今朝はタブーに触れてみようと思います。
当地平塚は、数十年緩慢な衰退時期に入っており、繁華街であった駅前も寂れ、往時の面影を残していません。全盛であったパチンコ店すら閑古鳥で、記憶しているだけで4店舗潰れました。その理由は大きくは少子高齢化と長引く経済の沈滞(失われた40年)によります。加えて当地で顕著なのは、まとまった駅前の駐車場がないことと、駐輪場の整備の遅れがあります。駅前の七夕通りは、片道一車線をコインパーキングに変えて渋滞の元凶となり、手軽に路上駐車してさっと買い物をするという車を寄せ付けなくなりました。
もっといけないのは自転車の路上駐輪を敵に取り締まったために買い物客が遠のいたのです。片っ端から委託業者がそこらの自転車を撤去しました。聞けばその理由は、歩道に多くの自転車があるために目の不自由な人が点字ブロックを伝って歩けないと言うのです。
目の不自由な人な少数の人(おそらく当市で数百名)のために、多数の市民が不便を感じ、駅前に客が来なくなり百貨店から商店まで売り上げが落ちる一因となりました。
昨今では、社会的少数者(マイノリティー)の権利を守りその立場や主張を尊重するという風潮が高まりました。それは大変結構なことなのです。しかし、そのために公共の利益を損なうとか、メリットとデメリットのバランスを無視しては本末転倒となることを見落としてはならないと考えるのです。
例えば性的マイノリティや性同一性障害については、法整備を含め徐々に社会の理解を得るようになりました。だからといって、そうした人が増え続け、常に社会生活で同等の権利を主張し始めると、混乱や社会的規範の崩壊、新たな法整備の必要性が出てきます。この社会では単純に男女の区別だけだったものに、第三の性を設けるにはその数はあまりにも少なく特殊なのです。周囲の人間が特殊性を理解し、差別なくそれなりに温かく受け入れる、程度で十分だろうと思います。
それで障害者というマイノリティーであります。公には日本では7%くらいが障害者と認定されています。こういう人たちは、多くは社会生活を営む上でなにかしら公私の補助・援助が必要になります。程度や障害によっては普段ほとんど不便も無い方から、寝たきりで自分では何もできないかたまでまちまちであります。
社会やその人の周囲の人、公共もそうした人が人間らしい生活が出来るよう配慮するのは当然であります。だが、一方で旅行に行くのに電車や駅をバリアフリーにしろ、とか、宿泊施設が障がい者を差別するなとかいう話が絶えません。あるいは、障害者のフリをして生活保護を受けたり、医療費はかからず、タクシーで通院も行政持ちという事件もありました。障害者に優しい環境を整備するのが当たり前だろうという理屈です。税金も医療費もただ、さまざまな割引を受けられる制度もあります。ある意味、健常者より恵まれていることもあるのです。
今度のパラリンピック、ワタシが好んで観戦するスポーツというのは、ハンディ無し、想像を超えて最高レベルの選手が超人的なパフォーマンスを発揮するのをみて感心したり興奮したりするものだと思っております。だからプロレスや大相撲などの八百長興行などは見ません。ルールもわからず周りに介護者がいて面倒を見たり、高性能な義足で無いと勝てないとか、障害の度合いによって区別される競技などには興味がわきません。中には、障碍者を装って健常者がプレーしているとも聞きます。
民放は視聴率が取れない(関心度が低い)のでパラリンピックを放映しません。たまたまTVをつけた時、偶然女子柔道で日本選手が送り襟締めで「落ちて」ピクリとも動かない場面に遭遇いたしましたが、障害がある弱者に激しいスポーツをやらせる方がどうかしていると思います。死んだり大きな障害が残ったらどうするの?
そもそもパラリンピックに出場できるアスリートは、平均的にはとても恵まれた人たちだろうと思います。普通ならば、家族に介護されたり、障碍者施設に入所したり、運が良ければ障がい者枠で軽作業に従事します。障害者手帳のおかげで最低の生活や医療は確保されています。
競技としてのスポーツをしている障害者は、それに比べるとスポンサーや支援者に恵まれ、家庭にも余裕があるから出来ることなんです。そこらのニートや貧困の若い家族、非正規雇用者の方がよほど困窮しているかもしれません。社会の狭間で、誰からも顧みられることなく、生活苦で命を絶つ健常者は大勢いるのです。
偏見だ、との批判を恐れずに言います。コロナが蔓延し、毎日多数の在宅死まで出ている時期に、ごく少数の障がい者のために、これだけの大きな大会を大金をかけて開催し、近県から児童生徒を動員して観戦させることに、過剰なマイノリティー(障害者)への配慮、アンバランスな社会的組織行為と感じるのはワタシだけではありますまい。
自分がそうなったら、そんなことは言えないだろう、などマイノリティー、障害者に対するアンタッチャブルな風潮があるのでしょう。
昨日のパラリンピックの国別金メダルは中国54個で、次がイギリスの26個。日本はわずか5個であります。どこかインチキ臭い中国選手の選考(障害認定など)の結果、こんな中国に名を成さしめるために、リスクとコストをかけて大会をやってるんじゃない?とその不合理さを考え不愉快になるのです。
障害者の皆さんは、シアワセになる権利があり、社会全体で理解と援助をすることも肝要です。ですが、銭は、中国人の障がい者や一部のスポーツに振り向けるより、他に使うべき道があろうと思います。