日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

平和を望む忠実な者

2012-02-29 | Weblog
  サムエル記下20章 

  19節「わたしはイスラエルの中で平和を望む忠実な者の一人です。あなたはイスラエルの母なる町を滅ぼそうとしておられます。何故、あなたは主の嗣業を呑み尽くそうとなさるのですか」(新共同訳)

  1節「そこにベニヤミン人ビクリの息子でシェバという名のならず者が居合わせた。彼は角笛を吹き鳴らして言った。『我々にはダビデと分け合うものはない。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、自分の天幕に帰れ』」。ダビデにとって、一難去ってまた一難という反乱事件である。シェバの謀反はイスラエルとユダを分裂するもので、この檄をとばした結果、イスラエルはダビデを離れシェバに従った(2節)。エルサレムに帰った王は残していた十人の側女を監視付きの家に入れ、やもめのような生涯を送った(3節)。直ちにシェバの追跡軍に元アブサロムの臣下であったアマサを司令官に起用したが、賢明であったか疑わしい。それはダビデにとって功績のある従兄弟のヨアブの反発を買っている。アマサの追跡軍は定められた期日に戻らなかったのは、動員の困難さだっただろう(5節)。「アブサロム以上に危険だ」とダビデが言ったのは、ダビデ政権を引き裂く危険を取り去りたい執念が伺える(6節)。そこで別働隊の指揮をヨアブの弟アビシャイに当て、ヨアブの家臣を募りクレタ人、ペレティ人と勇士全員がエルサレムを出発した(7節)。しかし実際はヨアブが戦場の働きの主導権を握っていたのである。ヨアブはシェバを殺す前に、アマサを故意に殺してしまう。「剣が抜けた」とあるが、自然に抜け落ちたとは思われない(8~10節)。アマサの死体が道に放置されていたので、兵士たちは皆立ち止った。傍に立っていたヨアブの従者が上着をかぶせて道から除いたので、ヨアブの後についてシェバを追跡したが、彼は城壁に囲まれたベト・マアカのアベルに逃げ込んだ(11~14節)。ヨアブの兵士たちは、町の外壁の高さまで土塁を築いて城壁を崩そうとした(15節)。
  16節「知恵のある女が町から呼ばわった。『聞いてください。聞いてください。ここに近寄ってください。申し上げたいことがあります』とヨアブさまに伝えてください」。ヨアブと会った彼女は、イスラエルの中で平和を望む忠実な者のひとりだと告げた(17~19節)。そして何故イスラエルの町を滅ぼし飲み尽くそうとするのかと訴えた。ヨアブは女に決してそのようなことはしない、町に逃げ込んでいるシェバという男がダビデ王に反旗をひるがえしているので、その男一人を引き渡してくれるなら、町から引き揚げると言った。そこで女はその男の首を城壁の上からヨアブのもとに投げ落とすと約束した(20~21節)。
  22節「女は知恵を用いてすべての民のもとに行き、ビクリの子シェバの首を切り落とさせ、ヨアブに向けてそれを投げ落とした。…」。ヨアブは戦勝の角笛を吹き鳴らし、エルサレムの王のもとへ戻った。シェバ反乱軍はその指導者を失い町から退散した。18節「アベルで尋ねよ」は、ダビデ王位継承の決裁がなされたことを示す諺(言い伝え)であったようだ。女が知恵を用いて実現した平和とは何なのかが問われねばならない。

  「軍靴を鳴らして戦場にむかう平和行進」というアイロニーが見えてくる。
  キリスト者は真に主イエスが言われた「平和をつくり出す者」ピースメーカーでなければならない(マタイ福音書5章9節)。

一人の人の心のようにした

2012-02-28 | Weblog
   サムエル記下19章 

  15節「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした。ユダの人々は王に使者を遣わし、『家臣全員と共に帰還してください』と言った」(新共同訳)

  1節「ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ」。本節は口語訳では18章の終わりになっていた。文脈としてはその方が良い。アブサロムに対するダビデの悲嘆の有様は異常な程であった。5節でも繰り返される。すべての兵士たちには、その日の勝利は喪に変わったとある(3節)。ダビデのむき出しの人間性が、バト・シェバ事件同様に現れている。ヨアブはこれを冷たく批判し、あなたを憎む者を愛し、愛する者を憎むのか、将軍も兵士も無に等しいと知らせている、我々全員が死んでいたら…とにかく外に出て、家臣の心に語り掛けてください云々~と厳しい言葉を投げかけた(6~8節)。ここでもヨアブに主導権を握られる。
  9節「王は立ち上がり、城門の席に着いた。兵士は皆、王が城門の席に着いたと聞いて、王の前に集まった」。ここから王の新しいイスラエル統一国家と、その為にエルサレムの王宮に帰還する道筋が示されることになる。先ず逃げて行ったイスラエル諸部族の間に、アブサロムが戦死した後は王を連れ戻す筈なのに、黙っていてよいのかという議論が起こった(10~12節)。ダビデはこの動きを耳にしたので、祭司ツァドクとアビアタルに使いを送り、ユダの長老たちに王を連れ戻すのに遅れを取るのかと伝えた。司令官ヨアブに替えて反乱軍のアマサを任命することも告げた。これはユダの人々の心を一人のようにして王を家臣全員と共に帰還することになった(13~16節)。
  17節「王は帰途につき、ヨルダン川まで来た。ユダの人々は王を迎え、ヨルダン川を渡るのを助けようとして、ギルガルまで来ていた」。ヨルダン川で帰還を待っていたのはアブサロムに属していたシムイ(16章5~13節)とツィバであった(18節)。シムイは謝罪と恭順を表わした(19~24節)。ツェルヤの子アビシャイはシムイに対しては王を罵ったので死刑にすべきだと主張したが、ダビデはこれを止めて赦した。ツィバ(16章1~4節)については、そこにメフィボシェトも出迎えて来たので、何故王に従わなかったのかと尋ね、その訳は足の不自由なために王に従うことで遅れを取ったのにツィバが中傷して欺いたのだと弁明して、ダビデの誤解を解いた。そして二人の和解を願って地所を分け合うようにと伝えた(19、25~31節)。
  32節「ギレアド人バルジライはヨルダン川で王を見送るためにロゲリムから下り、王と共にヨルダン川まで来ていた」。彼はマハナイムに来た時に豊かな食料で出迎え(17章27~29)、滞在中王の生活を支えた人物であったが、八十の高齢でヨルダン川を渡ることも難儀なので同道を謝し、僕キムハムの同行を申し出た(33~39節)。
  ここで問題となるのは、北イスラエルと南ユダとの間にある確執であった。ダビデを巡る主導権争いで、分裂の火種になる。ヨルダンを渡らせる権限は北にあり(41~42節)、自分たち十部族がダビデを王にしたのだと主張する(5章1~3節see)。更に王のエルサレム帰還をわれわれが先に言ったではないか(10~11節)と主張した。
  44節「ユダの人々の言葉はイスラエルの人々の言葉よりも激しかった」。ユダとイスラエルの双方に立ちはだかる問題を示すものである(44節)。
 人の最善は、神の最善ではない(箴言19章21節)。

 密林の餌食になった者

2012-02-27 | Weblog
  サムエル記下18章

  8節「戦いはその地の全面に広がり、その日密林の餌食になった者は剣が餌食にした者よりも多かった」(新共同訳)

  1節「ダビデは彼に従う兵を調べ、千人隊の長と百人隊の長を任命した」。迎え撃つダビデは続いて、マハナイムで食料を調達してきた傭兵の指導者三人(17章27節)を千人隊長、百人隊長に任命し、更に戦列に加わる部隊を三つに編成し、司令官にヨアブ、アビシャイ、ガド陣イタイを立てた(2節)。兵士たちの進言で、ダビデは前戦でなく後方支援に徹することになる(3節)。町の城門の傍らに立ち、王はヨアブ、アビシャイ、イタイに若者アブサロムを手荒には扱わないでくれと命じた。この指示が将軍たちに伝えられたことを兵士らはみな聞いたのである(4~5節)。
  6節「兵士たちはイスラエル軍と戦うために野に出て行った。戦いはエフライムの森で起こり~」。戦場は、密林地帯でイスラエル軍は、ダビデの家臣に敗れ、大敗北で、その日に二万人を失った。戦いはその地の全面に広がり「密林の餌食になった者」(口語訳「森の滅ぼした者」)は剣で死んだ者より多かった(7~8節)。「樹海」を想像させる。ダビデの戦略だったのか。2~3節にあるように組織的攻撃でなければ戦えない状況が伺える。そのような中で、騾馬(らば)に乗っていたイスラエル軍の総司令官アブサロムが茂る樫の蜜林に迷い込んで遭った災難が、勝敗を決する出来事になってしまう(9節)。
  10節「兵の一人がこれを見て、ヨアブに知らせた。「アブサロムが樫の木に宙づりになっているのを見ました」。イスラエル軍は大敗し、陣頭指揮を取っていたアブサロムの頭髪が樫の大木に懸かり、宙づりになって動けなくなった。自慢の頭髪(14章26節)が邪魔だったのだろうか。これを目撃した兵士は司令官ヨアブに報告したのである。だれも彼を殺すことが出来なかったのは、ダビデの告げた言葉(5節)を知っていたからだ。その兵士は手のひらに銀千枚の重みを感じるとしても、手にかけることはできませんとヨアブに言っている(12節)。まだ宙づりで生きていたアブサロムの心臓をヨアブは突き刺し、10人の兵卒がとどめを刺すという残忍な殺害方法が14~17節に記される。10人の兵卒が加担したのは、ダビデの禁制を解く意味があった。ヨアブの人物像は、3章26~30節(和解工作をしようとしたアブネルを殺害)、14章21~24節(アブサロムを逃亡先から連れ戻す)などから伺える。ダビデの片腕的存在であるが、この後にも色々な問題となる。
  19節「ツァドクの子アヒマアツは言った。『走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます』」。アヒマアツは17章15~21節に出ている秘密連絡員であった人物だが、ここで戦勝連絡員として志願した。ヨアブはダビデの心情を察知していたので、彼の激怒に巻き込まれるのを避けて、クシュ人を伝令に選んだ。しかしこの二人は競争して城門の間に坐っているダビデももとに走った(20~23節)。見張りは順次走ってくる様子を王に伝えると「良い知らせだろう」と二度も言っている。早く着いたのがアヒマアツだと知ると王は「良い男だ。良い知らなので来たのだろう」と言った(24~27節)。これは事実を知ることになるダビデの予期しない知らせに驚愕する心情を強調させる。アブサロムの予想もしない最期が、ダビデとアブサロム対戦の結末であった。しかし二万人の戦死と共に、指揮官ヨアブの取った刺殺は最悪の悲劇となった。新改訳、口語訳その他の翻訳では、33節があり、ダビデがアブサロムの死を激しく嘆く場面を続けている。ここでダビデの異常なまでの心情を伝えている。しかし肉親を失う悲しみに共感する訳にはならない。戦争は何時の時代でも神の聖意に沿うものではないから。
 ローマ3章15~17節(イザヤ59章7~8節引用)「足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない」とある。

自分の提案が実行されなかった

2012-02-26 | Weblog
 サムエル記下17章 

  23節「アヒトフェルは自分の提案が実行されなかったことを知ると、ろばに鞍を置き、立って家に帰ろうと自分の町に向かった。彼は家の中を整え、首をつって死に、祖先の墓に葬られた」(新共同訳)

  1節「アヒトフェルはアブサロムに言った。「一万二千の兵をわたしに選ばせてください。今夜のうちに出発してダビデを追跡します」。司令官アヒトフェルは再びアブサロムに奇襲の追跡を提案する。彼らは疲れ果て無力になっているから急襲すれば兵士に戦意はなくみな逃走するので、王だけを討ち取ればよい。そうすればやがて兵士全員がアブサロムのもとに帰順するというのである(2~3節)。この提案はアブサロムにも全長老の目にも正しく映ったという(4節)。それにも関わらずフシャイの意見をも尋ねる為に呼び出した(5節)。何故か。アブサロムに迷いがあったのか。
  7節「フシャイがアブサロムのもとに呼び出された。アブサロムは言った。「これこれのことをアヒトフェルは提言したが、そうすべきだと思うか。反対なら、お前も提言してみよ」。フシャイはそれが成功すると思われたので、否定した(7節)。 理由に奇襲は失敗の恐れがある。初戦で敗れると子を奪われた野にいる熊のような心で気が荒くなる。またダビデは戦術に秀でた方だから、兵と共に休むことはされない。もし敗れる獅子のような心を持つ戦士でも弱気になると説いた(8~10節)。そこでアブサロム自身が先頭で指揮を取り全イスラエルの総力戦がよいのです、隠れ場の一つにいる父上に襲いかかれば露が土に降りるようなものですと提案した。フシャイはアブサロムの配下を集結させる間の時間を稼ぎ、ダビデにヨルダンを渡るよう密使を送ろうと考えた(11~13節)。
  14節「アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである」。ダビデの側の危機的な状況が反転することを意味する。フシャイは直ちにこの情報を秘密裡に祭司ツァドクとアビアタルを通してダビデに伝え、荒れ野の渡し場で夜を過ごさないで渡ってしまうようにと言った(17~16節)。二人はアブサロムの兵士に途中目撃されるが、名もない農婦の咄嗟の機転で捕まらないでダビデの許に行くことが出来た。主の配慮というべきか。王は同行していた兵士全員と、直ちにヨルダン川を渡り、城壁の町マハナイムに逃れた(22~22節)。アヒトフェルは奇襲作戦提案が否定され、アブサロム側の敗色を予感したのか自殺した(23節)。
  24節「ダビデがマハナイムに着いたころ、アブサロムと彼に従うイスラエルの兵は皆、共にヨルダンを渡った」。アヒトフェルの後任には、ヨアブの従兄弟アマサになる(25節)。イスラエル軍はギレアドに陣を敷いた。マハナイムでは、アンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のマキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライとが、 寝具、たらい、陶器、小麦、大麦、麦粉、炒り麦、豆、レンズ豆、炒り麦、蜂蜜、凝乳、羊、チーズを食糧として、ダビデと彼の率いる兵に差し出した。兵士が荒れ野で飢え、疲れ、渇いているにちがいないと思ったからである(26~29節)。

 人間の知略を退けて、神はダビデの命を守られた。神の知恵に勝る知恵はない。箴言3章5~6節「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」とある。

呪いに代えて幸いを返してくださる

2012-02-25 | Weblog
  サムエル記下16章 

  12節「主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」(新共同訳)

  1節「ダビデが山頂を少し下ったときに、メフィボシェトの従者ツィバが、ダビデを迎えた。彼は二頭の鞍を置いたろばに、二百個のパン、百房の干しぶどう、百個の夏の果物、ぶどう酒一袋を積んでいた」。ダビデは、その品々は一体何事かと尋ねると、王の家族の食用に、パンと果物は従者の食用に、ぶどう酒は荒れ野で疲れた者の飲料に持参したと答えた。その訳を訊ねると主人メピボシェトがエルサレムにいて、父の王座をわたしに返すと申していたと答えた。ダビデは、それならメフィボシェトに属する物はすべてお前のものにしてよいとツィバに言った。しかしこの中傷は誤解であったことが19章25節以下で明らかになる(2~4節)。
  5節「ダビデ王がバフリムにさしかかると、そこからサウル家の一族の出で、ゲラの子、名をシムイという男が呪いながら出て来て~」。ダビデとダビデ王の家臣たちに石を投げつけた。そして「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者」と叫んだ。さらにサウル家の血を流し王位を奪ったお前に主は報復し、息子アブサロムに王位を渡されたのだ。災難を受けているのは流血の罪を犯した男だからだと叫んだ。これを聞いたアビシャイが王に、なぜあの死んだ犬に主君、王を呪わせておかれるのですか、成敗しましょうといったが、ダビデは主が彼に叫ばせているのだから放っておけといった(5~10節)。そして主が苦しみを見て、彼の呪いを幸いに変えて下さるかもしれないと言っている(12節)。彼の謙虚な心を読み取ることができよう。メピボシェトの家臣ツェバと、サウル一族のシムイが彼に悪態をついて呪うという二人の人物はいずれも王位継承に関わることであった。
  15節「アブサロムはイスラエル人の兵士を全員率いてエルサレムに入城し、アヒトフェルも共にいた」。ダビデの友人フシャイはダビデからアブサロムの臣下で指導力を持つアヒトフェルの許に行くことを指示されていた。それはアブサロムの内情を偵察することが目的であった(15章32~35節)。彼はエルサレム入城の時「王様万歳、王様万歳」と言った。不審に思ったアブサロムは彼に何故ダビデの許にいなかったかと尋ねると、兵士とイスラエルの全員が選んだ方に従うのだと応えた。彼の偽行工作はいずれアブサロムが王位を失うことを見抜いている(16~19節)。
  20節「アブサロムはアヒトフェルに、『どのようにすべきか、お前たちで策を練ってくれ』と命じた」。彼の進言は屋上に天幕を張り、イスラエルの注目の中、王宮に残していたダビデの側女を引き入れて辱めることだった。これは王位奪還の意思表示である。王宮に残していた側女のことは15章16節にあった。このことは、お父上の憎悪の的となり、全イスラエルが聞くと奮い立つでしょうとアヒトフェルは言った(21~23節)。この拙劣な進言を受け入れるアブサロムの浅薄で不法(申命記27章20節)な行動は全く反対に王位を喪失させることになる。アヒトフェルの提案を神託のように受け取られたとあるが、ダビデにとって本章に出ているこれら一連の出来事は王位の資質を試されることであった。神に選ばれ憐れみに支えられるのでなければ、王位から彼は転落してしまうのである。
   第1コリント10章12~13節がここで示される。「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。」

「直ちに逃れよう」

2012-02-24 | Weblog
  サムエル記下15章 

  14節「ダビデは、自分と共にエルサレムにいる家臣全員に言った。「直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない…」(新共同訳)。

  1節「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」。アブサロムの反逆は15~19章までの長い物語となっている。ダビデの王位継承者アムノンの死後、実権を握ろうとしたアブサロムは王に疎遠されていたことへの不満と反発となり、巧妙な謀反の企てとなって表われた。先ず身辺を武器と傭兵で固め、城門への道の傍らに立って、王の裁定を求めてくる者らを、先に立ち会って彼が裁定をくだしたのである(2~3節)。申し立てに正しく弁護をするが、あの王の下では聞いてくれる人はいない、自分の方が有能だと誇示した(3~4節)。父王を「あの王」と呼んでいる。裁定を求めてくるイスラエルの民すべてに手を差しのべ、抱いて口づけし、イスラエルの人々の心を盗み取った(6節)。四十歳になった時(口語訳四年後である)、彼は王に忠誠を尽くす誓願をヘブロンで果たしたいと申し出た。この偽りをダビデは見抜けなかった(7~9節)。
  10節「アブサロムはイスラエルの全部族に密使を送り、角笛の音を合図に、『アブサロムがヘブロンで王となった』と言うように命じた」。更にダビデの顧問アヒトフェルを懐柔して迎え入れ、陰謀をかため、イスラエル人の心はアブサロムの許に移って民の数は次第に増した(12~13節)。この事態の深刻さを察知したダビデと家臣はエルサレムから直ちに逃れることになった。ダビデは流血を避けようとしたからである。王宮の者もみな彼に従ったが、王は王宮を守らせるため十人の側女を残した。これは後で問題になる(14~16節)。行動をともにしたのは家臣の他にクレタ人とペレティ人全員、ガトから来た六百のガド人だった(18節)。ガド人イタイに亡命者の身分だから行動を共にする要はないと告げたが、彼は「主は生きておられる」ので行動をともにしたいと申し出て、共にいた者全員がダビデに従った(19~23節)。
  24節「ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いで来ており、兵士全員が都を去るまで神の箱を降ろしていた。アビアタルも来ていた」。ダビデは祭司ツャドクに、主の御心に適うならわたしを連れもされると言い、息子アヒマアツとアビアタルの子ヨナタンを連れて神の箱を都に戻すようにと告げた(25~29節)。
  30節「ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った」。肉親に裏切られ、王宮を追われてエルサレムを離れ、泣きながらオリーブ山の坂道を上って行くダビデの苦悩と悲しみが伝わってくる場面である。キリスト者の生涯にもこの様な経験に出会うことがある。順風満帆の日々でなく、身近な者との確執と苦難に出合い悲しい経験をすることも少なくない。そのような時に示されるのは詩119篇71節「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」である。
この逃亡の最中にアヒトフェル陰謀の情報がダビデの耳に入り神に祈るほかなかった(31節)。これは既に12節に出ていた。
  32節「神を礼拝する頂上の場所に着くと、アルキ人フシャイがダビデを迎えた。上着は裂け、頭に土をかぶっていた」。逃亡の列に加わろうとしたフシャイに対してダビデは体の不自由な彼には、都に戻り、アブサロムに仕え、アヒトフェルの陰謀を覆し、その情報をツァドクとアビアタルに伝え、二人の息子から王のもとに届けるようにと依頼して都に帰した(33~37節)。

血の復讐をする者が殺戮を繰り返さない

2012-02-23 | Weblog
  サムエル記下14章 

  11節「彼女は言った。「王様、どうかあなたの神、主に心をお留めください。血の復讐をする者が殺戮を繰り返すことのありませんように。彼らがわたしの息子を断ち滅ぼしてしまいませんように。」王は答えた。「主は生きておられる。お前の息子の髪の毛一本たりとも地に落ちることはない」(新共同訳)

  1節「ツェルヤの子ヨアブは、王の心がアブサロムに向かっていることを悟り~」。アムノン死後三年経った王の心情を察知したヨアブはアブサロムとの関係回復を願い、テコアの知恵ある女を呼んで演出し、アブサロムを連れ戻す工作をした(2~3節)。工作の内容は4節から王と直訴する女との会話に出てくる。預言者ナタンがバト・シェバ問題で叱責した時の手法と似ているが、ヨアブの場合はダビデ個人でなく王としての裁定を求めている。ヨアブに指示された仮想事件で問題の解決を訴えている(5~10節)
  11節「彼女は言った。『王様、どうかあなたの神、主に心をお留めください。血の復讐をする者が殺戮を繰り返すことのありませんように。彼らがわたしの息子を断ち滅ぼしてしまいませんように。』王は答えた。『主は生きておられる。お前の息子の髪の毛一本たりとも地に落ちることはない』」。王に血の報復を繰り返さないという公正な判断を引き出した訳である。これにより女は息子を断ち滅ぼそうとする者の手から救われるので慰めを与えられると言った。王は女にこれはヨアブの指図であろうと質した(12~19節)。
  21節「王はヨアブに言った。『よかろう、そうしよう。あの若者、アブサロムを連れ戻すがよい』」。そこでヨアブはアブサロムをエルサレムに連れ帰ったが、それは自宅謹慎であった(22~24節)。二年間も続いたので、不満と苛立ちからヨアブに二度も使者を送る。それでも返事がないのに立腹しヨアブの畑の大麦を焼くという非常手段に出た(25~30節)。
  31節「ヨアブは立ってアブサロムの家に来た。『あなたの部下がわたしの地所に火を放つとは何事です』と彼が言うと~」。ヨアブを呼び出したのは王が何故ゲシュルから連れ帰ったのかその訳を聞き出して欲しいと頼むことだった。もし罪があるならわたしを死刑にするがよいと言った。ヨアブはこれを王に伝え、王はアブサロムを呼び寄せたので、王の前に出てひれ伏した。父ダビデとの再会を果たすが、そこには悔恨や不忠を詫びる言葉はなかった(32~33節)。

  もつれた人間関係の糸を解きほぐすのは決して容易でない。どんな場合でも和解の福音が必要である。それはエフェソ2章16節にある。「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」


憎しみはその愛よりも激しかった

2012-02-22 | Weblog
 サムエル記下13章 

  15節「そして、アムノンは激しい憎しみを彼女に覚えた。その憎しみは、彼女を愛したその愛よりも激しかった」(新共同訳)

  1節「その後、こういうことがあった。ダビデの子アブサロムにタマルという美しい妹がいた。ダビデの子アムノンはタマルを愛していた」。ダビデの息子については3章2~5節に出ている。アムノンは王位継承者であった(3章2節)。彼が異母姉妹タマルを恋慕し身の細る思いをしている時、従兄弟ヨナダブから事情を聞かれた(2~4節)。ヨナダブは、偽装工作で願望を充たすという策略でアムノンを唆した。それは仮病をつかって王と恋慕しているタマルをだまし、彼女を目の前で料理させ、手づから食べる、その時情交を果たすというのである(5~6節)。事はうまく運び、タマルはレビボット(「心」という菓子)二つ作り、傍にいた者を皆出て行かせたアムノンの部屋に運んだ時、「わたしと寝てくれ」と言って拒む彼女を力ずくで辱めた(7~14節)。この時タマルは冷静にアムノンに許されないことだと抗議している。親近相姦はイスラエルの律法の禁止令である(レビ記18章9、11節、20章17節、申命記27章22節)。日本の民法でも同じである。王に話せば拒まないであろう(13節)から、11章であったバト・シェバ事件で親族に与えた倫理的規範性の問題を読み取ることができる。
   15節「そして、アムノンは激しい憎しみを彼女に覚えた。その憎しみは、彼女を愛したその愛よりも激しかった。アムノンは彼女に言った。『立て。出て行け』」。何故激しい憎しみを起こしタマルを追い出したのか不明だが、我が侭で未成熟、無責任な王子として描かれる。憎愛は紙一重というのがある。アムノンの従者によって追い出されたタマルは灰を頭にかぶり、未婚の王女の上着を引裂き、手を頭に当てて嘆きを叫びながら歩いて行った(16~19節)。このことでアブサロムはアムノンを憎悪した。これに王ダビデは激しく怒ったが、断罪しない優柔不断(盲目的寛容)の態度が、更に悪い結果を招いた(20~22節)。
   23節「それから二年たった。エフライムに接するバアル・ハツォルにアブサロムの羊の毛を刈る者が集まった。アブサロムは王子全員を招待し~」。王のもとに行って、家臣を率いてお出かけくださいと言ったが、重荷になってはいけないと断りの理由をのべたが、更にアブサロムは懇願してアムノンの同行を求めたので一緒に出かせた(26~28節)。酒で上機嫌になったアムノンは従者に命じられていた通り、殺された。他の王子らは全員逃げたが、帰り着かないうちに一人残らず打ち殺されたという知らせがダビデのもとに届いた。これを聞いた王は立ち上がると、衣を裂き、地面に身を投げ出した。家臣たちも皆、衣を裂いて傍らに立った(29~31節)。ここで再び「悪賢い」(3節・新改訳)ヨナダブは、若い王子たちが皆殺しになったのではなく、殺されたのはアムノン一人で、アブサロムが予ねてより決めていたのだと伝えた(32節)。
  34節「アブサロムは逃亡した。見張りの若者が目を上げて眺めると、大勢の人が山腹のホロナイムの道をやって来るのが見えた」。「御覧下さい、僕が申し上げた通りです」とヨナダブが言い終えた時、王子たちが到着した。彼らは声をあげて泣き、王も家臣もみな、激しく泣いた(36節)。ダビデはアムノンを悼み続けた。アブサロムはゲシュルに逃げ三年間そこにいた。やがてアムノンを諦めた王の心はアブサロムを求めていた(37~39節)。ここで王位継承について神の聖意を求めない王ダビデの揺れ動く人間性が問われるであろう。ヤコブ1章15節「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」が示される。

あなたの罪を取り除かれる

2012-02-21 | Weblog
  サムエル記下12章 

  13節「ダビデはナタンに言った。『「わたしは主に罪を犯した』。ナタンはダビデに言った。『その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる』」。(新共同訳)

  1節「主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。『二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった~』」。主は預言者を通してダビデの犯した不義を暴露される。ナタンの言葉は1~4節に示される。ナタンは多くの羊や牛を持った男と、ただの一匹の雌の小羊をふところに抱いてわが娘のように養い育てている男がいた、豊かな男のもとに旅人が来た時、自分の羊を惜しんで貧しい男の小羊を取上げて客に振舞ったという例話をした。王はこれを聞いて激怒し、そんな無慈悲な男は死罪だと言った。ダビデには客観的な事柄としか捉えられなかった。激怒は王が指導者として示す正義であり律法遵守の表明である。羊の贖いに四倍の値を払うことは正当な裁定である(出エジプト21章37節)。しかし「主は生きておられる。その男は死刑だ」とダビデは何故口にしたのか(6節)。
  7節「ナタンはダビデに向かって言った。『その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し~」。何不自由なくすべてを与えられた王であるのに、なぜ主の言葉を侮り、聖意に背くことをしたのか、ウリヤをアンモン人の剣にかけて殺し、その妻を奪って自分の妻としたとダビデに厳しく叱責した(8~9節)。「あなただ!」「あなただ!」と矢継ぎ早に糾弾される預言者の言葉は、天から石臼が彼の頭上に振り落とされた如く感じたであろう(11章21節see)。「剣はとこしえにあなたの家から去らない」10節は息子たちの権力闘争を示す預言であり(13章28~29節、18章14節)、11~12節はアブサロムの反逆(16章21~22節)の預言となっている。彼は驚愕し、自らの犯した罪が死に値することを認めて神に悔改めと赦しを願う(13節)。この罪の告白が詩51篇3~14節にある。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ弱っていった。彼はその子のために神に願い求め、断食し引きこもり地面に横たわって夜を過ごした。長老たちは王を地面から起き上がらせようとしたが、それを望まず、彼らと共に食事をしなかった。七日目にその子は死んだ。王はそれを知り起き上がり、断食して泣くことも止めた(18~23節)。
  24節「ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子を愛され~」。ここでは「妻バト・シェバ」となっている。「ソロモン」とは「シャーラム」(償う)の意味で、死んだ第一子の償いを指している。別に「エディドヤ(主に愛された者)」と呼ばれた(25節)。この後ヨアブはアンモン人の町ラバと戦い町を陥れた。この戦闘をダビデに報告し、これを受けてイスラエル全軍を集結させラバに出撃して戦い、これを陥れた。占領地をヨアブの名で呼ばれないためだった(26~29節)。ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。この町から奪い去った戦利品はおびただしかった。アンモン人にはのこぎり、鉄のつるはし、鉄の斧を持たせて働かせ、れんが作りをさせた。それから兵士たちはダビデと共にエルサレムに凱旋した(30~31節)。

ウリヤは…夫のために嘆いた

2012-02-20 | Weblog
  サムエル記下11章 

  26節「ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた」(新共同訳)

  1節「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。…しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた」。小見出しにある通り、本章はウリヤの妻バト・シェバの物語である。イスラエルの優れた王と評されるダビデの実相を露わにしている出来事で、この事件は詩51篇と併せ読む必要がある。それはヘト人ウリヤの妻との不倫である。先ず指摘されるのは、年が改まり、「王たちが出陣する時期」(雨期から乾期に移行する)になったのに彼は出陣しなかったことである。イスラエルの対戦は「主の戦い」なのに、彼は戦場に行かなかった。次に問われるのは彼の関心事が戦況ではなく、私的関心に費やされ王宮の屋上から水浴びをしている一人の女性に心を奪われた(2節)。人妻であることを確認しながら、バト・シェバを王宮に召し入れ床を共にした(3~5節)。欲情が彼の判断を狂わせ、神の律法を犯した(出エジプト20章14節、レビ記20章10節。彼女はこの時拒否できなかったと考えられる。ユダヤ教では強姦に女性は死を賭すべきではないと或る本で読んだことがある。バト・シェバは懐妊したのでダビデに使いを送って知らせた。
  6節「翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した」。ダビデはその懐妊に対して隠蔽工作を考え、ヨアブにウリヤを送り帰すよう書状を出した。王のもとに来たウリヤにヨアブの安否と戦況を問い、家に帰って足を洗えと告げた(7~8節)。足を洗えとは寝食を共にすることである。彼は神の箱も仮小屋であり、主君の家臣も野営しているのに家に帰ることは出来ないと断った。ウリヤは王宮の入口で三日眠り、ダビデのヨアブ宛ての書状を携えて戦地に戻った。書状には、彼を最前線に出し、彼を残して退却し戦死させよと書かれていた(9~15節)。最前戦で戦死させるという強硬な手段を取り、兵士の生命を奪って、自らの犯罪を糊塗しようとしたのである。計画通り彼は激戦地で他の兵士らと供に戦死し、その一部始終を王に報告した。他にも戦死者が出るという偽行工作までしてウリヤを死に追いやり、実戦の司令官ヨアブは伝令にアビメレクが塔の上から石臼で頭を砕かれて死んだ時と同じように(士師記9章50~54節)ウリヤが死んだことを伝えた。王の意図をヨアブも心得てウリヤを死に追いやったのである(16~22節)。
  25節「ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ」。仮面をかぶって行ったダビデの仕業は誰にも知られない事柄と思われたに違いない。戦死を知ったバト・シェバは夫のために嘆いた。やがて喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引取り、妻にした。そして男の子を産んだのである。この一連の出来事は「われ知る、地知る、天知る」と言われる通りである。この何度も偽って行ったダビデに対して「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」と指摘されているのである(27節)。

  ここで示されるのは前述の詩51篇のほかに、マタイ福音書5章27~30節、ヤコブの手紙1章12~15節であり、キリスト者に向けられたメッセージである。

ひげが生えそろうまで

2012-02-19 | Weblog
  サムエル記下10章 

  5節「この人たちが甚だしい辱めを受けたという知らせがダビデに届くと、…ひげが生えそろうまでエリコにとどまり、それから帰るようにと言わせた」(新共同訳)。

  1節「その後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった」。本章はアンモンとアラムの対戦であるが、その発端はアンモン人の王の死に際して弔意に訪れたダビデの使者を辱めたことからである。ナハシュがダビデに対して「忠実であった」という記事はないが、8章3~8節の対アラム戦で勝利した時、ハマトの王トイが戦勝祝いを贈った。その後にダビデが聖別した品々の中にアンモン人から得たものがある。ダビデは外交的手腕でアンモン人に敬意を表したものと思われる(2節)。ところが高官たちが王ハヌンに弔問の使節というのは偽りで町を探りに来たと言ったので、ハヌンはこれを真に受けて、使節の衣服を腰から下を切り落とし、髭を半分剃り落として追い返した。ダビデはこの使節を髭が伸びるまでエリコに留めおいて帰らせた(3~5節)。使節の受けた辱めを癒すダビデの温情が伺える。
  6節「アンモン人は、ダビデの憎しみをかったと悟ると、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に人を遣わして歩兵二万を傭兵として要請し、マアカの王には兵一千、トブには兵一万二千を要請した」。ダビデの憎しみをかうことを承知の上で彼は戦争を挑み、傭兵軍を募った。王の短慮と失政が民を戦禍に巻き込む。ダビデはこれを聞き、ヨアブを指揮官にして勇士たち全軍を対戦に向かわせた(7~8節)。戦線がアラム軍とアンモン軍とのはさみ打ちになっていることを見たヨアブは兵士を二手に分け、精鋭軍をアラムに向け、後は対アンモン軍をアビシャイの指揮下に置いて戦列を整えた(9~11節)。
  13節「ヨアブと彼に従う兵士たちが戦おうと迫ると、アラム軍はヨアブの前から逃げ去った」。これを見たアンモン軍もアビシャイの前から逃げ出し、都ラバの町に入った。ヨアブはアンモン軍をそのままにして引揚げエルサレムに帰った(14節)。
  15節「イスラエルに打ち負かされたと見ると、アラムは団結し」。アラブ砂漠で活躍するアラムの王ハダドエゼル(8章5節)はユーフラテスからの援軍を要請し、司令官ショバクに率いられて再度挑戦し、ヘラムに着いた(16節)。この報告を受けてダビデもイスラエルの全軍もヨルダン川を渡りヘラムに向いアラム軍と対戦したのである。アラム軍は敗走して勝敗は決した。アラムの戦車兵七百、騎兵四万を殺し、軍の司令官ショバクもその場で打ち殺した(16~18節)。ハダドエゼルに隷属していた王たちはみな、イスラエルに敗北したことを認め、和を請い、イスラエルに隷属することとなった。アラム人はこの戦争で敗北したことでイスラエルを恐れ二度とアンモン人を支援しなかったのである(19節)。
  一体この戦争は何だったのか。11章に出てくる戦争の最中に起きたダビデの醜聞事件の複線といわれる。とすれば、アンモンのハヌンのことと併せて、箴言16章32節が響いてくる。「忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。…」。口語訳では「…自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」となっている。

あなたに忠実を尽くそう

2012-02-18 | Weblog
  サムエル記下9章 

  7節「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように…」(新共同訳)

  1節「ダビデは言った。『サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい』」。ダビデは、王位の確立が明確にされたが、その地位を脅かす人間的不安が無くなったのではない。事実この後20章までの出来事は王家内紛と王位継承問題である。彼が先ず気になるのは、サウル王の末裔であった。そこで彼は義兄ヨナタンと交わした契約(サムエル上20章)の実行を願ったのである。「忠実を尽したい」の「忠実」(ヘセド)は「善、誠実、良いこと」とも訳される。口語訳「恵みを施そうと思う」である。人への良き業=優遇することは、神の慈愛に応えることである。そこでサウル家に仕えていたツィバが呼び出された(2節)。そしてロ・デバルにいるヨナタンの息子メフィボシェトの消息を知り、彼をエルサレムに呼んで来させた(3~5節)。5歳の時彼の足の不自由になったことは4章4節にある。
  6節「サウルの子ヨナタンの子メフィボシェトは、ダビデの前に来るとひれ伏して礼をした。『メフィボシェトよ』とダビデが言うと、『僕です』と彼は答えた」。初対面であったろう。王宮に呼び出され恐縮しひれ伏すのである。ダビデはあなたの父ヨナタンの為に恵みを施そうと思う、父祖サウルの土地をすべて返す、いつもわたしの食卓で食事をするようにと告げた。彼は「死んだ犬にも等しいわたしを顧みてくださるとは~」と言って心からダビデに感謝をしている(7~8節)。
  9節「王は、サウルの従者であったツィバを呼んで言った。『サウルとその家の所有であったものはすべてお前の主人の子息に与えることにした』」。王はメフィボシェトと交わした約束をツィバに伝え、彼の為に土地を耕し収穫物を渡して生計をたてることを命じた。ツィバにいた十五人の息子と二十人の召し使いもこれに仕えることになる。ツィバは王に間違いなく実行すると約束した(10~11節)。メフィボシェトとその幼い息子ミカはこれによって生活することになるが、王の食卓に常に連なったとある(13節)。このメフィボシェトとツィバのことは、16章1~4節、19章25~31節にまた登場することになる。

裁きと恵みの業

2012-02-17 | Weblog
  サムエル記下8章 

  15節「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った」(新共同訳)

  1節「その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からメテグ・アンマを奪った」。ダビデの戦勝記録である。先ずモアブを攻撃し、三分の二を殺し、残りに貢を納めさせ隷属させた(2節)。次に、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルを撃ち、騎兵千七百、歩兵二万を捕虜とし戦車の馬は、百頭を残して他は腱を切った。援軍として参戦したダマスコのアラム軍二万二千をも討ちダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。ハダドエゼルの家臣が携えていた金の盾を没収しベタとベロタイの町から大量の青銅を奪い取った(3~8節)。ハマトの王トイは、ハダドエゼルと交戦中だったが、ダビデがその軍勢を討ち滅ぼしたと聞き、戦勝を祝って、銀、金、青銅の品々を贈った。彼はアラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから得たもの、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの戦利品や征服したすべての異邦の民から得た銀や金とを主のために聖別した。アラムを討って帰る途中、塩の谷でエドム人一万八千を討ち殺し、名声を得た(9~13節)。
  14節「彼はエドムに守備隊を置くことにした。守備隊はエドム全土に置かれ、全エドムはダビデに隷属した。主はダビデに、行く先々で勝利を与えられた」。この「行く先々で勝利を与えられた」は6節にあり、ここで繰り返されている。
  15節「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った」。「裁きと恵みの業」は、口語訳「正義(ツェダカー)と公平(ミシュパート」である。これは預言者が常に語っている(イザヤ9章7節、11章4節、エレミヤ22章15節、エゼキエル33章16節、アモス5章24節etc)。これは聖書が一貫して示し、神の政治に求められる普遍的真理である。
  日本も世界も、近代国家としてこれを鑑としなければならない。

  16~18節はダビデの重臣たちの名が挙げられている。 ツェルヤの子ヨアブは軍の司令官。傭兵部隊の長である。アヒルドの子ヨシャファトは補佐官。王の命令を布告する行政の長である(16節)。アヒトブの子ツァドクとアビアタルの子アヒメレクは共に祭司。セラヤは書記官(17節)。ヨヤダの子ベナヤはクレタ人とペレティ人の監督官。ダビデの息子たちは祭司 (18節)。ダビデが王国建設の地固めをした様子が伺える。
イスラエルの国家観が預言者によって示されているように「正義と公正」に基ずくことを、ダビデを通して証しされねばならない。

王国の王座をとこしえに堅く

2012-02-16 | Weblog
  サムエル記下7章 

  13節「この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」(新共同訳)

  1節「王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった」。ダビデは、ティルスの王ヒラムから贈られたレバノン杉で王宮を建てたが(5章11節)、神の箱を運び込んだ天幕を見て、預言者ナタンに神殿建築の相談をした。王は自らの裁定で建築することをしなかった(2節)。ナタンは心にある事は何でも実行なさるとよいと伝えたが、その夜主はナタンに告げた言葉が5~16節にある。要約すると次のようになる。
  5~7節 エジプトから導き出した日から今日までイスラエルと共に歩み、その間どの部族にもレバノン杉の家を建てないのかと言ったことはない。
  8~10節 わたしはあなたを牧場の群の指導者とし、どこに行こうと共にいて敵を撃ち不正を行う者に圧迫されない。
  11~14節 あなたの家を興し、あなたの子孫に跡を継がせ、王国を揺るぎないものとする。…わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。
  15~16節 わたしは慈しみを彼から取り去らない。あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。
  18~29節は、ダビデの応答の祈りである。ここで「この者がわたしの名のために家を建てる」(11節)とはソロモンによって神殿建設がなされると解釈するが、10節までの聖意と矛盾する。これは神殿建設ではない。これは王の王位継承を示し、信仰共同体による王国の建設が告げられているのである。また「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」(14節)は「ダビデ契約」と呼ばれ、メシア預言として受けとめられ、メシアを「ダビデの子」(マタイ福音書21章9節)と呼んでいる。
  彼は神殿の前に座して祈っている。この中で繰り返されるのは「わたしの家」「僕の家」18、19、25、26、29節であり、真実なる「御言葉」の実現である(19、21、25、28、29節)。
  先の12、13節はエルサレム神殿崩壊後、その意味が一層明確になり、やがてダビデの子孫からメシアが来るという預言の言葉になる。
  エゼキエル37章24~28節には、「僕ダビデは永遠の支配者となり、…平和の契約を結ぶ」と預言されている。 



箱を担ぐ者が六歩進んだとき

2012-02-15 | Weblog
サムエル記下6章 

 13節「主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた」(新共同訳)

 1節「ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた」。目的はペリシテから奪い返した神の契約の箱をエルサレムに運び込む為であった。契約の箱の物語はサムエル記上4~6章で出ている。その箱はキリヤト・エリアムの人々によってアビナダブの家に運ばれその息子エリアザルによって守られていた。サウル即位から既に20年が経過していたが、ダビデが王位に着いてから加算すると50年とは言わない期間となる。
  3節「彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた」。ウザとアフヨはアビナダブの家から神の箱を運び出し、ダビデとイスラエルの家は皆、糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。ところが牛がよろめき、車の後にいたウザが神の箱に手を出し押さえた(4~6節)。主は怒りを発しその場で彼を打たれ、神の箱の傍らで死んだ。箱の転落を防ごうとしたウザの行為は褒められてこそすれ、非難されるものではない筈で、彼が打ち砕かれたのを見てダビデも怒った(7~8節)。そして主を恐れて、神の箱を運ぶことを思い留まった(9~10節)。問題なのは「牛車」で運ぶことにあった。箱は祭司が肩に担ぎ、その為に担ぐ棒もあった(民数記4章15節、出エジプト37章4節)。ウザやダビデら一行は、箱にふれないで運ぶ規定を安易に考えたことから、聖なる神の意思に背く行為をしたのである。
  11節「三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された」。この噂を耳にしたダビデは直ちに出掛けて喜び祝って神の箱を肩に担いで運び上げた。担ぐ者が六歩進んだ時、彼は車でなく担いで運ぶことの違いを確認した。そして雄牛の燔祭を献げて罪の赦しを求め、力の限り踊ったのである(12~14節)。
  17節「人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた」。この燔祭と酬恩祭の献げ物をし終わると、主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆すべてに輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与え、そして民は皆、自分の家に帰って行った(18~19節)。
  20節「ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。『今日のイスラエル王は御立派でした。…家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから~』」。これは14~16節に書かれている事柄を指し、ダビデ王が麻のエフォドを着けて喜び跳ね踊って町に帰って来た時、ミカルが窓からこれを見下ろし、心の内にさげすんだことを、侮蔑と皮肉たっぷりに語った言葉である。「裸になる」とは王衣を脱ぎエフォドを着たため肌が露わになったことを指す。これに対してダビデは、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で踊ったのだ、わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろうと応えた。これはミカルが王位継承者とサウルの子孫とを失うことで報われることになった(23節)。

ここで詩149篇1~3節…シオンの子らはその王によって喜び踊れ~が示される。