エレミヤ11章
2節「この契約の言葉を聞け。それをユダの人、エルサレムの住民に告げよ」(新共同訳)
1節「主からエレミヤに臨んだ言葉」。小見出しは「破られた契約」。主の契約に聞き従うことを求める預言である。
2節「この契約の言葉を聞け。それをユダの人、エルサレムの住民に告げよ」。それは契約の言葉に聞き従わない者は呪われるという(3節)。これはエジプトの地から導き出された時与えられた命令で、これに聞き従うなら、主の民となる(4節)。申命記28章に記されている。
5節「それは、わたしがあなたたちの先祖に誓った誓いを果たし、今日見るように、乳と蜜の流れる地を彼らに与えるためであった」。わたしは答えて言った。『アーメン、主よ』と」。予言者として主に対して態度表明をする。しかし繰り返し民に聞き従えと言ってきたが民は耳を傾けなかったと主は言われる(7~8節)。この背景には、エルサレム神殿修築の時壁から巻物(律法の書=申命記の一部)を発見したヨシヤ王が宗教改革を行ったことがある(列王記下22~23章see)。しかしヨシヤはメギドの戦いで戦死した。その宗教改革が実を結ばない現実をエレミヤはここで指摘している。
9節「主はわたしに言われた。『ユダの人とエルサレムの住民が共謀しているのが見える』」。この共謀とは何か。神との契約を破り、他の神々に従って礼拝していることである(10節)。だからいくら助けを求めてもわたしは聞き入れない(11節)。町の数ほど神々があり、エルサレムの通りの数ほど祭壇を設けてバアルに香を焚いている(12~13節)。しかし神はエレミヤに嘆き祈るなと言われる(14節)。
15節「わたしの家で、わたしの愛する者はどうなったのか。多くの者が悪だくみを行い、献げ物の肉を彼女から取り上げている。あなたに災いがふりかかるとき、むしろ喜べ」。そして神殿で献げる燔祭の犠牲を、奪う悪だくみをはかる者らに災渦が降るのを喜べという。エルサレムと「緑のオリーブ」と呼ばれるユダの国は騒乱で焼かれる(16節)。
18節「主が知らせてくださったので、わたしは知った。彼らが何をしているのか見せてくださった」。それはエレミヤに対する悪だくみである(19節)。
20節「万軍の主よ、人のはらわたと心を究め、正義をもって裁かれる主よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。わたしは訴えをあなたに打ち明け、お任せします」。はらわたと心を探られる方に、自らを赤裸々に告白し訴える。「はらわたと心を究める」は口語訳「人の心と思いを探られる」。岩波訳「諸々の思いと心とを試される~」。原語「思い」キルヤー(はらわた複数形)は感情の座と考えられている。20章12節see。彼の命を狙うアナトトの人々に主は報復をすると告げる(21~22節)。それはエレミヤの神殿批判、契約違反の言葉に対する出身地の祭司らの迫害である。
主イエスもナザレの人々から命を狙われた(ルカ4章28節)。また主は「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」という言葉を引用して不信仰を批判している(マタイ13章53~)。
何故か。真実を求める神(5章3節)は、人のはらわたと心を暴き出すからである。主イエスも隠されている秘密を明るみにされる方と向き合うことを求められた(マタイ6章6節)。「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の企てをも明らかにされる方」である(第一コリント4章5節)。
2節「この契約の言葉を聞け。それをユダの人、エルサレムの住民に告げよ」(新共同訳)
1節「主からエレミヤに臨んだ言葉」。小見出しは「破られた契約」。主の契約に聞き従うことを求める預言である。
2節「この契約の言葉を聞け。それをユダの人、エルサレムの住民に告げよ」。それは契約の言葉に聞き従わない者は呪われるという(3節)。これはエジプトの地から導き出された時与えられた命令で、これに聞き従うなら、主の民となる(4節)。申命記28章に記されている。
5節「それは、わたしがあなたたちの先祖に誓った誓いを果たし、今日見るように、乳と蜜の流れる地を彼らに与えるためであった」。わたしは答えて言った。『アーメン、主よ』と」。予言者として主に対して態度表明をする。しかし繰り返し民に聞き従えと言ってきたが民は耳を傾けなかったと主は言われる(7~8節)。この背景には、エルサレム神殿修築の時壁から巻物(律法の書=申命記の一部)を発見したヨシヤ王が宗教改革を行ったことがある(列王記下22~23章see)。しかしヨシヤはメギドの戦いで戦死した。その宗教改革が実を結ばない現実をエレミヤはここで指摘している。
9節「主はわたしに言われた。『ユダの人とエルサレムの住民が共謀しているのが見える』」。この共謀とは何か。神との契約を破り、他の神々に従って礼拝していることである(10節)。だからいくら助けを求めてもわたしは聞き入れない(11節)。町の数ほど神々があり、エルサレムの通りの数ほど祭壇を設けてバアルに香を焚いている(12~13節)。しかし神はエレミヤに嘆き祈るなと言われる(14節)。
15節「わたしの家で、わたしの愛する者はどうなったのか。多くの者が悪だくみを行い、献げ物の肉を彼女から取り上げている。あなたに災いがふりかかるとき、むしろ喜べ」。そして神殿で献げる燔祭の犠牲を、奪う悪だくみをはかる者らに災渦が降るのを喜べという。エルサレムと「緑のオリーブ」と呼ばれるユダの国は騒乱で焼かれる(16節)。
18節「主が知らせてくださったので、わたしは知った。彼らが何をしているのか見せてくださった」。それはエレミヤに対する悪だくみである(19節)。
20節「万軍の主よ、人のはらわたと心を究め、正義をもって裁かれる主よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。わたしは訴えをあなたに打ち明け、お任せします」。はらわたと心を探られる方に、自らを赤裸々に告白し訴える。「はらわたと心を究める」は口語訳「人の心と思いを探られる」。岩波訳「諸々の思いと心とを試される~」。原語「思い」キルヤー(はらわた複数形)は感情の座と考えられている。20章12節see。彼の命を狙うアナトトの人々に主は報復をすると告げる(21~22節)。それはエレミヤの神殿批判、契約違反の言葉に対する出身地の祭司らの迫害である。
主イエスもナザレの人々から命を狙われた(ルカ4章28節)。また主は「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」という言葉を引用して不信仰を批判している(マタイ13章53~)。
何故か。真実を求める神(5章3節)は、人のはらわたと心を暴き出すからである。主イエスも隠されている秘密を明るみにされる方と向き合うことを求められた(マタイ6章6節)。「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の企てをも明らかにされる方」である(第一コリント4章5節)。