ゼファニヤ1章
18節「金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に 地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を 地上に住むすべての者に臨ませられる」(新共同訳)
1節「ユダの王アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼファニヤに臨んだ主の言葉クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒズキヤの子である。」。ゼファニヤの系図であるが、ヨシヤの宗教改革(紀元前639~609年・列王記下22章)前でエレミヤ、ナホムと同じ頃であろう。本書の視点は、神の力が全世界を支配し、アッシリアもまた、その支配にあるという信仰宣言である。
2節「わたしは地の面からすべてのものを一掃する、と主は言われる」。小見出し『主の怒りの日』。それは人も獣も空の鳥、海の魚も断つのである(3節)。バール礼拝に仕える神官、祭司、天の万象を拝む者ら(4~5節)、主に背を向け、尋ねず、求めようとしない者を断つ(6節)。ノアの洪水物語りと似ている。
4節「わたしは、ユダの上と エルサレムの全住民の上に手を伸ばし バアルのあらゆる名残とその神官の名声を 祭司たちと共に、この場所から絶つ」。手を上に伸ばすのは、審判の仕草である。屋上で天の万象を拝んで誓いを立てる。「マルコム」はアンモン人の天体の神である。主に背を向けて礼拝しない(5~6節)。
7節「主なる神の御前に沈黙せよ。主の日は近づいている。主はいけにえを用意し、呼び集められた者を屠るために聖別された」。神の審判がなされる「主の日」を告げる。それは高官たちと王の子ら、また異邦人の服を着たすべての者に対して罰するという(8節)。その理由は、既に5~6節の偶像礼拝と妥協した信仰である。
9節「主君の家を不法と偽りで満たす者すべてを 主君の家を不法と偽りで満たす者らを罰する」。理由の第二はこれである。その日が来れば、魚の門から、ミシュネ地区から、マクテシュ地区から、泣き叫ぶ声が沸き起こり、もろもろの丘からは、大きな崩壊の音が起こる(10~11節)。
12節「そのときが来れば わたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し 酒のおりの上に凝り固まり、心の中で『主は幸いをも、災いをもくだされない』と言っている者を罰する」。理由として挙げる第三はイスラエルの民の高慢で、神を無視することである。それは裏切りと背信のゆえである。
14節「主の大いなる日は近づいている。極めて速やかに近づいている。聞け、主の日にあがる声を。その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる」。その日は憤りの日、苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と濃霧の日であるという(15節)。ヨエル書2章にも「主の怒りの日」の預言がある。血は塵のように、はらわたは糞のように撒き散らすとは、何と激烈な神の怒りと審判であろう(17節)。
18節「金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に 地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を 地上に住むすべての者に臨ませられる」(18節)。「熱情」(キナアー・動詞カーナー)は妬み、熱愛、熱心、激情とも訳される。口語訳「ねたみ」、岩波訳「激情」。出エジプト20章4~5節を読む。
18節「金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に 地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を 地上に住むすべての者に臨ませられる」(新共同訳)
1節「ユダの王アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼファニヤに臨んだ主の言葉クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒズキヤの子である。」。ゼファニヤの系図であるが、ヨシヤの宗教改革(紀元前639~609年・列王記下22章)前でエレミヤ、ナホムと同じ頃であろう。本書の視点は、神の力が全世界を支配し、アッシリアもまた、その支配にあるという信仰宣言である。
2節「わたしは地の面からすべてのものを一掃する、と主は言われる」。小見出し『主の怒りの日』。それは人も獣も空の鳥、海の魚も断つのである(3節)。バール礼拝に仕える神官、祭司、天の万象を拝む者ら(4~5節)、主に背を向け、尋ねず、求めようとしない者を断つ(6節)。ノアの洪水物語りと似ている。
4節「わたしは、ユダの上と エルサレムの全住民の上に手を伸ばし バアルのあらゆる名残とその神官の名声を 祭司たちと共に、この場所から絶つ」。手を上に伸ばすのは、審判の仕草である。屋上で天の万象を拝んで誓いを立てる。「マルコム」はアンモン人の天体の神である。主に背を向けて礼拝しない(5~6節)。
7節「主なる神の御前に沈黙せよ。主の日は近づいている。主はいけにえを用意し、呼び集められた者を屠るために聖別された」。神の審判がなされる「主の日」を告げる。それは高官たちと王の子ら、また異邦人の服を着たすべての者に対して罰するという(8節)。その理由は、既に5~6節の偶像礼拝と妥協した信仰である。
9節「主君の家を不法と偽りで満たす者すべてを 主君の家を不法と偽りで満たす者らを罰する」。理由の第二はこれである。その日が来れば、魚の門から、ミシュネ地区から、マクテシュ地区から、泣き叫ぶ声が沸き起こり、もろもろの丘からは、大きな崩壊の音が起こる(10~11節)。
12節「そのときが来れば わたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し 酒のおりの上に凝り固まり、心の中で『主は幸いをも、災いをもくだされない』と言っている者を罰する」。理由として挙げる第三はイスラエルの民の高慢で、神を無視することである。それは裏切りと背信のゆえである。
14節「主の大いなる日は近づいている。極めて速やかに近づいている。聞け、主の日にあがる声を。その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる」。その日は憤りの日、苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と濃霧の日であるという(15節)。ヨエル書2章にも「主の怒りの日」の預言がある。血は塵のように、はらわたは糞のように撒き散らすとは、何と激烈な神の怒りと審判であろう(17節)。
18節「金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に 地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を 地上に住むすべての者に臨ませられる」(18節)。「熱情」(キナアー・動詞カーナー)は妬み、熱愛、熱心、激情とも訳される。口語訳「ねたみ」、岩波訳「激情」。出エジプト20章4~5節を読む。