3章では「エジプト脱出」の洋画でモーセがシナイ山で刻まれた十戒の石板を掲げていた光景を思い出す。聖地旅行の土産に買ったパピルスの十戒を額にして書斎に掲げてある。
3節「石の板ではなく人のここの板に」とある通り、この律法が新しい契約としてキリストにより、わが内に刻まれるということである。
モーセの顔が輝いていたので石の板を読む時民は顔覆いをしたが、キリストによる新しい契約に仕えるわたし達は、顔覆いは除かれて栄光を帯びることができる(8~11節)。
18節「 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」
これが3章の結語であるが、主の栄光を映し出していただく者になれないのは未だ顔覆いが除かれていないからであろう。
主の方に向き直れ!(16節)
(写真 ルカ23.28 エルサレムの娘たちと呼びかけるイエス)
3節「石の板ではなく人のここの板に」とある通り、この律法が新しい契約としてキリストにより、わが内に刻まれるということである。
モーセの顔が輝いていたので石の板を読む時民は顔覆いをしたが、キリストによる新しい契約に仕えるわたし達は、顔覆いは除かれて栄光を帯びることができる(8~11節)。
18節「 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」
これが3章の結語であるが、主の栄光を映し出していただく者になれないのは未だ顔覆いが除かれていないからであろう。
主の方に向き直れ!(16節)
(写真 ルカ23.28 エルサレムの娘たちと呼びかけるイエス)