ヨナ3章
2節「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ」(新共同訳)
1節「主の言葉が再びヨナに臨んだ」。小見出し『ニネベの悔い改め』。魚の腹から陸地に吐き出されたヨナは、再び主からニネベに行って語ることを命じられた(2節)。預言者としての召命である。彼は直ちに主の言葉に従ったのである。「直ちに」(クーム)は口語訳「立って」となっている。直訳は「立ち上がって」で、使命への応答である。ニネベは大きな町で、一回りするのに三日かかるとある(3節)。
4節「ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。『あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる』」。40日ということは、10回程回ることになる。ヨシュア記を読むと、ヨシュアはエリコの城壁を七日間まわったとある。しかしここでは彼は一日ほんの僅かな距離しか叫んでいないのである。そこで彼は「陰府の底から助けを求め」(2章3節)、「滅びの穴から引上げてくださる」(同7節)というメッセージを語らなければならない筈だ。
5節「すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった」。ヨナの宣教は最小限であった。ニネベの都で一日だけ、しかも一市民に告げたのに、それが王に伝わり、王座から立ち上がり王衣を脱ぎ捨て、王と大臣の名で悔い改めの断食を命じ、布告するまでになった(6節)。
7節「王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる」。そして、ひたすら神に向かって祈り、悪の道を離れ、その手から不法を捨てよと告げている(8節)。当時のペルシャはゾロアスター教で光(マツダ)と闇(アーリマン)を神が支配するという民族宗教であった。これはまるで預言者ヨナの言葉のようだが、むしろ神が王に語らせたというべきだろう。
9節「そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない」。悔い改めの断食祈祷である。その徹底した断食は王と民だけでなく家畜にまで及んでいる。
ヨナに告げた神が彼らの耳を開かれたのであり、神は思い直され、宣告した災いを下すのをやめられた(10節)。狭い民族宗教の枠を超えた神の慈愛が示されている。これはヨナにとっては想定外の出来事であった。そのことが4章でふれている。
2節「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ」(新共同訳)
1節「主の言葉が再びヨナに臨んだ」。小見出し『ニネベの悔い改め』。魚の腹から陸地に吐き出されたヨナは、再び主からニネベに行って語ることを命じられた(2節)。預言者としての召命である。彼は直ちに主の言葉に従ったのである。「直ちに」(クーム)は口語訳「立って」となっている。直訳は「立ち上がって」で、使命への応答である。ニネベは大きな町で、一回りするのに三日かかるとある(3節)。
4節「ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。『あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる』」。40日ということは、10回程回ることになる。ヨシュア記を読むと、ヨシュアはエリコの城壁を七日間まわったとある。しかしここでは彼は一日ほんの僅かな距離しか叫んでいないのである。そこで彼は「陰府の底から助けを求め」(2章3節)、「滅びの穴から引上げてくださる」(同7節)というメッセージを語らなければならない筈だ。
5節「すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった」。ヨナの宣教は最小限であった。ニネベの都で一日だけ、しかも一市民に告げたのに、それが王に伝わり、王座から立ち上がり王衣を脱ぎ捨て、王と大臣の名で悔い改めの断食を命じ、布告するまでになった(6節)。
7節「王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる」。そして、ひたすら神に向かって祈り、悪の道を離れ、その手から不法を捨てよと告げている(8節)。当時のペルシャはゾロアスター教で光(マツダ)と闇(アーリマン)を神が支配するという民族宗教であった。これはまるで預言者ヨナの言葉のようだが、むしろ神が王に語らせたというべきだろう。
9節「そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない」。悔い改めの断食祈祷である。その徹底した断食は王と民だけでなく家畜にまで及んでいる。
ヨナに告げた神が彼らの耳を開かれたのであり、神は思い直され、宣告した災いを下すのをやめられた(10節)。狭い民族宗教の枠を超えた神の慈愛が示されている。これはヨナにとっては想定外の出来事であった。そのことが4章でふれている。