日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

和解はなるのか

2008-04-30 | Weblog
サムエル記下14章 アブサロムの赦し
   これはアムノンの死の3年後である(13章38節)。この間ダビデとアブサロムの関係がどうなったか、判断が分かれる。
  1節「王の心がアブサロムに向っている」のは、親子の情愛を示すのか。これを新改訳は「王がアブシャロムに敵意をいだいている」と訳し、正反対である。
   側近ヨアブが、王の心情を察知しテコアの知恵ある女を呼んで演出して彼を連れ戻す工作をし(1~3節)、王に直訴した内容からは新改訳が当たっているようだ(4~7節)。
   ナタンがバト・シェバ問題で叱責した12章の時の手法と似ているが、ヨアブの場合はダビデ個人でなく王としての裁定を求めている。
   女は仮想事件で、王に血の報復を繰り返さないという公正な判断を引き出した(4~12節)。
   その上でダビデに向かい「王様ご自身、追放された方を連れ戻すことをなさいません。王様の今回のご判断によれば、王様は責められることになります」(13節)と告げる。そしてアブサロムは神から追放されたのではないという(14節)。
   ダビデの裁定について「主君である王様は、神の御使いのように善と悪を聞き分けられます。あなたの神、主がどうかあなたと共におられますように」(17節)と言った。
   ヨアブの仕組んだことを見抜き、王は連れ戻すよう指示する(21~22節)。
   しかしそれは自宅謹慎であったが、二年間も続いたので、不満と苛立ちからヨアブに二度も使者を送る。それでも返事がないのに立腹しヨアブの畑の大麦を焼くという非常手段に出た(25~31節)。

   父ダビデとの再会をアブサロムは果たすが、そこには悔恨や不忠を詫びる言葉はない(32~33節)。
彼の人間的誇り(25~26節)は、王位継承者の資格にはならない(18章9節see)。

 もつれた人間関係の糸を解きほぐすのは決して容易でない。どんな場合でも和解の福音が必要である(エフェソ2章14~17節)。

醜聞と復讐劇

2008-04-29 | Weblog
サムエル記下13章 アムノンとタマルとアブサロム
  アムノンは王位継承者であった(3:2)。彼が異母姉妹タマルを恋慕し身の細る思いをしている時、従兄弟ヨナダブから事情を聞かれた(1~4節)。
事情を聞いたヨナダブは、偽装工作で願望を充たすという策略でアムノンを唆した(5節)。
  王であり実父ダビデは真相を知らないで、アムノンの願望に応じて悲劇を起こすことになった。結果からみて、ダビデの短慮は、非難されることになるのか。
  8~14節のアムノンがタマルにした親近相姦はイスラエルの律法の禁止令である(レビ記18章9、11節、20章17節、申命記27章22節)。(日本の民法でも同じ)。
 
13節から、11章であったバト・シェバ事件で親族に与えた倫理的規範性の問題を読み取ることができよう。
 15~17節で、アムノンが何故激しい憎しみを起こしタマルを追い出したのか不明だが、我が侭で未成熟、無責任な王子として描かれる。

  タマルの激しい悲しみと絶望(18~19節)の真相を知った実兄アブサロムは憎悪と復習心を内に秘めることになる(20~22節)。
 デビデも激しく怒ったが、アムノンに対する裁定をしない。
これは彼の部屋に病の真相を知らないままタマルを見舞わせた後悔と、断罪しないダビデの優柔不断(盲目的寛容)の態度とが、更に悪い結果を招いた。

二年後にそれが起きた。23~36節、アブサロムによるアムノンへの復讐である。
ここで再び「悪賢い」(3節新改訳)ヨナダブが登場する。彼は悲劇を作り出す舞台回しの役割をしている。

ここで示される言葉はヤコブ1章15節「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」

ダビデの悔改め

2008-04-28 | Weblog
     サムエル記下12章 ナタンより罪を指摘されるダビデ
 11章で犯したダビデの不義を、預言者ナタンを通して主は暴露される。
1~4節のナタンの言葉は、ダビデには客観的な事柄としか捉えられなかった。
彼の「激怒」(5節)は、王が指導者として示す正義であり、律法遵守の表明である。羊の贖いに四倍の値を払うことは正当な裁定である(出エジプト21章37節)。しかし「主は生きておられる。その男は死刑だ」とダビデは何故口にしたのか。
  ナタンは「その男はあなただ」と告げられる(7節)。
その事件の実態をダビデの身上の事柄として指摘し、「殺したのはあなただ」(8~9節)と説かれる。
彼は驚愕し、自らの犯した罪が死に値することを認めて神に悔改めと赦しを願う(13節)。
「わたしは主に罪を犯しました」という悔改めの告白が、詩51篇3~14にある。
「神よ、わたしを憐れんでください御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い罪から清めてください。
あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し
  御目に悪事と見られることをしました。
  あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません。」

  主の赦しは、わが子の死で報われる。15~17節の真摯な悲しみと痛みは彼が代償として受止めた証明かもしれない。
  わが子の死後、彼が「身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝した」(20節)のは、罪赦された平安からと言える。ここで詩32篇1~5が示される。

  24~25節にソロモン誕生がある。ソロモンとは「シャーラム」の派生語で“償い”とか“平和”の意味であり、別名「エディドヤ」(主に愛された者)と付けられる。

  キリスト者もまた同じ赦しと喜びの経験を与えられる(ローマ4章4~8)。


ダビデの不倫

2008-04-27 | Weblog
    サムエル記下11章 ダビデの姦淫事件
  イスラエルの優れた王と評されるダビデの実相を聖書は露わにしている。それがヘト人ウリヤの妻との不倫である。
  指摘されるダビデの不義は幾つも示される。
  先ず年が改まり、「王たちが出陣する時期」(雨期から乾期に移行する)になったが、しかし彼は出陣しなかった(1節)。イスラエルの対戦は「主の戦い」なのに、彼は戦場に行かなかったことが先ず問われる。
  次に彼の関心事は戦況ではなく、私的関心に費やされ城壁から一人の女性に心を奪われた。身分を確認しながら、バト・シェバを王宮に召し入れた。欲情が判断を狂わせた。
第三点は、彼女がこれを拒否できないことで罪を犯させた(レビ記20章10節)。
  第四に、ダビデは姦淫の罪を彼女の妊娠によって暴露された時、これを隠蔽しようと工作した(6~8節)。ヨアブに命じてウリヤを帰還させ、自宅で起居するようにしたが、出来なかった。
  第五は成功しないと知るや彼に手紙を持たせ、最前戦で戦死させるという強行な手段を取る。兵士の生命を奪って、自らの犯罪を糊塗しようとした。
  これが「デビデのしたことは主の御心に適わなかった」(27節)という指摘である。

  ここで示される聖書箇所は、ヤコブ1章12~15節、マタイ5章27~30節。
  これは未信仰者でなく、キリスト者に向けられたメッセージである。



 戦争とは何か

2008-04-26 | Weblog
   サムエル記下10章 アンモンとアラムとの対戦
  対戦の発端は、アンモン人の王の死に際して弔意に訪れたダビデの使者を辱めたことからである。
ナハシュがダビデに対して「忠実であった」という記事はないが、8章3~8節の対アラム戦で勝利した時、ハマトの王トイが戦勝祝いを贈った。その後にダビデが聖別した品々の中にアンモン人から得たものがある。ダビデは外交的手腕でアンモン人に敬意を表したのか。
アンモンのハヌンは使節を侮辱して追い返した(3~5節)。
ダビデの憎しみをかうことを承知の上で彼は戦争を挑み、傭兵軍を募った。王の短慮と失政が民を戦禍に巻き込む(6節)。
ダビデはこれを聞き、ヨアブを指揮官にして勇士たち全軍を対戦に向かわせる。(8~9節)。戦線がアラム軍とアンモン軍とのはさみ打ちになっていることを見たヨアブは兵士を二手に分け、精鋭軍をアラムに向け、後は対アンモン軍をアビシャイの指揮下に置いて戦列を整えた(9~11節)。
先にアラム軍が敗走、それを見てアンモン軍も敗走する。アラブ砂漠で活躍するアラムの王ハダドエゼル(8章5節にある)はユーフラテスからの援軍を要請し再度挑戦してきたが、司令官ショバクは戦死し勝敗は決した(15節)。

戦争の結果が19節にある。一体この戦争は何だったのか。
11章に出てくる戦争の最中に起きたダビデの醜聞事件の複線といわれる。とすれば、アンモンのハヌンのことと併せて、箴言16章32節が響いてくる。口語訳「…自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。」


戦争の愚かさ

2008-04-26 | Weblog
サムエル記下10章 アンモン、アラムとの戦い
 ダビデとアンモン人の王との関係
  サムエル上11章ではギレアデを攻撃した時、ギレアデから使者がサウルの元に来て報告、彼は全軍に指揮をとり、アンモンを撃退している。
  ナハシュの忠実は記録にない。
  4節 ひげを剃られることは甚だしい恥辱であった。

士師時代には、アラムは絶えずイスラエルを脅かし、掠奪した。
 アンモンと同盟関係を結んでいたのであろう。傭兵を送った(6節)
 8章5~8節で対アラム戦に勝利した記事がある。

イスラエル軍は二つの陣地を組んで、アラムにはヨアブが指揮をとり、アンモンにはアビシャイが指揮をとった。
この時、ヨアブはアビシャイに「主が良いと思われることを行なってくださるように」と言った(12節)
アラム軍が先に敗走した(14節)のを見て、アンモン軍も敗走した。
アラム軍の長ハダドエゼルは戦列を整えて再び出動して戦いを挑んだが(15~16節)、勝つことはできなかった(17~18節)。勝敗は決した。(15~19節)

アラム軍は和睦を要請した。
 


メフィボシェトへの優遇

2008-04-25 | Weblog
   サムエル記下9章 メフィボシェト
  ダビデは、8章で王位の確立が明確にされたが、その地位を脅かす人間的不安が無くなったのではない。事実この後20章までの出来事は王家内紛と王位継承問題である。
  彼が先ず気になるのは、サウル王の末裔であった。
そこで義兄ヨナタンと交わした契約(サムエル上20章)の実行を願ったのである(1節)。
   そしてサウル家に仕えていたツィバが呼び出された(2節)。そしてロ・デバルにいるヨナタンの息子メフィボシェトの消息を知り、彼をエルサレムに呼んで来させた。5歳の時彼の足の不自由になったことは4章4節にある。
   ダビデはメフィボシェトを王宮に呼び寄せ食事を共にするよう優遇し(5~8節)、彼のためにサウルの所有地を返還して、ツィバには彼の為に土地を耕し収穫物を渡して生計を立てることを命じた(9~13節)。

   このメフィボシェトとツィバのことは、16章1~4節、19章25~31節にまた登場することになる。
  ダビデがここでメフィボシェトを優遇した動機は、1節にある通り、ヨナタンと交わした契約を実行し、メフィボシェトに「忠実を尽くしたい」ことであった。
「忠実」はヘブライ語「慈しみ」chesedである。「善、誠実、良いこと」とも訳される。口語訳「恵みを施そうと思う」である。

   人への良き業=優遇することは、神の慈愛に応えること。ダビデのこの動機を学びたい。

裁きと恵みの業

2008-04-24 | Weblog
   サムエル記下8章 戦勝記録
   ダビデが王国建設の地固めをした様子が伺える。前半14節までには、ペリシテ、モアブ、ツォバ、アラム、エドムなどを制圧したことが記される。6節、14節に「主は行く先々でダビデに勝利を与えられた」と繰り返される。
ハマトの王は戦勝祝いの贈物を届けている(9~10節)。
11~12節は神殿建設に備える為と考えられている。
後半15~18節は「ダビデの重臣」とあるとおり、王国体制が示される。
ヨアブは軍の司令官。ベナヤはクレタ人とベレティ人の監督官。彼らは傭兵部隊である。
行政にはヨシャファトが補佐官で王の命令を布告する地位。新改訳では「参議」となっている。セラヤは書記官。
アヒトブの子ツャドクとアビアタルのアヒメレクは祭司職を任じられる。

  しかしダビデが国の権力を手中に収めたとしても、それだけで王国イスラエルを治めることが出来たのではない。それを示すのが15節である。
 「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。」。
「裁きと恵みの業」は、口語訳「正義(tseda-qa-h)と公平(mishpa-t)」である。
預言者は常に語っている(イザヤ9章7節、11章4節、エレミヤ22章15節、エゼキエル33章16節、アモス5章24節etc)。

  これは聖書が一貫して示して、神の政治に求められる普遍的真理である。
  日本も世界も、近代国家としてこれを鑑としなければならない。



家とは

2008-04-23 | Weblog
    サムエル記下7章 神の家と王位継承
    ダビデは、ティルスの王ヒラムから贈られたレバノン杉で王宮を建てたガ(5章11節)、神の箱を運び込んだ天幕を見て、預言者ナタンに神殿建築の相談をした(1~2節)。王は自らの裁定で建築することをしなかった。
   その夜ナタンに告げた主の言葉が3~17節である。神の聖意は何か。
   神はこれまで羊を牧す羊飼いのように民を導き(3-7節)、ダビデにその群を託して外敵から守られた(8-10節)。同一場所に定住しないという回答。
   11節「主はあなたに告げる」とナタンを通して示される言葉は12~13節
「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」
   これをソロモンによって神殿建設がなされると解釈するが、10節までの聖意と矛盾する。「わたしの名のために家を建てる」とは神殿建設ではない。これはダビデ王の王位継承を示し、信仰共同体による王国の建設が告げられているのである。
その保証が14~16節にある。一方的な神の恩寵であり、「ダビデ契約」と呼ばれるものである。

  18~29節はこの応答の祈りである。彼は神殿の前に座して祈っている。この中で繰り返されるのは「わたしの家」「僕の家」18、19、25、26、29節であり、真実なる「御言葉」の実現である(19、21、25、28、29節)。

  先の12、13節はエルサレム神殿崩壊後、その意味が一層明確になり、やがてダビデの子孫からメシヤが来るという預言の言葉になる。
エゼキエル37章24~28節を読みたい。 

神の箱を搬入する

2008-04-22 | Weblog
   サムエル記下6章 神の箱をダビデの町に搬入した
  イスラエルの精兵三万人をつれてペリシテに奪われていた神の箱を取り戻すことにした。それはキルヤト・アリアムのアミナダブの家にあった(上7章1節)。サウル王即位以来そこに安置されていたのであるから、ダビデの時代を加算すると50年と言わない長い期間になる。
  ダビデがこれを思い立ったのは何故か。
  新しい国家を構想する時に、契約の箱を中心にした信仰共同体を造ることであったろう。
  アビナダブの子ウザとアフヨが新しい車を御して運び出し、行進の楽を奏でて進んでいる時、牛がよろめき、ウザが神の箱に手を出し押さえた(3~6節)。
  このハプニングが問題になる。人間的な判断からすれば箱の転落を防ごうとしたウザの行為は褒めらこそすれ、非難されるものではない筈。ダビデの怒りは神の真意を図りかねたからであろう(7~8節)。
  問題なのは「牛車」で運ぶことにあった。箱は祭司が肩に担ぐ、その為に担ぐ棒もあった(民数記4章15節、出エジプト37章4節)。
  ウザやダビデら一行は、箱にふれないで運ぶ規定を安易に考えたことから、聖なる神の意思に背く行為をした。

三ヶ月後ダビデは今度は神の箱を祭司らに担がせて運んだ。この違いが重要であることを「六歩進んだ」ことで確認できた。
  雄牛の燔祭は罪の赦しを神を求める事柄である。
  彼がこの後喜びの叫びをあげて角笛を吹き鳴らして町にはいる光景が描かれる(14~16節)。
  町に張ってある幕屋に箱を運び入れて先ずしたことは、燔祭と酬恩祭であった(17節)。そして「万軍の主の御名によって民を祝福し」、祝いの菓子を全員に配った(18~19節。)

  城の窓から見て夫ダビデを心にさげすみ、家に帰った彼にした挨拶(20節)は侮蔑と皮肉で愛情は微塵も無かった。
  これはミカルが王位継承者とサウルの子孫とを失うことで報われることになった(23節)。

 ここで詩149篇1~3節が示される。 

  

南北統一の王

2008-04-21 | Weblog
   サムエル記下5章 ダビデ、南北統一の王となる
   イスラエルの12部族がヘブロンのダビデの許に訪ねてきて、指導者としての就任を要請した。「イスラエルの進退の指揮をとっていた」(2節)というのは意訳で、新改訳、口語訳のほうが適訳である。
   3節でイスラエルの長老たちが改めて彼に会い、契約を結んで王位に就く油注ぎの儀式を行なった。契約ということは専制君主でないことを示す。彼の死後王位を継承したソロモンまで統一国家は続いたが、再び南北に分離することになってしまう。
 「油注ぎ」はユダの時(2章4節)とは別個であることを示している。
  かくして彼は40年間南北を統治した(5節)。
  地理的に相応しい町として、エブス人が都市国家の中心にしていた「シオンの要害」を選んだ。東西南に谷のある丘で難攻不落といわれていた。これを水汲みのために造られた用水路から入って占領した。
   この水路は1867年に発見され、エルサレム旅行ではこの水路のトンネルを抜ける実体験が出来る。

    ペリシテは以前のダビデでないことを耳に、南北分断をはかって、二度にわたり、レファイムの谷に陣を張って攻撃してきた。この時ダビデは神の託宣を求めその指示通り、実行して勝利を得た。

  この章から示されるのは10節、12節である。
  「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた。」
   「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った。」



流血の罪

2008-04-20 | Weblog
    サムエル記下4章 イシュ・ボシェトの死
   1節 アブネルの死はイスラエルに大きな衝撃を与え、王は舵取りを失う危機的な状況になる。「力を落とす」新改訳「気力を失った」。

   4節に何故ヨナタンの息子メフィボシェトが出てくるか判らないが、16章で再度登場する。
 
   掠奪隊長のバアナとレカブは結託して邸内に忍び込み、昼寝中のイシュ・ボシェトを殺害する。そして首を持ってダビデの許を訪ねた(5~8節)。
   彼らの魂胆は、これによって王から殊勲として、取り立てて貰うことであった。その決定的な誤りが8節にある。
  まず「主は、主君、王のために…報復されました」と告げた。自分たちの殺人行為を正当化し、主の聖意に置き換えた。
  次に「お命を狙った、王の敵…」と誤解した。

  ダビデは主の聖意に反する彼らの行為を「流血の罪」として糾弾し、処刑した(9~12節)。1章にあるサウルの死を告げたアマレク人とは異なり、謀反で寝込みを襲った二人の処刑は厳しかった。

  ダビデの反対勢力であった、サウル、アブネル、イシュ・ボシェトはそれぞれ非業の死を遂げたのであった。しかしその暗面が物語られる中で、ダビデは自らの手ではなく、「あらゆる苦難から命を救われた主」(8節)の導きを感じ取ったのかも知れない。

  キリスト者もまた、あらゆる苦難から命を救われる主を信頼して生きたいものである(フィリピ1章20~21節)。
 
  

アブネルを殺すヨアブ

2008-04-19 | Weblog
    サムエル記下3章 アブネルについて記されている。
   司令官アブネルはイシュ・ボシェテを擁立して北イスラエルを統一したが、2章にある通り、南ユダとの対戦で敗北した。その後については「ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えた」1節とある。
  アブネルは、戦力でなく王が問題であることを悟ったのだろうか。サウルの側女の不品行を見咎めたイシュ・ボシェテとの間に確執が起きた(7-8節)。
   アブネルは王を見限り、ダビデの許に使者を送って同盟を結び、南北統一を提案した(12節)。
   ミカルを連れ戻すことは、ダビデがサウルの王位継承者であることを北イスラエルにアピールする方法だったといえる。(13-16節)。

 アブネルは南北統一が主の聖意だとイスラエルの長老たちに伝えている(17-18節)。そして二十人の部下を連れてダビデの許に行き、ダビデは酒宴を催してもてなした(20節)。
 これで万事上々と思われたのだが、ヨアブが私憤と権力に対する嫉妬心からアブネルを暗殺してしまった。しかもだまし討ちだった。
  弟アサエルが殺されたのは、アブネルにすれば無理に仕掛けた結果と弁明できることだった(2:21~23)。

   31~35節にあるダビデの異常なまでの悲しみと服喪の記事は、アブネルの存在の大きさ、その指導力を評価していたからだ。それと比較してヨアブの短慮が悔やまれただろう。
 「偉大な将軍が倒れた」と「今は無力である」というダビデの心情を披瀝した言葉は、王と言えども、神の導きなくしては何一つ出来ないという告白となる。
  ダビデの人間性が表されている。


ダビデと対立

2008-04-18 | Weblog
   サムエル記下2章 サウル王死後の出来事
   ダビデは二度の神託を受けて、ヘブロンに家族と共に移り、7年間ここを拠点にしてユダの家の王についた(1~4節)。
   直ちに使者をギレアドのヤベシュの許に送り、「主君サウルに忠実を尽くした」ことを褒め、その働きに報いたいと告げ、一層勇敢に戦うようにと伝え、またユダの家がサウルの後継者としてダビデに油を注いでて王についたと言った(5~7)。
  この挨拶は、対ペリシテ戦に敗れ逃走したイスラエルの人々と友好関係を結ぼうとしたのかも知れない。
 しかし結果はその反対になり、サウルの司令官アブネルは、参戦しなかったイシュボシェトを擁立しマハナイムでイスラエルの王にした(8~10節)。アブネルはサウルとは父が兄弟で、従兄弟の関係であった(14章50-51節)。

  二人が王位に就いた時の相違は、神託と油注ぎの有無である。これは紙面に出てこない一つのポイントとなろう。

この後両軍の家臣はギブオンの池を挟んで対決するが、勝敗を12人の若者代表を立て戦わせる(12-13節)。新改訳は「闘技させる」とある。格闘技なのだろうか。しかし剣で相討ちになってしまう。
  その後の戦闘でダビデ軍が優勢になりアブネルらは敗走するが、深追いをしたアサエルはアブネルに倒される(17-23節)。
  アブネルの停戦交渉をダビデ軍の指令官ヨアブは受け入れ、双方は撤退したのである。しかし「兄弟」(28節)と呼ぶ互いの無益な争いを知るのはまだ先である。

   詩133編1節
  「 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。」

  

死を悼む

2008-04-17 | Weblog
    サムエル記下1章 哀悼の歌
   前半1~16節は、サウルの死を知らせたアマレク人の処刑、17~27節はサウルとヨナタンに対する挽歌。
   31章ではサウルは自死しているが、アマレク人の通報は虚偽のようだ。
  彼はダビデとサウルの関係を誤解し、喜ばれると思い褒賞を求め通報して来た。まるで見てきたような嘘を言う(6~10節)。
  15節でサウル殺害は(たとえ虚言であっても)、「主が油を注がれた」という聖意に背く行為だとダビデは周囲に伝えたのである。また同時に、ダビデの身の潔白を示す言葉でもある。これは24章11節にもあった。

  「弓」の歌と呼ばれる哀歌は、ダビデの繊細な愛情を表すすぐれた作品である。「ああ、勇士らは倒れた」と19、25、27節で三度繰り返す。19節はサウルに、25、27節はヨナタンに向けられている。

  サウルはダビデを追跡して殺害しようとした王でありながら、死別の悲しみを表したが、25-27節のヨナタンに向けられた悲しみは尋常なものではない。

  悲しみは慰めによってのみ癒される。
  第2コリント1章3節にこのようにある。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。」