世に篆刻家さんが何人いるか、これは誰にもわかりません。総務省や文科省は、余暇の使い方程度のアンケートによって「書道人口や書道の傾向調査」などを発表しますが、せいぜい何年かに一度で、書道・篆刻などを日本の重要な文化・教養と扱っているようはみえません。例えば参考になる「レジャー白書」は2年に一度3,4千人のネット経由のアンケート調査で、類推した統計を出している程度で、その発行元は公益財団法人日本生産性本部は、公益とはなっていますが、民間の経済団体であります。
乏しい資料ながら、現在書道を趣味にしている人が280万人くらいだそうです。これは6.7年前の古い統計数字が独り歩きしているので全く当てにはならないのです。また、ワタシの記憶では、その数字は成人に限っての推計なので、もう少し沢山になるかもしれません。ただ、確実にその数は減少しているのです。以前調べた時は35人に一人くらいでしたから、今はおよそ日本人の40~50人に一人、これが現実かもしれませんね。廃れいく芸事・伝統ある芸術を放置しているのが我が国の行政・政治でありましょう。
そこで篆刻家さんの数であります。れっきとした団体は「日本篆刻家協会」(大阪)、「全日本篆刻連盟 」(東京)と二つあって、関西系・関東系に分かれているようです。その数は合わせて3千人ほどと思われます。会費を払って団体に所属する人以外に、その団体を脱退した人から、そもそもそういうグループには属したがらない人までいますから、足せばやはり数千人にはなるでしょう。ワタシ程度の篆刻家志望(モドキ)を参入すれば、恐らくその数倍といったところでしょうか(笑)。
だとすると、篆刻を趣味や生業として手掛ける人は、日本全国でせいぜい数万人、多くても10万人ほどだろうと思います。書道人口の1/30くらいでしょうか。ワタシがいつも参加する書道チャットが218名、一方篆刻チャットは13名ですから当たらずとも遠からずでしょう。いずれにせよ篆刻の世界は、方寸の美と言われる、ごく小さな印章の中のこと。それに芸術性やら古雅の趣などを織り込むのと同様、その業界も又とても狭いのだと言わざるを得ません。
今の全日本篆刻連盟(関東)会長は、和中簡堂先生、その前が河野隆先生(没2017年)、その前が多分 中島藍川先生(没2018年)だろうと思います。和中さんに万一のことがあったら、次は副理事長の綿引滔天さんあたりかな。 河野先生は、このブログで以前書いた様に、意外と深い縁がありました。ワタシが幾つか所蔵している印の作者綿引さんも、うちの近所の杉山先生も河野先生のお弟子さんです。
そこでヤフオク、昨夜はワタシがいつもチェックしている信頼がおける美術商「天香楼」さんから出品された40個ほどの「古印」が最終期限でありました。ここ1年で振り返って見て、最も高価で・文化的価値がある一流の篆刻印が出品されていました。「趙之謙・丁敬・梅舒適 」などなど古今、和漢を問わず超一級の刻印・側款がある素晴らしい印群で、心躍るお宝であったのです。中に前述の中島藍川作、作品展出品の印が数個含まれていました。
ワタシの推理では、亡くなった中島先生の遺品を中心に、遺族やその関係者「遺品整理」などで「天香楼」にオークションによる処分を委託したに違いないのです。ここ数か月でたびたび藍川さんの作品が出品されるのを見つけておりました。お当代一流の篆刻家さんが収蔵していたマニア垂涎の大変なお宝の一部がヤフオクに出てきた、と想像しました。同時に、これは到底ワタシごときには落札・入手は不可能であろう、とも思いました。いままでのヤフオク経験からざっくりと計算して、一個5万円見当というところです。勿論ダメもとで十数個に入札しました。1万円から最大25千円(笑)。刻限が迫っていれば最高値には到達しえないので、2時間ほど前倒しでした。
当然早いうちから、高値を更新されてそこで「戦意喪失」、予想通りの展開でありました。一番高かったのが、近代の日本篆刻界の第一人者梅舒適さんの対章で、357千円!!。思い切って25千円で一瞬最高値だった趙之謙さんは172千円で落札されました。それ以外も軒並み5万円越えで、ワタシの出る幕はありません。チェックしていた28件だけで合計179万円、一件当たり64千円で落札(または時間切れでキャンセル)されたのです。
約20件のワタシが入札したものすべて入手できませんでした。しかし、あまり失望しておりません。所詮ワタシの手元に来るようなものでは無く、これだけの値打ちもの・歴史的価値のあるものは、それなりの人が所有していればいい、ワタシの乏しい小遣いを失わずに済んだと思えばいいのです。
また、収穫もありました。一つは梅舒適さんの印に刻まれた側款。「丁斎」という雅号が確認できました。
これは今後梅先生の古印をヤフオクで「漁る」時の大事な判断材料となります。
今一つは、中国の篆刻の祖と言われる「文彭」さんの印です。ネット上ではウイキペディアなど複数の記事で「文彭の自作印は朱文の象牙印「七十二峯深處」が唯一伝存するのみ 」と記載されます。ワタシはこの記述は、「文彭さんは象牙印は彫っていない(それまで職人に彫らせていた)ので現存しない」の誤記・誤訳であろうと確信しています。その理由は、文彭さんの印が多数オークションに出回ることに由来します。腐るもので無し、石印材を世に広めた文彭さんの石は、偽物も合わせて多く存在するはずなのです。現にワタシも文彭さんの側款がある古印二つを所有しています。それが偽物と決めつける材料は有りません。
そして、今回の出品物の中に文彭さんの雅号「三橋」の側款がある印が含まれていたのです。
ワタシの鑑定ならいざ知らず、日本の篆刻界の第一人者であった中島さんが愛蔵していたなら、「本物」の可能性が高いのです。すると、文彭さんの印は存在するという証拠になります。ワタシの印とは、亀紐(頭の部分の飾彫り)も共通しています。大収穫でありました。