植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

石も人間も 磨いてナンボ

2022年12月31日 | 雑感
今年最後に届いた印材が、ヤフオクで1,500円落札した獅子紐のある石であります。3㎝角の大きめの印で、西泠印社の値札「価格320-」と書かれているので、販売当時の日本円では約6千円というところでしょう。中国では人にプレゼントする時に値札をそのままつける習慣があるそうです。それをいやらしいと考えるか、価格を贈る側の誠意の尺度と受け止めるのか、国民性の違いでしょうね。西泠(さんずいが正しい)印社は浙江省杭州 の西湖に浮かぶ島にある篆刻を中心とした美術書道の研究機関で、丁仁・王禔・葉銘・呉隠が設立し初代社長は、呉昌碩先生です。ここで印泥や印材を販売もしておりますが、その品々は中国でももっとも信頼できる老舗と言ってもいいのです。 

石の種類は「高山凍」と思われますが、その2割くらいの部分が黄土色の砂礫質になっていました。そこだけがざらざらしていてこれが値段を安くしている瑕疵であろうと思います。残念ながら、写真下部にある半円形の部分に違う材質の石が融合しているのです。なので、さほど値打ちものとはいえず、1500円の落札価格はまぁ妥当と言っていいでしょう。
高山凍の美しい優材としてはこれです。石質が均等で斑紋が流れ全面がピカピカに磨かれています。価格は恐らく2,3倍となるでしょうね。


篆刻と印材にどっぷりつかってこの1年を過ごしました。彫っている時間と同じくらいの作業が「石磨き」でありました。彫のある印面を潰して平らに磨きます。側面も同様小さな傷(スレとかアタリとか表現します)も出来るだけ目の細かいサンドペーパーで修復し磨き上げるのです。中には、書道に関係した人が(下手な)自作印を彫って、自分の名前を「側款」として入れているのもあるので、これも消してしまいます。

印を彫って人に差し上げる時も、角を丸く落として削り、印全体を出来るだけすべすべに磨き上げて渡すようにしています。印を捺すとき、石の角が当たったりざらざらした部分が残っているのは気持ちがいいものではありません。きれいに磨けた良材はまことに美しく、ワタシの手になる印面の下手な彫りをカバーしてくれるのです。

石を磨くのは、3段階で徐々に緻密な細目のサンドペーパーで水研ぎをすることが基本です。粒度=番手といいますが、200番手~2000番手くらいの幅で使い分けします。最後の細い番手は傷がつかないよう力を抜いて優しく磨きます。これが出来たらキレイに水気と微粒子をふき取って「セーム皮」や専門の研磨布で磨きます。場合によっては「ピカール」という研磨剤をごく少量足します。靴磨きみたいなペーストであります。

よい素材の石は磨けば磨くほど艶やかになりしっとりとした温潤さ、トロリとした質感が醸し出されます。昔の人はポケットに入れて歩いて石を磨いたと言います。掌で愛玩して人間の皮脂がやんわりと石に沁みこむのも古印ならではの風情が出てくるのです。

石印材はもともとの材質が決め手で、田黄や旧坑の寿山石が逸材として磨かれ、高い値段で取引されるのです。一方駄石は、もういくら磨いてもたかが知れていてほとんど磨く価値がありません。ホームセンターで市販されている(アフリカ産)青田石や、出所不詳の寿山石がそれに該当するので、練習用くらいにしか使えません。

さて、人間はどうかというと、元の美しい人は特段磨かなくても、匂い立つような美しさがあります。しかし外見だけで言えば、磨いても仕方ない人が大多数で、まぁ磨かないよりはマシといったところでしょうか。どうしてもきれいになりたければ「美容整形」という最終手段があるといいますが、ワタシにしたら石で言えば「模造品・人造石」に思えて、なんの魅力も感じません。

また、10代後半をピークにして人間の肌や筋肉細胞は徐々に劣化し老化に向かいます。60過ぎたら何しても無駄になります(笑)。
ワタシらは、まさに外観・ミテクレはもはやどうでもよくなっているのであります。

しかしながら、内面は違うのだ、と感じても居ます。年経るに従い外観は衰えても、正しくきちんと生きてきた人は、内面から滲みだす凛とした「品格」が表に出てきます。顔に出なくても、たゆまず努力し勉強し人の為に尽くした人たちはその言葉や行動の端々に来し方の生きざまが現れて来るのだと思います。

刻まれた皴、柔和な表情などに人生が垣間見えるのでありましょう。
今年最後の稿を終えるにあたって、残り少ない行く末を思う時、篆刻・書道の腕を磨き、美しい石を磨き、さらに自分の内面もまた丁寧に磨こう、と思いを新たにいたしております。

今年1年、こんな拙いブログに訪れご愛読いただいたすべての方にお礼を申し上げ、さらに皆様方のご多幸を祈念いたします。良いお年をお迎えください。 深謝


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今年は濃厚だった 来年は健康でもっとがんばろう!

2022年12月30日 | 雑感
どうやら世間の皆さん、ブログも仕事も今年は終わりの様であります。あちこちで「良いお年を💕」という言葉が飛び交っています。ワタシの倅達も、昨日からお正月休みに入ったのです。

しかし、ワタシは休む気分にはなっておりません。まだやり残したことがあるのです。ブログに関して言えば、今年の総括が未済であります。ワタシにとってのブログは、情報や意見を外に向けて発信するのと同時に、後になって確認し思い出すことに使える「備忘録」でもあります。

今年はどんな年であったか、自分にとってはどうであったか、何をなして何をやり残したかを書き留めなければ、次の年に移れないのです。正直66歳のこの1年は、非常に印象的で、いつもの年と比べてとても長く感じられました。毎年あっという間に歳をとったという感慨にふけっていたのですが。その理由は、今年の一日一日が濃厚で充実していた証ではなかろうかと思うのです。

世の中で起きたことはネットで調べれば出て来るので何もここに記すことは無いのですが、それでも「ロシアのウクライナ侵攻」「安倍元総理の銃撃死」「コロナ騒動」「円安と物価高」「防衛・軍備の唐突な転換」などは遺しておくべきだろうと思います。

亡くなった方は、エリザベスさん、ゴルバチョフさんが思い出されますが、先日サッカーの王様ペレさんも亡くなったそうです。日本人では石原慎太郎・海部俊樹さんなどは大往生、芸能人では島田陽子・渡辺徹・上島竜兵・仲本工事・渡辺裕之・志垣太郎(敬称略)など、自分と同年代かそれ以下の寿命が短くて亡くなった人のことが大きな衝撃でありました。

自分自身では、昨年までは「槐松亭の10大ニュース」として家族に年末発表していましたが、今年はあえて10個もピックアップするほどの事も無い反面、半生の中でも最も長くて「濃厚でシアワセ」な1年だったと思うのです。無論、なかには大きなショックや激しい憤り、苦しさなども味わいました。実兄の重い病気を知り、自分の血糖値の上昇など体調不良の時期もありました。自治会その他で矢面に立たされ、思いもよらぬ非難をされたり嫌な思いもしたのです。

しかし、次男が横浜で、三男が鎌倉で結婚式を挙げることが出来ました。次男は当地平塚にマンションを買うことにしたのにも、ワタシと家内がいろいろと手伝いながら成就して大変喜ばしいことでありました。

この数年、コロナでどこにも行けませんでしたが、兄の見舞いがてら九州に2度行って、実家を訪ねることができ、旧友とも会えたのです。おかげで、一時は危ぶまれた兄の具合も相当回復して明かりが見えてきました。
長男は生活習慣由来で肝臓を悪くし高血圧にもなってドクターストップがかかったようです。彼はその後投薬とダイエットで正常値に戻ったのが何よりでした。次男は、運動不足と過食過飲によって肥満が増進しているのが心配でなりません。

更に、現役時代の旅仲間と、10年ぶり位に伊豆へ旅行に行きました。今月初めには、長野県に車で出かけて、同じ会社で夜な夜な飲み交わした同期の友人と十数年ぶりに再会しお風呂に浸かって一献傾けたのです。

高校時代の仲間とも千葉で何度もゴルフをし、那須の友人の別荘での泊り込みゴルフ、長年の夢であった川奈ホテルで宿泊してゴルフも出来ました。

園芸では、6年前に購入して以来一度も咲かなかった「チユウキンレン」に3つの花が付いたのが最も嬉しいことの一つでありました。メダカはオロチや楊貴妃系の改良メダカの卵をヤフオクで落札して育て、半数が無事に大きくなっています。(メダカの稚魚の歩留まりは案外低いのです)

篆刻は、お正月からほぼ毎日印を彫りました。その技量は、まだ富士山登山で言えば一合目の裾野当りですが、やったぶんだけ少しずつ上達していると自負しています。これに平行してヤフオクで入手した印は、多くの珍品・美品・優石に当たって満足しております。なかでも斉白石さんの印らしきもの、全紅といわれる真っ赤な鶏血石、いくつかの田黄石など、コレクションと言えるだけの質量を確保できたのも嬉しいことでありました。

残念ながら、今年できなかったこと、犠牲になったものもいくつかあります。篆刻や自治会などによって圧倒的に時間の制約が大きくなり、書道の稽古と作品作りという目標は未達に終わりました。コロナでほぼ一年教室も中止を余儀なくされました。園芸では主に洋ランに手をかけることが出来なくなって「パフィオペディルムや胡蝶蘭」のほとんどを枯らしてしまいました。残ったのはカトレアやシンビジューム程度で本当に可哀そうなことをしました。

メインのローズガーデンも、手間を惜しみ暑さや天候不順にかまけて、施肥や殺虫・消毒薬の散布をずいぶん省略してしまいました。ブドウも然りです。結果バラは、いつもの年に比べて花数も少なく、1本は枯れてしまいました。シャインマスカットとロザリオビアンコは、病気で樹勢が衰え、とうとう花が咲かず終いで、泣く泣く処分することになりました。

スマホで楽しんでいた「ツムツム」はこれまでの半分くらいしかゲームが出来なくなり、植物写真の投稿サイト「グリーンスナップ」の投稿やチェックはとうとう断念のやむなきに至りました。

来年は、3月で自治会の役を降ります。これでだいぶ精神的にも時間的にも余裕が出てくると思います。お祭りの評議員も少し参加を抑えようと思います。
そして、書道と園芸については気合を入れ直し性根を据えて一年を全うしようと思います。バラを美しく咲かせ、菜園は日照のいいところへ少し拡幅する予定です。ブドウは二本の苗を養生中で、来年病気に罹らないよう(雨にあてないよう)育てるつもりです。

そして、何より心身ともに健康的に過ごすことが最大の目標で良かろうと思います。
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整理が付かないがもう時間切れ さぁこれからが正念場

2022年12月29日 | 雑感
新しい年を迎えるために、一念発起し仕事場の整理・整頓・清掃にかかってからはや10日が経過しました。どれもワタシの最も苦手とする分野であります。案の定、その作業は遅々として捗りません。片付ける端から散らかす、何かをやっている最中に別の事を思い出して始めるといったことの連続なのです。

整理の原点は「書道具と印材」でありました。数千に及ぶ印を高価値の印の保存、石の種類ごとの分別、いい彫のものも少しづつ潰す、きれいな石はさらに磨きをかけるなどいくつもの要素がからんでいて作業は収まりが付きません。石の保管場所も仕事部屋・客間・倉庫と3か所に分散し、箱や棚だけでも20か所を超えているのです。

そして、その問題を解決する一助にしようと幅32㎝高さ50㎝ちょっとの小箪笥(10個の引き出しあり)を先日ヤフオクで落札しました。
ついでに古銅の鹿や鯰の置物など4点を見つけて落札したので品物が増える一方なのです。この暮れの押し詰まった時に鯰と狸の水滴(笑)。

同時並行で、気になっていた洋ラン・観葉植物の手入れを再開し、年賀用の篆書体の作品作りもやっています。ワタシの会社の会計処理もやっているので忙しくてハチャメチャであります。印材を磨いて整理することはすでにして放棄いたしました。出来ないものは出来ない、であります。

整理箱(下の写真の赤っぽい箪笥)が届いたので懸案だった「鶏血石」を収納いたしました。ちょっと時代がかった小箪笥であります。これいっぱいに50本以上の鶏血石が入っています。ひと財産でありますな(笑)
雅安緑・広東緑など緑色系の石材も一つの箱にまとめたのです。この中には自慢のコレクションほとんど誰も本物を見たことが無いと言われる「艾葉緑(かいようりょく)」という幻の石(かもしれない)ものも数個あります。専門家もどれが艾葉緑なのか確信が持てないくらいの石、出品者もワタシも分からないのです。
しかし・・・どうですこれ? 何か、いいでしょう?


ついでに、田黄石(もどき)もひとまとめにしました。それらしい黄色・茶系の石が20個ほど出てきました。

それやこれでじたばたしながらもなんとか、掃除までは漕ぎつけました。

そして今日から年末年始で怒涛の一週間が始まります。今夜は自治会の「火の用心」の夜回り、明日は「藤原紀香さんが来る!」という平塚競輪グランプリに招待されています。

今夕方には、新潟の長男親子総勢5名、更に次男・三男夫婦がこれに加わって実家(ワタシの家)に参集するのです。普段は甲斐犬スミレと、家内とワタシという穏やかで少数の家に、ワタシ達の子供や孫たち9人の人間がいっぺんに押しかけて来るので大変な騒ぎになります。(このために生きてきた、自分がこれまで成してきた最も誇れる結果でもあります

普段会えない孫3人と遊べるのです、特に末の孫娘はちょうど1歳となりました。抱っこできるのが楽しみで仕方ありません。同時に、みんなにお正月まで飲み食いの手配を家内とワタシが引き受けることになるのでまことに穏やかでないのです。自分のペースでブログや篆刻をやるのに残された時間は、あと半日しかありません。
一年に一度の正念場、気合を入れ直して乗り切ろう、と思います。
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側款・在銘の石 本物はあるのか?

2022年12月28日 | 篆刻
篆刻に明け暮れた1年でありました。なかでも、ヤフオクでの印材集めが自分の生活の柱になっていたかもしれません。最初は自分が彫るための練習用の安い石、それから紐がある見た目に可愛い石に興味が湧きました。
しかし、今年に入って「値打ちもの」の高級印材や時代のかかった印人の彫があるものがヤフオクに出品されていることに気づいて、篆刻はおいといて、石印材をコレクションするようになったのです。

ワタシなりに磨いた鑑定のポイントは、①石自体の価値(種類・時代) ②彫りの見事さ ③「側款」の有無と真贋 であります。
石に施された飾り彫り「紐」は基本的には石の価値にはあまり影響しません。また「薄意」という浮彫も、模様が奇麗で「愛玩」したくなる、程度のものでこれに拘泥すべきではないというのが持論であります。紐や薄意に目を奪われるのは、贋作者の思うつぼで小細工につられて偽物をつかまされる、という事を恐れるべきなのです。美しい薄意が施された田黄は高価で財宝級であったりしますが、薄意があったから田黄と決めつけるわけにはいかないのです。

さてそこで本日は、今年1年で蒐集した石の中で③「側款」がある=一応作者名がわかる銘品を一挙に掲載いたします。その真贋はともかく、彫られた側款につられて落札したものであります。というより、眉唾ものが大半であります。(笑)
まずはこの大きな寿山石。「秋堂」の側款があり、清代篆刻家「陳豫鍾 」さんの号でありますが、どうもこれはにせものぽいです。見た目の美しい置物程度とみていいでしょう。


次なるは「完白山人」の字が彫られた対章。北京印痕楼の立派な木箱に入っておりました。これは中国篆刻・書人の中では最も偉大な人に数えられる「鄧 石如 」先生の号であります。先生の印はわずかしか伝存せず、印譜すら少ないそうです。そんな歴史的な名人の作のはずは無かろうと思います。

まだまだ、続きますがここらまではいささか贋作の可能性が高いものとみております。
尊敬する「徐三庚」先生の款がある印であります。
これは、ワタシの想像では透明度が高い白色系の「凍石」か青田凍を染料で煮染めて田黄に似せていると思えます。上手な側款でありますが、うー-ん、こんな立派で大きい印が徐先生の物かなぁ、といった感想です。
もう一つがこちら。
これは本ブログでも解説していますが、本物の可能性を論じるに足りるほど見事な美しい石でした。紐も側面も非常に丁寧に彫られ磨かれている寿山石です。詳しくはこちら。

次なるはこちら。1993没、韓国人篆刻家、高石峯先生の真作であろうと思います。

更に素晴らしいのがこれであります。中国明代の篆刻家で、篆刻の礎を築いたと言われる文彭さんの側款があります。ネットではあちこちで「 自作印は朱文の象牙印が唯一伝存するのみ 」と記載されますが、彼は象牙印は職人に彫らせていて、ヨウロウ石を紹介されて初めて書人・書家が自分で彫れることを実践し広めた功績が有名なので、もともと「象牙印」は彫らなかったのです。
これについては拙文を参照願います。

そうして最後に紹介するのはやはりこの印、斉白石先生の遊印であります。
この石に関してはかなり専門家さんの手を借りながら研究しました。
内容については長くなるのでやはりブログを参照してください。この前後4,5回に分けて説明しておりますのでお暇な方はどうぞご笑覧願います。

こうした印が、骨董的・文化財的な価値がある文物かどうかはわかりませんし、平均1万円前後で入手したものですから、大半が贋作・模倣・偽物であるかと悟っております。

それよりも、ミステリーの謎解きが如く印を手に取って想像し、ネットで調べて由来を探るのがお金に変えられない愉しみなのであります。
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来年はブログを止めるか

2022年12月26日 | 雑感
今年もわずかになって、そろそろ来年に向かっての計画や目標を立てねばと思います。今年はコロナに翻弄され、自治会の仕事に追われ、結婚式、倅の自宅購入などめでたい事や身内の病気など、自分の半生でもトップ3に入るほど大変な年でありました。そう考えると、今年は大して病気もせず(生活習慣病の薬は飲んでいますが)、ケガや事故、重大な腰痛なども起こさずなんとか無事であったのは何よりでありました。

さてそこで、来年の客観的条件・環境です。対外的な役回りとしては、まずは3月末をもって自治会長の任期満了であります。2年任期で持ち回りなので、これでもう死ぬまでやることは無いと思います。
横浜に住むせがれの古いマンションがワタシ名義がなので、来年度いっぱいまで管理組合の名義上は副理事長でありますが、三男に代理で任せることになっています。

氏子である神社のお祭りの「評議員」は引き続き務めることになります。これには「総代とか町代」などの役を何度か打診されていますが「固辞」しなければなりません。雑事と飲み事が多くなって大変なのです。着物に羽織とカンカン帽といういでたちの幹部をみると絶対嫌だ、と思っているのです。

加えて菩提寺の世話人の就任を打診されたのが2年前でありました。お寺の世話人というのは「お布施やら管理料、お施餓鬼など」もろもろのお金集めが主業務であります。人の金を町内を回って集めるなど真っ平御免でありました。ちょうど自治会長になったので、それを理由にやんわりお断りしたのですが、「それでは2年待ちます」と若坊さんに言われた言葉が頭の隅から離れないのです。

どうやら、お寺のお金は口座振替だか、振込に代わったらしく別の世話人からはやることはほとんどない、と言われておりますが・・・どうだか。

会社勤めを終えて、出来なかったこと前から温めていたことをやろうと思っていました。その一つがお世話になった地域への恩返し、地元への何かしらの貢献をしたいということでありました。それで評議員や自治会の理事を引き受けた次第ですが、これがとんでもない思い違いでありました。

この地域の人たちと交流したり公の立場で話をするに従って、あまりにそのギャップが大きいのに驚きました。言っていることが通じない、わからんちんの人が多く、無意味なほどマウントをとりたがるのです。会社に居た普通の同僚や取引先などにはいない人種が数多くいて、文化が全く違っているのです。

そんなことを数年やって、もうたくさん、いい勉強になりました、これ以上のお付き合いはご容赦願います。そんな気持ちでおります。一銭にもならない仕事に時間と気を使ったりした結果、不愉快極まりない思いばかりでストレスが溜まるのは不合理であります。嫌な人と無理に合わせなくても自分のことが分かってくれる仲間が大勢いるのですから、来年は出来るだけそうした接点を無くそうと決意しております。

園芸・書道・メダカ・篆刻など、好きなこと・趣味・自分の価値を高めるものに埋没したい、それが来年の願いであります。

地域の役から解放されたとしても、自分の時間を費やしていることの一つが「ブログ」であります。かれこれ4年になります。だいたい原稿用紙5.6枚分で、ほぼ毎日更新してきて最低2時間ほどをこれにかけているのです。自分の知見や経験などを披歴しつつ、文章を作ることによって、日々の時事・事象を正しく理解していくという自己研鑽にもなるので、価値はあるのです。頭の運動(ボケ対策)にもなるでしょう。

しかし、毎日約16時間ほど起きているうちの1/8をブログで費やすことの意義・効果を見直す必要があると思い始めています。この2時間があったら篆刻・書道が出来る、と考えると実に悩ましいのです。

このブログを楽しみにしている人など、おそらく数人でありましょう。1日の訪問者が100人を超えていてもほとんどの人は、何かの調べのために「ググって」偶然本ブログに辿り着いたに過ぎない、と。

今年を限りにブログを休眠しようか、と本気で考えております。

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