日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

探り知る神

2009-04-30 | Weblog
  詩139篇             

 わたし・あなたという人格的関係を基盤にした生活の全領域の中での賛美と祈り。

  1~6節 神の全知
  「主よ、あなたはわたしを調べ、そして知られる。あなたはわたしが立つこと、座ることを知り、遠くからわたしの意図を悟られる」(1~2節)。祭儀的な法廷の言葉。神は個人を完全に知りつくされる。「わたしの道とわたしの伏すことを識別する」(3節)。絶えず見守る神の鋭い眼差しに出会い、自分の人生はもはや自分のためにだけのものでない驚きの言葉である。「わたしの舌に言葉がない時に、見よ主はすべてを知っている」(4節)。動機と心情を察知される。「あなたは前と後ろでわたしを挟み、あなたの手をわたしの上に置かれる」(5節)。敵意からでなく守るため。「不思議な知識はわたしより遥かに高く、わたしには及ばない」神の全能は恐れでなく慰めであり、神の知識は人のどんなに深い理解でも及ばない。

  7~12節 神の遍
  「あなたの霊からわたしはどこに行き、あなたの顔からわたしはどこへ逃れえよう」(7節)。ヨナの物語を想像する。「わたしがもし天の昇っても…、陰府に床を敷いても…」(8節)。神から逃れるのでなく、今は神が共にいます喜びを告白する。「陰府」は死の支配するところ、そこにも神の存在を考える。死も人を神から離すことはできない(ローマ8章38~39節)。「わたしが曙の翼をもって海の果てに住んでも…」(9~10節)。八節が上下の広さを、9~10節は東西の広さを示す。神の不偏の愛を告白する。「闇がわたしを押し潰そうとも、夜はわたしのために光がある。闇も暗くない。昼のように闇は輝く」(11~12節)。

  13~18節 神の全能
  「内臓」(13節)。感情や意志の宿る所。「母の胎内」は暗い所で「闇」(12節)から発展した思想。肉体をギリシャ思想のように軽視しない。「わたしの骨は隠れていなかった、わたしが造られた隠れた所、地の深い所で織られた」(15節)。「胎児のわたしをあなたの両目は見、…造られた日々があなたの書に全部書かれた」(16節)。生前から寿命が定められていたという神の予知。「そしてわたしにとって、神よ、あなたの意図は何と尊いか…」(17節)。神の聖意で貫かれる生涯。

  19~22節 神なき者を亡ぼす願い
  「神よ、どうかあなたが殺す悪人を…」(19~21節)。神に反逆する人々への嫌悪を表明する。神のさばきの確信の表現。素朴な思いつめた神への愛が、罪と罪人の区別を困難にしている。「彼らをわたしは彼らを憎しみの極みで憎みます」(22節)。神を愛することは神に逆らう者を敵として憎むこと。

  23~24節 導きを祈る
  「神よ、わたしを調べ、わたしの心を知ってください。わたしを吟味し、わたしの悩みを知ってください。そしてわたしの中に痛み(偶像礼拝)があるかどうかを見て、永遠の道に導いてください」(23~24節)。「調べる」は金属を溶かし精錬することで大胆な祈り。神にこそ希望があるので、思いきって神にまかせる。

御名に感謝します

2009-04-29 | Weblog
  詩138篇  

  賛歌 (138~145篇 ダビデ詩集)

  1~3節 神への感謝。
  「わたしはわたしの心のすべてであなたに感謝し、神々の前であなたをほめ歌う」(1節)。新共同訳「…神の御前で~歌います」。口語訳「もろもろの神の前で」。異邦の多くの神々には目もくれず、心をつくして、主なる神に感謝し賛美する。ここでは、137篇の賛美出来ない状況から、一変している。
  「あなたの聖なる神殿に向かってわたしはひれ伏す。そしてあなたの名を感謝する。あなたの慈しみ(ヘセド)のゆえに、あなたの真実(エムナー)のゆえに。あなたの名のすべてよりもあなたの言葉を大きくされた」(2節)。「あなたの名のすべてとあなたの言葉を大きくされた」と訳すこともできる。
 「わたしが呼んだ日に、あなたはわたしに答え、わたしの魂に力を与え、わたしを奮起させた」(3節)。神が契約を誠実に示されるので、絶望の中から、活力を与えられ賛美をすると告白する。

  4~8節 神への信頼と賛美。
  「主よ、地のすべの王たちが、あなたに感謝する。なぜならあなたの口の言葉を聞いたから」(4節)。口語訳「主よ、地のすべての王はあなたに感謝するでしょう」。全世界を包含する宣教的基調を帯びて、彼らも契約の民の群に加わって主を賛美するという(ゼカリヤ8章20~23節)。
  「そして彼らは主の道について歌う。なぜなら主の栄光は大きいから」(5節)。主の働きの素晴らしさを王たちは賛美する。
6節 主の超越性と地上への介入を物語る。第二イザヤ的な、主の神の世界支配の思想である(イザヤ57章15節)。過去の恵みの経験(3節)は、現在と未来への神の救いの確信につながる。
  「たとえわたしが苦難の中を歩いていても、わたしの敵たちの怒りの上でも、あなたの手を伸ばしてわたしを生かしてください。あなたの右手がわたしを救うように」(7節)。神は生命を与え、右の手の業で敵から守り、救いを与えられる(イザヤ57章15節)。
  「主はわたしの為に成し遂げられる。主よ、あなたの慈しみ(ヘセド)は永遠に。あなたの両手の業を放さないで下さい」(8節)。岩波訳「ヤハウェがわがために成就しますように。ヤハウェよ、あなたの恵みはとこしえに。あなたの手の業を、やめないで下さい」。契約の民の一員であることを確信し、主の業が、まさに自分の為であることを告白する。
  この救いの確信から、主を賛美し祈りをもって結ぶ。


バビロンの流れのほとり     

2009-04-28 | Weblog
  詩137篇      

  民の嘆きの詩編。

   1~4節 会衆の嘆き
  「バビロンの川のほとりで、わたし達がシオンを思い出す時、わたし達は座して泣いた」(1節)。郷里シオンに帰りその荒廃した町の有様を目にして心に湧いてくる思い。「わたし達の竪琴を、柳の木々の上に掛けた」(2節)。苦痛に満ちた時を過ごす者には悲しみのゆえに竪琴を奏でることさえ出来ないでいる。捕えた民が近づいてくるので竪琴をバビロンの川のほとりの柳の木に掛けたという。「わたし達を捕虜にした者たちが、わたし達を嘲る者たちが歌を喜ぼうと求めて言葉をかけた。  『わたし達のためにシオンの歌を歌え』と」(3節)。陽気な歌を歌えと求めるので、屈辱が一層増してくる。「どうしてわたし達は主の歌を異国の地で歌えよう」(4節)。彼らの慰みの手段に貶められることに耐えられない。

  5~6節 シオンへの思慕 
  主語が「わたし」になる。「エルサレムよ、もしもわたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手が忘れるように」(5節直訳)。新共同訳「右手がなえるように」、口語訳「衰えさせてください」。
  「わたしの舌は上顎にくっつくように。もしも、あなたを思い出さないなら、もしもわたしがエルサレムを、最上の喜びに上げないのなら」(6節)。賛美が異教の聴衆により慰みの手段となるなら、やつれて舌が顎についたほうがよい。そうすれば歌えなくなる。それはエルサレム再建の願いでもある。

  7~9節 神の復讐
  「裸にせよ、裸にせよ」口語訳「これを破壊せよ、これを破壊せよ」敗戦の混乱をはやし立てる言葉。屈辱に対する個人的な復讐ではなく「エルサレムの日」に為したエドムの人々に神の手がくだるようにと願う。「バビロンの娘よ、掠奪された者よ、お前に仕返しする者は幸いだ」(7節)。新共同訳「破壊者」。
  「おまえの幼児達を、岩に向かって打ち砕くよう、つかむ者は幸いだ」(9節)。口語訳「…岩になげうつ者はさいわいである」。恐るべき残酷な叫びをあげて、バビロンが完全に滅ぼされるようにと祈る。これはバビロンの王位継承を絶つという意味だといわれる。
  これと関連した民族的な嘆きの歌が「哀歌」である。

  キリスト者も喪失感に陥ることがある。その癒され難い苦悩に対して慰め主(パラクレートス)がおられることを感謝したい(ヨハネ福音書14章)。



まことに慈しみは永遠に 

2009-04-27 | Weblog
詩136篇    

「大ハレルヤ」とも呼ばれる詩篇。祭司の呼びかけに民が応える讃美の歌。

  1~3節 主に感謝せよ 
  「主に感謝せよ、なぜなら善い(トーブ)方。まことに彼の慈しみ(ヘセド)は永遠」(1節)。「神々の神に感謝せよ、まことに彼の慈しみは永遠」(2節)。「主(複数)の中の主に感謝せよ、まことに彼の慈しみは永遠」(3節)。「神々の中の神」「主たちの中の主」 威光と尊厳を表す(歴代誌上29章11節see)。

  4~9節 天地の創造主なる神への感謝と賛美。
  「一人で大いなる不思議な業を行なった方。まことに彼の慈しみは永遠」(4節)。
  具体的内容が5節以下に述べられる。それは創造と歴史支配という二つの主題である。
  「英知をもって天を造った方」(5節)。岩波訳「巧妙に天を作った方」104篇24節。
  「大地を水の上に」(7節)。24篇2節、135篇6節。「大きな光を~」(7節)。74編16節。「日と月星」(8~9節)。創世記1章14~16節。
 
  10~22節 歴史を支配される主なる神への感謝と賛美。
 「エジプトの初子を打った」(10節)。出エジプト12章12~13、28~30節。「導き出した方」(11節)。出エジプト12章51、13章3節。「力強い手と腕」(12節)。出エジプト6章16、13章9節。13~15節 出エジプト14章12~31節。
  「ファラオとその軍勢を葦の海に投げ込んだ」(16節)。出エジプト13章17~22、15章22、16章1節。「アモリ人の王シホン」(19節)。民数記11章。「土地を嗣業として与え~」(21節)。エレミヤ11~19章。

  23~25節 助け主ですべての食物を与えられる神
  23~25節は、神の属性をあげて、感謝と賛美をささげる。
  「わたし達が卑しかった時に、彼はわたし達を覚えてくださった。彼の慈しみは永遠に」(23節)。「主はわたしたちの敵の群から救い出してくださった。彼の慈しみは永遠に」(24節)。「すべの肉なる者にパンを与える方。彼の慈しみは永遠に」(25節)。「すべて肉なる者」世にあるすべての被造物。歴史を振返ってそれが人の業や価値によらず、主の憐れみと慈しみによったことを確認し、主が敵の手から守られることを覚え、すべての必要を満たしてくださる神に感謝をささげる。

  26節 頌栄
  「天の神に感謝せよ・まことに彼の慈しみは永遠に」。「天の神」は詩篇で唯一の表現。捕囚期の神称号である。(エズラ1章2節、ネヘミヤ1章4.2章4節)。

主の御名を讃えよ 

2009-04-26 | Weblog
詩135篇          

ハレルヤ賛歌。

 1~3節 賛美への招き
 「ハレルヤ主の名を褒め称えよ。主の僕らよ、ほめたたえよ。主の家に、わたし達の神の家の中庭に立っている者たちよ」(1~2節)。「主の僕らよ」会衆一同を指す。134篇と違い神を賛美せよとの要請は、祭司だけでなく、神殿の庭に集う会衆にも向けられる。本詩全体が神への喜びによって貫かれ、それは神の恵みに基づいている。「ハレルヤ、なぜなら主は良い(トーブ)。彼の名をほめ歌え、なぜなら麗しい」(3節)。

 4~18節 主を賛美する動機
 「宝の民とされた」(4節)。出エジプト19章5~6節。
 「主は天で、そして地で、海で、そして深淵で欲することをすべて行なわれる」(6節)。創造と自然の支配において明らかになった神の偉大さを讃美する。「雨雲、稲妻、雨と風」(7節)は、秋祭りの収穫の終わりと雨期の始まりを指し、新年の豊穣を祝うものとなる。
 「エジプトの長子たちを撃ったこと、人も家畜も…」(8~9節)。エジプト脱出の時の出来事。「多くの国々を撃ったこと…」(10~11節)。民数記21章21~35節、申命記2章24~3章11節。創造と選びが互いに関連を持ってはじめて、救済史に対する神の行動は完全なものとなる。
 13-14節。救いの歴史の主との出会いを、会衆は讃美の祈りの中で表わす。
「主よ、あなたの名は永遠に。主よ、あなたの名は代々に」(13節)。主の名が代々に永続することが強調される。
 15-18節 会衆は神なる主に無条件に真実を尽くすという義務が続きます。それは異なる神々を拒絶することで鋭く対立します。
「国々の金と銀の偶像は、人間の手の業…」(15節)。偶像の無力を軽蔑し、偶像を拝む者たちを呪う。一つの明確な分離と決断を要求する。
 19~21節 賛美への招き
 「イスラエルの家よ、主をほめよ(バルーフ)。アロンの家よ、主をほめよ」(19節)。「レビの家よ、主をたたえよ(ハレル ヤハ)」(20節)。

 祭司、レビ人、全会衆は神の偉大さを讃美して終りを告げる。

賛美と祝福の歌 

2009-04-25 | Weblog
  詩134篇 
    
  巡礼の最後の短い歌。

  「見よ、主のすべての僕たちよ、主をほめよ。夜々主の家で立って仕えている者たちよ」(1節)。岩波訳「さあ、たたえよ、ヤハウェを」。祭司たちは昼も夜も務めを行っていた(歴代誌上9章33節)。灯火も夜中消してはならなかった(レビ記6章13節)。何故なら神もまた昼も夜も眠ることもまどろむこともないからである(121篇4節)。

  「あなたがたの両手を聖所に向って上げよ。そして主をほめよ」(2節)。祈りの姿勢を示す(28篇2節)。会衆が祭司たちに呼びかける。

  「天と地を造られた主が、シオンからあなたを祝福するように」(3節)。天地の創造主がシオンをその住いとすると告げる(128篇5節、121篇1節、124篇8節)。
祭司たちが会衆にむかってする祝祷です。

  「祝福される」ヴァレへフーは2節「たたえよ」ヴァラフーと同じ語源からきた言葉。祝福は神から出、それを受け止めた者のみが神をほめたたえ、人を祝福することができる。

  巡礼者がエルサレムを去る時に、祭司たちと交わす讃美と祝福の歌である。民は神殿で夜勤の祭司に向かって讃美し、祭司たちは民に祝福の言葉を告げる。

  ルターは「万人祭司」と言ったが、偉大な大祭司イエス(ヘブライ4章14~16節)の許にあって、人々に執成しと祝福を祈る者なることである。


 東京駅前まるビル7階喫茶店に入ったら、その椅子に十字架のデザインがあった。店員に聞くと、どうやらキリスト教会から払い受けた物らしいとのこと。珍しい発見だった。

  兄弟愛の賛歌 

2009-04-24 | Weblog
 詩133篇   

 巡礼の歌 126、127と同じ祝福の詩編

  「見よ、何と良く(トーブ)、そして何と楽しいことよ。兄弟たちが座ること、しかも一緒に」(1節直訳)。口語訳「兄弟が和合して共にいるのは、いかに麗しく楽しいことであろう」。岩波訳「まあ、なんと善く、なんと麗しいことか。兄弟がいっしょに住むことは」。捕囚から帰還した民と、そこに残留していた同胞の間に複雑な感情の対立があった。イスラエル復興と再建に妨げとなる程のもので、その危機の中で和合を願うものである(イザヤ66章2~17節参照)。

  「良い(トーブ)油が頭の上からあご髭に垂れる、アロンのあご髭から衣服の襟元に垂れる。…それはヘルモン山からシオンの山々に垂れる露のようだ」(2~3節)。「アロンのあご髭」 レビ記21章5節see。「衣服の襟」ここには12部族の名前が刻んであった。アロンの祭司に油が注がれると、油は襟を伝わり12部族の名前の上を潤す有様が想像されている。神の祝福が全部族に及ぶ事を象徴的に歌う。   「ヘルモン山からシオンの山々~」八ヶ月に及ぶ雪解けの水は、乾燥したユダの山岳地帯にまで流れ下る有り様を比喩として語る。

  「まことに主はそこに(シオン)、祝福と、生命が永遠まであるように命じた」(3節後半)。岩波訳「まことにそこでヤハウェは命じた、祝福を、とこしえまでのいのちを」。天からの祝福が神の民に下るという確信であり、期待である。ゼカリヤ8章1~13節。

  教会はキリストに結ばれる愛の共同体であり、「兄弟愛をもって互いに愛し、互いに相手を優れた者と思う」ところ(ローマ12章9~15節)。


 神殿奉献

2009-04-23 | Weblog
 詩132篇
    
  巡礼の歌。時代設定をダビデ王朝にした詩。

  1~5節 神殿建設に至らなかったダビデの苦しみ        
  「主よ、ダビデが苦しめられたすべてを思い出してください。彼が主に誓ったところのこと、ヤコブの勇者に誓願を立てたことです」(1~2節)。口語訳「…ダビデは主に誓い、ヤコブの全能者に誓いを立てて言いました」。創世記49章24節see。新共同訳「謙虚に振る舞った」は意訳。その労苦は神の神殿場所を探すこと(5節)。
  「わたしは決してわが家である天幕に入らず、決してわたしの寝床の布団に入らない。そして眠りを、瞳にまどろみを与えません」(3~4節)。「主のための場所を、ヤコブの勇者のための住まいを見つけるまでは」(5節)。契約の箱をエルサレムに運び込む時の労苦(サムエル記5~6章)、その後の神殿建設に至らなかった日々を指す(サムエル記下7章1~3節、列王記上8章17節)。

  6~9節 神の箱が運ばれ、神殿での祭りを祝う
  「見よ、わたしたちはそれをエフラタで聞いた。ヤアルの野でわたしたちはそれを見つけた。わたしたちは彼の住いに行き、…ひれ伏そう」(6~7節)。「主よ、立ち上がり、あなたの憩いの地にお進みください…」(8節)。自分たちの本心より、主ご自身の御心を優先させる祈り。「あなたに義(ツェデク)を着るあなたの祭司たち、そしてあなたの聖徒らは喜び歌う」(9節)。

  11~12節 ダビデに対す神の約束 
  11節はサムエル記上7章12~17節の要約。「もしあなたの息子達が、わたしの契  約を守るなら、そして私が彼らに教える証を守るなら、永遠にあなたの王座につく者となる」(12節)。サムエル記下7章27~29節see。

  13~18節 シオンの選び 
  「主は、まことにシオンを選び、住まいとして望まれた。『これはわたしの永遠の休息所とし、ここにわたしは住もう。わたしはこれを望む』と」(13~14節)。詩126篇にシオン回復の歌がある。
  15節以下 主の託宣
「わたしは、食糧を祝福し祝福する。貧しい者たちをパンで満腹させる。そして祭司たちにわたしは救いを着せる。聖徒たちは喜び、喜び歌わせる」(15~16節)。神の臨在は霊的喜びに留まらないで、物質的祝福をもたらす。
  「そこに、わたしはダビデの角を生えさせ、わたしの油注いだ者のために灯火を整える。わたしは彼の敵たちに恥を着せるが、彼の上には冠が輝く」(17~18節)。「角」は力と栄誉の象徴。「一つの角」「一つの灯」は理想的な王を示す。

 ダビデの子孫からメシヤ待望と結びつく(サムエル記下7章13~14節、ルカ1章69~70節)。


幼児のように

2009-04-23 | Weblog
  詩l31篇    

  信仰的安らぎと信頼を示している詩篇。最も短い巡礼の歌。

  1~2節 神への信頼
  「主よ、わたしの心は高ぶりません。そしてわたしの両目は高く上がりません。そして大きなことの中で、またわたしより不思議なことの中で歩き回りません」(1節)。「目は高く上がる」とは「高ぶらない」といこと、目は心を写す鏡である(マタイ6章22節)。「歩き回りません」は口語訳「関係いたしません」新改訳「深入りしません」。子供らしく開け広げに神の眼差しに対し心を開く。これは一種の懺悔である。
  「わたしは必ず平静にし、わたしの魂を沈黙させます。母の上で乳を飲み終えたばかりの乳児のように、わたしの魂も母の上で乳を飲み終えた乳児のようにします」(2節)。ATD「わが魂はわがうちに憩います」。純朴に母親に信頼しているが、そこには独立した自立性をも明確に示している。彼は今や神の中にいるのであって、もはや自分の中にいない。

  3節 イスラエルへの勧め
  「イスラエルよ、主を待ち望め。今から、そして永遠まで」(3節)。1~2節に示される信頼が、イスラエル全体でも証しされるようにという勧め。130篇7節と同じ。

  「幼児のように」なるのは、決して自立性を失う事ではない。それは「虚心坦懐」になることである。主への信頼に心底生きる者は、感動を失った硬化した大人にはならないということである。

  「幼子」に言及している聖句 マタイ18章1~5節、19章14節、へブライ5章12~14節、第1ペトロ2章2節、第1コリント14章20節。


深き淵より主を呼ぶ

2009-04-20 | Weblog
 詩l30篇
     
  七つの悔改め詩編の一つ。

  1~2節 主に対する祈願
  「主よ、深いところからわたしはあなたを呼ぶ」(1節)。「深いところ」:アマク。岩波訳「深み」。死と隣合せの処、69篇1~2節「大水の深い所」ヘブライ思想では深い淵は陸地全体の下にある測り知れない深い水を指し、レビヤタンのような怪獣が潜んでいると考えられていた。世の不幸というものではなく、躓けば躓くほど深みにのめり込んで行く道徳的無能力、罪の深淵を指す(3~4節see)
  「わが主よ、わたしの声を聞いてください。わたしの嘆願の声にあなたの両耳が注意深く聞いているように」(2節)。只管神にのみ、呼び叫ぶほかはない。

  3~4節 主の赦し
  「主よ、もしあなたが不義を心に留められるなら、わが主よ、誰が立つでしょう」(3節)。「心に留められる」ティシュモル「見張る、守る」。岩波訳「諸々の咎をあなたが見張りになるなら~」。罪の告白と赦しの懇願。神の義の法廷では誰一人その審問に耐えられる者はいない。
「まことに、あなたが畏れられる為に、赦しがあなたと共にあるのです」(4節)。口語訳「しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう」。罪の赦しに優る鋭い審判はない(ブルンナー)。服従の畏れは赦しの愛から来る。

  5~6節 主を待ち望む
  「わたしは主を望みます。わたしの魂は望みます。そして主の言葉をわたしは待ち望みます」(5節)。口語訳「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます」待望に対する熱意と真心が繰り返される。「わたしの魂はわが主を、見張りたちが朝を、見張りたちが朝を(待つ)よりも待ちます」(6節)。疲れた夜警が務めから解放される暁を待つ熱心さにまさると訴える。

  7~8節 主に対するイスラエルの望み
  「イスラエルよ、主を待ち望め、まことに主の慈しみが共にあり、贖いが共にあって多い」(7節直訳)。岩波訳「待て、イスラエルよ、ヤハウェを。まことに、恵みはヤハウェのもとに」。個人の救いの体験はイスラエル共同体の救いになる。この愛の確実性は、罪から全く贖う無限の力による。
  「すべて主は、イスレルをすべての不義から贖ってくださいます」(8節)。口語訳「そのもろもろの不義からあがなわれます。」

 信仰義認の詩篇として、ルターはこれを取上げている


苦悩からの解放

2009-04-19 | Weblog
  詩129篇
   
 イスラエルの嘆きの詩

 1~4節 イスラエルの若き日の苦しみ  
 「若い時から何度も、彼らはわたしを苦しめたと、イスラエルは言うように。…若い時から何度も、彼らはわたしを苦しめたが、しかしながら彼らはわたしに勝たなかった」(1~2節)。「若いとき」とは、エジプト脱出後カナンに定住した頃を指す(ホセア11章1節)。「苦しめた」諸外国からの侵略と、捕囚の連続であった(118篇2節、124篇1~4節)。
 「耕す者たちがわたしの背の上を耕し、彼らの畝の溝を長く延ばした」(3節)。過酷な農作業を強制された農夫は、自分が耕された土地であるかのように思う。
 「義なる主は、悪人たちの網を断ち切られた」(4節)。鋤につながれていた牛の軛の綱を断ち切るように、義なる主はイスラエルの民を自由にされた。

  5~8節 敵ののろい
 「すべてのシオンを憎む者たちが、恥を受けて後ろに退くように」(5節)。岩波訳「恥じて、うしろにしりぞけ」。イスラエルの解放は、屈辱からも解放する出来事。
 「抜く前に枯れる屋板の草のようになれ」(6節)。
「刈り入れる者の手を、そして束ねる者の懐を満たすことはない」(7節)。6節の比喩の説明追加。岩波訳「落ち穂拾いの懐も満たさない」。新改訳「刈り取る者は、そんなものを、つかみはしない。たばねる者も、かかえはしない」。フランシスコ会訳「まえかけを満たさない」。
 「そして通る者たちは、あなた方に主の祝福があるようにと言わない」(8節)。畑の傍らの通行人が刈り入れをする者らに投げる挨拶。
「わたしたちは主の名によってあなたがたを祝福する」(8節・付加部分)。わたし達はこの挨拶をするということである。8節はこのように解釈する方が文脈としてよい(岩波訳参照)。

神に祝福された家庭

2009-04-18 | Weblog
  詩l28篇
 
  巡礼の詩篇。「家庭の詩篇」とも呼ばれる。内容は家庭の祝福と労働の報酬で、127篇と結びついている。

 1節 「幸い」の宣言
  「如何に幸いなことか。すべて主を畏れ、主の道を歩む人よ」(1節)。「幸いなる哉」祝福の定型句(1篇1節)。 神からの祝福を受けるには、「主を恐れ、主の道(複数形)を歩む者」ことが前提となる(85:9、102:15)。心の有り方と行動様式において、非難されないことを意味する。

  2-6節 祝福された家庭
  「如何に幸いな事か、あなたは確かに両手の労苦の実をあなたは食べる」(2節)。ヘブライ語「キー」(接続詞)は「もしそうであれば・確かに」で冒頭に来る。直訳「あなたは確かに、両手の働きへの結果を食するであろう」。自然の災害を免れて収穫された農作物もしばしば略奪され、あるいは戦利品として持ち去られたからである(申命記28章30、33節、ミカ6章15節)。
  「あなたの妻はあなたの家の奥で、豊かに実るぶどうの木のようだ。あなたの息子たちは、オリーブの若木のように、あなたの食卓の回りにいる」(3節)。「家の奥」妻はまず家事を分担していた慣習を表す。「オリーブの若木」常緑のオリーブは生命力の象徴(エレミヤ11章16節)。将来の豊かな実りの可能性を秘めて、共に食卓を囲む。
  「見よ、まことに主を畏れる者をこのように祝福される」(4節)。神を畏れ尊び、悪を避けつつ大胆に生きる人のことである(箴言8章13節)。
  「シオンから主があなたを祝福してくださるように。そしてあなたの生涯の日々、エルサレムの繁栄を見よ。…そしてあなたの息子達の息子たちを見よ。イスラエルに平和」(5~6節)。原文「息子たちの息子たち」口語訳「子らの子」。箴言17章6節。エルサレムの繁栄なくして、神の民の繁栄はないということ。

 「イスラエルの上に平安が」は、125篇5節と同様に神の民全体への祝祷である。

【写真東京駅舎 丸ビル屋上より】

 

神からの安眠

2009-04-17 | Weblog
  詩l27篇 
    
 知恵の詩。内容は箴言に近い。内容の相違から1~2節と3~5節とを区分し、後者を128篇に続く詩編とする説もある。

  1~2節 働く者のための知恵
 「もし主が家を建てないならば、それを建てる者の苦労は虚しい。もし主が町を守らないなら、見張りが目覚めているのは虚しい」(1節)。勤労も神の祝福なしには目的を達成できない。表題からエルサレム神殿を示唆するが、広く家作り職人を指す。神への信頼を問い掛ける言葉。フランクリンが1787年アメリカ憲法会議で勧告として読んだエピソードがある。
  「起きることを早くし、腰を下ろすことを遅くする者よ、そして辛苦のパンを食べる者よ、それはあなた方にとって虚しいことだ。まことに主は、愛する者に眠りをお与えになる」(2節)。
  新共同訳「休む」シェヴェトは「座ること、腰を下ろすこと」である。新共同訳「焦慮してパンを食べる」口語訳「辛苦の糧」。複数形「仕事また仕事」「苦労また苦労」という意味。カルヴァンは「落着きのない心で食べるパン」と言った。手から口式でその日暮し、計画も目的もなく仕事に追われる日々である。口語訳「愛する者に眠っている時にもなくてならない物を与えられる」。「焦慮してパンを食べる者」との対照から、このような意訳も可能となる。

  3~5節 家庭をつくる者のための知恵 
  「見よ、息子たちは主の嗣業、胎の実は報酬」(3節)「見よ」とは主に信頼する者の家庭に与えられる祝福を見ること。「若い時の息子たちはまさに、勇士の手の中の矢のようだ。…彼の矢筒をそれらで満たした男は何と幸いなことか。門で敵たちと彼らが論争する時に、彼らは恥じない」(4~5節)。
  矢筒から取り出して敵に立ち向かう勇士が想定されている。「矢筒」は家庭であり「矢」は息子たち。親が老齢になった時に、子らは保護することになるのである。新共同訳「町の門」とは、門前の広場で、人々が集まる公共の場所となり、様々な生活のもめ事の裁判がなされる。若者が雄弁に敵を論駁するという。



シオンの回復

2009-04-16 | Weblog
  詩l26篇     
  バビロン捕囚から帰国した民がシオンの繁栄を期待し復興が成就することを祈り求める詩篇。
 
 1~2節 シオンの回復に対する感謝
  「シ主がシオンの繁栄を回復した時、わたし達は夢見る者たちのようであった」(1節)。岩波訳「シオンの回復を遂げたとき」捕囚の民がエルサレムに帰還し神殿再建を図ることを指す。「夢を見る」ほれム(=ケホレミーム)は死海写本「癒された者」70人訳「慰められた者」とも訳される。
  「その時、わたし達の口は笑いで、舌は喜びの声で満たされた。その時、異邦人の中で主は民に大きなことをされたと彼ら(異邦人)は言った」(2節)。帰還の喜びは、やがて廃墟のエルサレムが神の偉大な働きで復興することを先取りしたものである(イザヤ52章8~10節)。

  3~4節 繁栄の回復への祈り
  「主はわたし達と共に大きなことをしたと、わたし達は喜んだ」(3節)。口語訳  「主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。」岩波訳「喜んでいたのだ」2~3節は完了形である。新共同訳は4節以下を指している
  「主よ、わたし達をネゲブの中の川のように、わたし達の捕われ人を返して下さい」(4節)。この川は「ワジ」と呼ばれ荒れ野の乾燥した地域で、雨季に山地から一気に雨水が流れ下る処で、その一帯をネゲブ(原語“乾燥”)と呼ぶ。思いもしない出来事が起きる状態から神の業を思い描く(イザヤ35章6節see)。

  5~6節 回復の時の喜びと期待
  「涙の中で種を蒔く者たちは、喜びの中で刈り取る」(5節)。労苦なくして収穫は期待できないという労働原則があるが、しかしこの期待はしばしば裏切られる。古代社会では隣国に侵入して収穫物を略奪することがしばしばあった。イスラエルもその事例を、捕囚の出来事の中で読み取ったのである。
  「泣きながら種の袋を負っていく者は、喜びの声をあげ、穂の束を負って必ず来る」(6節)。5節の繰返し。
 
  種を蒔く者も、手入れする者も、成長し収穫に至らせる方があることを知る必要がある。それは福音の種蒔きにおいて特にそうである(第1コリント3章8節)

 民の守り 

2009-04-15 | Weblog
詩125篇 
    
巡礼者が山々を越えてエルサレムへの旅を続け、そこが山々に囲まれた天然の要塞と思われるという歌。

  1~2節 信頼の表明(導入)
  「主に信頼する者達は、シオンの山のように揺るがないで、永遠に座す」(1節)。エルサレムの周りに山々が囲み、そして主は民の回りを囲み、今から永遠にまで至る」(2節)。かつて山々は恐れと不安を抱かせたが、今や悔い改めて神に導かれた時、それは御守りの確かさへと変えられる。

  3~5a節 約束の地の条件(主部)
   「まことに悪人の笏が置かれないように、義人たちに籤で分けた土地になるように、義人たちが不正の中に手を伸ばさないために」(3節直訳)。「悪人の笏」口語訳「悪い杖」。権力と支配の象徴。「義人たちに籤で分けた土地」新共同訳「主に従う人に割り当てた地」「手を伸ばす」誘惑に屈し、不義によって身を汚すこと。乳と蜜の流れる地で、肥沃な物質的豊かさに溺れこれを神格化し、追求することがないようにと祈る。
   「主よ、善良な者たち、心の真直ぐな者達を良くしてください」(4節)。「そして主よ、曲がった道にそれていく者達を、不正を働く者たちと共に連れて行ってください」(5節直訳)。神の支え無くしては正しい道を歩むことは出来ない。それは「心の真直ぐな者」である。それに対して、「曲がった道にそれていく者」は神に背くことであり、主は彼らを「なすがままにする」ことで、厳しい断罪を行われる(ローマ1章24節)。罪とはハマティーム「道を踏み外す」ことである。

   5b節 祝福のことば(結語)
「イスラエルの上に平和があるように」(5節)。物質的にも精神的にも満たされた平和があるようにと執り成す。