の難を免れた者を除けば、だれも帰ることはできない」。神の厳しいが告げられる。それに対して、自分たちの妻が異教の神々に香をたいているのを知っている男たち、そこに多く集まって居合わせていた女たち、更にはエジプトの上エジプトに住む人々がこぞってエレミヤに反論する(16節)。新改訳では「大集団の女たち」とある。彼らは「あなたが主の名を借りて我々に語った言葉である」として反論するのである(新改訳)。
  17節「我々は誓ったとおり必ず行い、天の女王に香をたき、ぶどう酒を注いで献げ物とする。我々は、昔から父祖たちも歴代の王も高官たちも、ユダの町々とエルサレムの巷でそうしてきたのだ。我々は食物に満ち足り、豊かで、災いを見ることはなかった」。預言者エレミヤを通して警告が続く。これに対して大集団の女たちは、エレサレムの災禍は「天の女王に香を焚くこと」をしなかったのが原因だったので、今ここで「天の女王を愛して香を焚くこと」を止めることはできないという(18~19節)。主の警告は変わる事はない。26節でも繰返している。かつてのモーセのようだ。
  28節「このことこそ、わたしの言葉か、彼らの言葉か、どちらが本当であったかを悟るであろう」。口語訳「わたしの言葉が立つか、彼らの言葉が立つか…」。歴史を支配する神が真実を証すると語り、「わたしの告げた言葉が実現する」その時を預言者は確信する。


主の声に聞き従わなかった

2014-08-14 | Weblog
  エレミヤ43章 

  4節「こうして、カレアの子ヨハナンと軍の長たちすべて、および民の全員は、ユダの地にとどまれ、という主の声に聞き従わなかった」(新共同訳)

  1節「彼らの神である主がエレミヤを遣わして伝えさせたすべての言葉を、彼が民の全員に語り終えたとき」。小見出しは「エジプトへの逃亡」。42章の続き。アザルヤとヨハナンおよび高慢な人々はエレミヤに向かって、あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしていない。主はエジプトへ行って寄留してはならないと言ってはおられないと全面否定したのである(2節)。ここで彼らの態度は一変している。「高慢な人々」とは、神の聖意に対して自分の意志や考えを先行させる人である。彼らはエレミヤと行動をともにしている書記官バルクが唆して、バビロンに捕囚として連れて行こうと企んでいるのだと言った(3節)。
  4節「こうして、カレアの子ヨハナンと軍の長たちすべて、および民の全員は、ユダの地にとどまれ、という主の声に聞き従わなかった」。そして、ユダの地の残留民をすべて集めた。そこには男女、子供、王の娘たち、すべての人々、また預言者エレミヤとバルクもいた(5~6節)。彼らは、主の言葉に従わないで、集められたすべての人を連れてエジプトの地、タフパンヘスにたどり着いた(7節)。
  8節「主の言葉がタフパンヘスでエレミヤに臨んだ」。小見出し「エジプトにおける預言」。主がエレミヤにつげたのは、大きな石を手に取り、ユダの人々の見ている前で、ファラオの宮殿の入り口の敷石の下にモルタルで埋め込めるという象徴行為であった(9節)。
  10節「彼らに言いなさい。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは使者を遣わして、わたしの僕であるバビロンの王ネブカドレツァルを招き寄せ、彼の王座を、今埋めたこの大石の上に置く。彼は天蓋をその上に張る」。バビロンがこの地を支配するというのである。エジプトとバビロンとの関係は、ユダの国を挟んで対立していた(37章11節)。しかし形勢はバビロンに傾き、エジプトの王であるホフラは倒されることになる。多くの者が疫病にかかり剣に渡される(11節・44章30節)。
  13節「また、エジプトの太陽の神殿のオベリスクを破壊し、エジプトの神々の神殿を火で焼き払う」。口語訳「彼はエジプトの地にあるヘリオポリスのオベリスクをこわし、エジプトの神々の宮を火で焼く」。岩波訳「…エジプトの地にあるベト・シェメシュの諸々の柱を~」となっている。バビロン遠征軍は国土をも荒らし、「平然として」(岩波訳)この地を去っていくと告げられた。

  神の御声に従うことを否定し、その予言は偽りだと言う高慢な人々とは、「己の腹を神とする者」であり、その行き着くところは滅びである(フィリピ3章19節)。日本人の宗教人口は、実際より数千万人多いと言われる。それは複数の宗教を持っているからである。このような宗教心をもって神社仏閣に参拝する人々をテレビ映像で目にする時に、激しい悲しみを覚えずにはいられない。


一斉に身を翻して帰って行った

2014-08-11 | Weblog
 エレミヤ41章 

  14節「イシュマエルがミツパから捕虜として連行した人々は、一斉に身を翻してカレアの子ヨハナンのもとに帰って行った」(新共同訳)

  1節「ところが七月に、王族の一人で、王の高官でもあった、エリシャマの孫でネタンヤの子であるイシュマエルが、十人の部下を率いてミツパに赴き、アヒカムの子ゲダルヤを訪ね、ミツパで食事を共にした」。40章に続く。そのとき、彼らが突然襲いかかって、ゲダルヤを剣にかけて殺害した。暗殺計画を見抜けなかったゲダルヤは王家の末裔イシュマエルに殺される。更にミツパにいた側近と占領軍のバビロン兵士たちも殺された(2~3節)。
  4節「ゲダルヤ暗殺の翌日、まだだれにも知られないうちに」。シケム、シロ、サマリアから来た八十人の一行が、ひげをそり、衣服を裂き、身を傷つけた姿で通りかかった。彼らは、主の神殿にささげる供え物と香を携えていた。エルサレム陥落を嘆いて神殿に向かう巡礼者80人であったが、ミズパに通りかかった。イシュマエルは哀願する10人を生かし、70人を殺した(5~9節)。そして彼はミズパにいた民の残留者を捕虜にしてアンモンに逃れようとした(10節)。
  11節「カレアの子ヨハナンをはじめとする軍の長は皆、ネタンヤの子イシュマエルが行った悪事を聞き」。総督を支持していた反イシュマエル派の彼は直ちに、すべての兵を率いてイシュマエルと戦うために出発し、ギブオンの大池のほとりで彼に追いついた。イシュマエルに捕らえられていた人々は皆、ヨハナンと軍の長たちの姿を見て歓喜した。そして一斉に身を翻してヨハナンのもとに帰って行った(12~14節)。イシュマエルは8人の家来とともに逃れてアンモン人のもとに向かった(15節)。その時の情景が浮かんでくる。
  16節「アヒカムの子ゲダルヤの暗殺の後、カレアの子ヨハナンと、彼と共にいたすべての軍の長たちは、ネタンヤの子イシュマエルのもとから救い出した民の残りの者をすべて、すなわち、ギブオンから連れ戻した指揮者、兵士、女、子供、宦官らをミツパから連れて」。一行はバビロン軍の報復を恐れて、ベツレヘムに近いキムハムの宿場にとどまり、エジプトへ逃れようとした。総督のゲダルヤ亡き後に彼らはなすべきすべを失っていたのである(17~18節)。捕囚後のユダの民も指導者も、無秩序状態に陥っていたことが伺える。これは羊飼いのない羊の群れが彷徨している有様であった。
「羊飼いを撃つと羊の群れは散らされる」(ゼカリヤ13章7節)とある。主イエスは飼い主のいない羊を深く憐れまれた(マルコ福音書6章34節see)。主イエスを通して示される神の憐れみは迷える羊を真の牧者によって救い出し、豊か養われる者とされた。詩23篇には、そのことが高らかに賛美されている。
  第一ペトロ2章25節「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」が示される。



人々と共にとどまる

2014-08-09 | Weblog
  エレミヤ40章 人々と共にとどまる

  6節「こうしてエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった」(新共同訳)

  1節「主から言葉がエレミヤに臨んだ。それは親衛隊の長ネブザルアダンが、バビロンへ捕囚として移送されるエルサレムとユダのすべての人々と共に、エレミヤを捕虜として鎖につないで連行したが、ラマで釈放することにした後のことである」。小見出し「エレミヤの釈放」。彼の釈放はエルサレム北20キロ程のラマであった。そこで親衛隊長は今後の処遇について極めて好意的な言葉を告げている。主なる神は、この場所に災いをくだすと告げ、その通り実行された。それは主に対して罪を犯し、その声に聞き従わなかったのでこのことが起こったのだ(2~3節)。
  4節「さあ、今日わたしはあなたの手の鎖を解く。もし、あなたがわたしと共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての土地を見て、あなたが良いと思い、正しいとするところへ行くがよい」。そこで、エレミヤはミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることにした(5節)。アヒカムはかつてエレミヤを保護した人物である(26章24節)。親衛隊長ネブザルアダンはエレミヤに割り当ての食糧を与えて解放したのである(6節)。
  7節「野にいたすべての軍の長たちはその部下と共に、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地に立てて総督とし、バビロンに移送されなかったその土地の貧しい人々に属する男、女、子供たちを彼のもとにゆだねたことを聞き」。小見出し「ゲダルヤの働き」。そこで軍の長たちは、ミツパにいるゲダルヤのもとに集って来た。イシュマエル、ヨハナンとヨナタン、セラヤ、エフィイの一族、エザンヤとその部下たちの名前が挙げられた(8節)。
  10節「このわたしがミツパにいて、やがて到着するカルデア人と応対しよう。あなたたちはぶどう酒、夏の果物、油などを集めて貯蔵し、自分たちの確保している町々にとどまりなさい」。ゲダルヤは、避難所から帰って来た人々に寛容な態度を示した。彼はバビロンの王に仕え、平安な日々をすごすようにと告げた(11~12節)。
  13節「ときに、カレアの子ヨハナンと、野にいた軍の長たちがそろってミツパにいるゲダルヤのもとに来て」。小見出し「ゲダルヤの暗殺」。アンモンの王バアリスが、暗殺しようとして、ネタンヤの子イシュマエルを送り込んでいるのをご存じかと告げたが、ゲダルヤは、この進言を信じなかった。そこで重ねてヨハナンは極秘に、事態の重大さを告げ、暗殺されるなら、ユダの人々が散り散りになってしまう。わたしが行ってイシュマエルを殺害すると申し出た。しかしゲダルヤはこの進言を拒否した(14~16節)。この結果は41章に記される。これは、信頼に基づく共同体でない時に必ず内紛によって、崩壊するという教訓となる。
 エレミヤ晩年の記事であるが、彼がバビロンではなくユダの民の間に住む決断をしたことに注目したい(5~6節)。彼は自らの安寧を求めなかった。神の言葉を伝えるという召命に応えるためだと思う。老いの身ながら、死に至るまで忠実な僕の姿を見る(ヨハネ黙示録2章10節)。預言者には隠退はない。現代の社会は人の平均寿命が延びて高齢者の占める割合は高くなった。出産率と連動して「少子高齢化」と呼ばれるが、課題は与えられた人生をどのように生きるかである。キリスト者、取分け伝道者には「隠退」はしない。

わたしは必ずあなたを救う

2014-08-01 | Weblog
エレミヤ39章 

  18節「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる」(新共同訳)

 1節「ユダの王ゼデキヤの第九年十月に、バビロンの王ネブカドレツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、これを包囲した」。小見出し「エルサレムの陥落」。バビロンの王ネブカドレツァルと全軍に包囲され、三年後のゼデキヤの第十一年四月九日になって、城壁の一角が破られた (2~3節)。ゼデキヤと戦士たちは逃亡したが、逮捕されリブラで裁きを受け王子らと貴族たち約70人は処刑され、ゼデキヤは両眼をつぶされてバビロンに連れていかれた(4~7節)。城壁は壊され、町は焼かれ、投降した者、町に残っていた者らも捕囚の民としてバビロンに連れ去られ、無産の貧しい民の一部が残され、ブドウ畑と耕地を与えられた(8~10節)。列王記下25章にも詳細に記されている。紀元前586年、第二回捕囚である。
  11節「バビロンの王ネブカドレツァルはエレミヤに関して、親衛隊の長ネブザルアダンに命令を下した」。バビロンの王はネブザルアダンにエレミヤの保護を命じた。それは彼を連れ出し、よく世話をするように、いかなる害も加えてはならない、彼が求めることは、何でもかなえてやるようというものであった(12~13節)。
  14節「監視の庭からエレミヤを連れ出し、シャファンの孫で、アヒカムの子であるゲダルヤに預け、家に送り届けさせた。こうして、エレミヤは民の間にとどまった」。書記官シャファンと、その子アヒカムは、ヨシヤ王の時に宗教改革を主導した人物である(列王記下22章see)。その孫アヒカムは40章にある通り、新しくユダの統治者として任命される。新バビロン政策を支持する人物だったことが伺える。
  16節「『クシュ人エベド・メレクのもとに赴いて告げよ。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都について告げたわたしの言葉を実現させる』」。クシュ人とはエチオピアを指し、エジプト人の背景を持っている人物であった。かつて彼がエレミヤを保護した事柄を覚え(38章10~13節)、エルサレムが破壊され、焼かれる時に救助されることを主の言葉として伝えた。
 18節「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる」。彼のエレミヤに対する厚意が、主への信頼から来ていたことを教えている。
  この思想は原始キリスト教会では「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい」として説かれている(ローマ12章13節、エフェソ3章8節、1テモテ5章10節)。主の弟子たちは「杖一本をもって伝道の旅をした」(マルコ福音書6章8~13節)。キリスト教会は信頼し合う愛の共同体である。主イエスはこれがわたしの命令であると示している。ヨハネ福音書15章12節「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」