植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

イロハのイ 石を磨く

2022年12月21日 | 篆刻
今年もあと十日、師匠の「住所印」を最後に、頼まれた印はすべて彫り終わりました。
これから、失敗印・人の彫った印の印面をすり潰して再利用できるレベルに磨き、分別するという作業に掛かっております。

そうした印だけで千本以上あり、その半分は自分が彫った摸刻印であります。摸刻は、章法を学び篆刻の名人・作者の技法に倣って忠実に再現することで自分の目を肥やし、技を磨くのが目的であります。従って、彫ったものはとっておいても意味が無いので、よほど出来がいいものを除いて、「潰す」のであります。

また、過去2年に彫った自分用の印も、改めて見てみると未熟で粗末に見えるものばかりでした。これも彫り直し。ヤフオクで入手した刻有の印も、大半は書道や篆刻を齧った人の手になる自刻印で、見るべきものも無いのです。これらは死に石にしないで、彫り直すために一旦は「無」に戻してやるのです。

これとは別に、専門家の作品・篆刻家の依頼品が数百点ものコレクションになります。多くは書道家さんなどがお金を払って篆刻家に作印を依頼した「姓名印・雅印・遊印」で、石の側面に作者の「側款」があります。中には「酒井子遠」さんなど鬼籍に入っている名人作の文化的な価値が高いもの、帰海さん、 雨人さん、邦園さん、星卿さん、滔天さんなど現役で活躍している人の印も多数あります。下の写真が全部そうした専門家の印であります。

印面を見てほれぼれするようなものも含めて保存していて、いずれ似たような印を彫る時の参考にしよう、とか、もしかすると高値になるかなどと雑念も生じながら大事に所蔵していたのです。しかし、側款があってもちゃんとした篆刻家さんとは限らず、読み取れないものもあります。側款の無いものは、何年持っていても価値は上がりません。また、自分の篆刻の技量や「見る目」が少しづつ上がって来るに従って、これはとっとかなくていいか?という印も多くなってきました。

そこで、一年の終わりに差し掛かった今、思い切ってこうした印をすり潰し、印面を磨き来る年には、一段上の篆刻生活を送るために準備に入ろうというわけなのです。すでに、段ボールやプラスチックケースなどに無造作に詰め込んだ印材としての価値が低そうなものが500個ほどあるので、これと併せて片端から磨き始めています。



その最初の作業は、①保存版を全部見直してやはり保存すべきものは除く ②未刻印でも印面が磨かれていないものは磨く ③箱に詰め込んでいるのは、いちいち印面と側款の有無を確認する ④摸刻・練習用に彫ったもので出来のいいものは除く といったことが第一段階になります。潰して磨くものをまず分別しなければなりません。

作品展につかうような大きい印材(大体4㎝角以上)のものは、紙やすりで磨くのは、力が要り手間で時間もかかるので、電動のグラインダー扱いで後回しにします。

ワタシの仕事場にある台所は、二日前から「修羅場」化しております。

ここで水道水に浸しながら石を潰し磨くという「水研ぎ」をしているのです。最も大事なことは、印面が側面に対して垂直であることであります。これを斜めに磨くと「正方形」が長方形になり、真上から押せないので押印しにくくなります。また、4つの角が余計に減らないよう全面水平のきれいな面になるように磨くことであります。印を彫る時最終的には角を落として丸くするのですが、面自体がすり減っているものは印泥が付かないので、印字がそこだけ薄くなってしまいます。

そうならないために使う秘密兵器がこれ「篆刻バイス」です。
これに印を固定し濡れた「耐水ペーパー」を粗いものから順に3段階ほどで磨ると、水平で印面にひずみや凸凹の無いきれいな鏡面となります、というほど簡単ではありません。
硬い印材はいくら力を入れても容易に削れません。しっかり固定していても、動かす手が規則正しく印面に均等に力が加わるように丁寧に扱う必要があります。理屈では、1mmくらい出っ張った印の先の部分が無くなって、木の台座全体に及ぶまでやればいい、のでありますが、実際には木も削れるし微妙に斜めになっていたりするのです。

石印材は、腐りもせず酸化もせず風化もしません。保管すれば孫子の代までなんの変化も無いまま「仮死状態」でそこにある、でしょう。しかし、印は彫らなければただの石くれであります。死んだ状態の石に磨きをかけ、いつでも彫れる状態に再生させて初めて印材としての価値が生じます。石に命を吹き込むつもりで、心を無にし指先に神経を集中して磨く、これは篆刻そのもので、大事な基本的技術なのです。

それでは本日も石磨きに掛かりましょう。
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お笑いを目指すのは勝手だが 夢は結局夢

2022年12月20日 | 雑感
毎日1年前の自分のブログの記事がどうだった、とメールが来ます。
去年の12月19日のワタシのブログではなんと、全く昨日と全く同じ日に「初氷が張った」という内容でした。ジャガイモの収穫や鉢物の冬越しといった作業についても同様の記載がありました。

昨年に比べてワタシが成長した(学習した)のは、非耐寒性の鉢植えを3週間ほど早く、次男に頼んでほぼ終わらせていたということでした。昨年は氷が張って寒くなってから、あわてて屋内へ運んだのです。その時点で植物自体は寒さで傷んでいた、重たいものを中途半端な姿勢で運んだので自分の腰を痛めたのでした。
その反省から今年は事前に事を運び、重いものは倅が運んだので、首尾は上々というところであります。

さて、ここ数日はサッカーワールドカップのアルゼンチンの優勝と、M-1グランプリの話題がネットからニュース記事に至るまであふれかえっています。Wカップは試合内容はもはやどうでもよくて、アルゼンチンの乱痴気騒ぎ、サポーターが裸になった、やれメッシがカタールの民族衣装のショールを羽織ったなどと能天気な話が大半であります。こんなので、暴動を起こしたり命を落としたりするのはバカみたいだと思いますが。マラドーナ以来のスーパースター、メッシにとっては、夢と言うより悲願の優勝杯を手にしたのですから、喜びはひとしおであったでしょう。

一方単なるお笑いの若手の登竜門のMー1も、いまだに優勝者がひとの悪口をネタにしたとか、審査員がどうだったとか盛り上がっております。夢があって明るい話題で、お気楽でいいのだ、とは思いますが、同時にこの程度のことをいつまでも最も大きな関心事にしていていいだろうか、とも心配してしまいます。

ワタシの知ってる人間・親しい友人で家族の事などを話す人の数は、せいぜい100人かそこらでしょう。昔からの仲間であろうが同級生同僚にしても、そんなにプライベートな会話はしません。そんな数が限られた知り合いで、息子がお笑い芸人をやっている(やっていた)という人を3人知っています。これは凄い確率であろうと思います。M-1でエントリーした漫才のペアが8千組弱でしたか。実際は、そんなものではなく数万人の若者がお笑い芸人を目指したり実際に仕事としてやっていると思います。大手のよしもと興行だけで6千人が所属しているそうです。

若者に夢を持て、とは言いたいのです。しかし、お笑い芸人になれるのは宝くじに当たるようなものだとも。彼らの進んでいく夢は、浮き草稼業の典型で、口先だけで有名になって金儲けが出来るのだ、という安直にしてムシのいい幻想にとらわれていると思わざるを得ないのです。これはユーチューバーなども同類で、ろくに勉強や努力もせず、うわべだけの思い付きや小手先で大金を掴もうとしているように見えるのです。

実際、テレビや舞台で活動できる芸人・漫才師はわずかでありましょう。それですら、お笑い番組は減り、著名なタレントやお笑いがひな壇に座って、面白くもない楽屋話に手を叩く、というような下らぬ番組に出るのが夢というのはなんとも哀れな人生であると感じます。

そんな芸を磨いたり披露するような場所に呼ばれもしない大多数は、居酒屋のバイトみたいなことで生活費を稼ぐことになっているのでしょう。ワタシの高校時代の友人の息子さんの一人は、10年ほど前に見切りをつけ結婚を機に田舎に戻ったそうであります。結婚式に「ハライチ」が来てくれたと自慢していましたが。
もう一人京大工学部に行った優秀な同級生O君の息子さんも今年、お笑い芸人の夢を断念し営業職を目指して、車の免許を取りに行っているとか。30才越えてから大した学歴・職歴もなく車庫入れすらできない人に、生活に十分な仕事が簡単に見つかるというような社会環境ではないのが心配です。

コンビニの店長の息子は、普段からおかまのような身なりで、「マツコデラックス」あたりを意識しているのかもしれません。数年前に「よしもと興行」に入った、と店長は嬉しそうに話していました。勉強嫌いでまともに学校に行かず、30才すぎまで親の経営するコンビニの店員をしていた人間が、よしもとに多少の月謝を払ったくらいで稼げるなら世の中誰も苦労しないと思います。

高校生のあたりから、そんな芸人や歌手を夢見て、人生で一番大事な時期にすべき勉強や辛抱・社会経験を経ずして、夜昼逆転みたいな生活に浸る、そんな若い人たちが多いのでしょうか。正規雇用のきちんとした仕事にありついて、結婚し家庭を築く、などといった当たり前の人生が待っていると良いのですが。

夢を買うのだそうです。年末ジャンボ宝くじが盛んにCMに出ています。ワタシの知っている1等は3億円でしたが、いつのまにか10億円になっております。過去30年みんなの実質所得は減っているのに、電気料、学校の授業料や特殊詐欺の被害額などは増える一方であります。数十万人に一人しか当選しないのに、自分が当たりくじを引くかもしれないと、「なけなし」の1万札をつっこむのだそうです。そう人に限って貧乏くじしか当たらないのに。

そんなのは単なる「夢」
夢は実現できないから夢、目が覚めると現実しか待っていないのに。
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師走で、年寄りのワタシも走る

2022年12月19日 | 植物
昨日は新潟に住む長男から初雪の写真が送られてきました。こちらと違って降り始めるとあっという間に積もって雪景色になるという土地柄であります。
温暖でなる当地平塚でも、今朝はマイガーデンに霜柱が立っておりました。バケツなどには薄氷が張っていました。恒例のM-1グランプリが終わると、すぐにXmas、お正月がやってきます。毎年この時期に寒くなり、ガーデニングは新たな局面を迎えます。

非耐寒性の植物の鉢は、今月初旬に倅に頼んで、室内へ格納いたしました。その後もぽつぽつしまい忘れた鉢を見つけては廊下に運び込んでおり、ほぼすべての寒がりの植物は冬越しの準備を終えました。廊下の蟹しゃぼ(デンマークカクタス、カニバサボテン)が見ごろであります。 


畑では、南方系の野菜じゃがいもは霜に当たると茎が萎れ、葉が枯れるので収穫期になります。午後には堀り上げねばなるまいと思います。
柑橘ではもう「柚」が黄色くなっていて、とっくに収穫しなければならなかったのですが、忙しさに取り紛れて、半分以上が残っています。
ブドウやバラの剪定は、一月の最も寒い時期に行うのでまだ大丈夫ですが、その前に伸びすぎた「桑」は大きく剪定しなければなりません。ほおっておくとどんどん上に伸び広がるので、マルベリーの実を収穫するのが困難になります。少なくとも手が届く高さまで切り詰めるのです。


師走とはよく言ったものであります。忙しくてやることだらけなのです。昨日はやっと着手した仕事場の片付けの合間に、お土産を届けに二人の息子が訪ねてきました。書道の師のために住所印を彫ったりしながら、10個以上あるメダカプールうち数個の水を替えました。夕方には神社の氏子による御神輿のメンバーが集まって最後の会議と忘年会に出てきました。

今日はこのブログの前にゴミ出し、終われば行きつけのクリニックで薬を貰い、ジャガイモを掘り、ハンコを彫り、午後は二件ばかり宅配便を受け取ります。そうだ、1件宅配便を出すのでした。明日はマッサージの予約日、金曜日には書道教室の稽古納でランチがあります。自治会行事では、暮の防犯・防火の夜回りと平塚競輪グランプリの招待に出席する予定です。なにせ藤原紀香さんが来るらしいのです(笑)。


あぁ忙しい

というわけで本日はまとまって有用な情報発信するだけのゆとりがなく手抜きで終わりとなります(毎度の事でしたか(笑))
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紐に関しては来年の干支「癸卯」の出番はない

2022年12月18日 | 篆刻
ワタシが篆刻に夢中になり始めた頃、ヤフオクで多くの印材を集めました。そこで一番気になったのが持ち手側(印の上部)の彫りでありました。単なる方形の石材より、細密な飾りがある石は、それだけで品格が備わったり、石本来の姿かたちを更に美しく浮きだたせるものだと感じました。これを「紐(ちゅう)」と呼びます。

まずこれは鼠であります。「紐」はこの鼠がその発祥だから「ちゅう」と呼ばれるようになったというのは程度の低いジョークでありました(笑)。実はこれは石そのものが得難い石の一つ「牛角凍」に近似しているので入手したものです。鼠なのに牛角というのが面白いのです。

というわけで、本日は手持ち印の紐を紹介いたします。第一回目はそのバリエーションをざっとお見せしようと思いますので、コレクションとして価値の高い特別な細工の紐という趣旨はありません。闇雲に集めているうちに紐付きの石がこんなになっていますが、ほぼ全てが機械で大量生産される最近のものです。


いつが起源ははっきりしませんが、古代、紀元前後頃から身分のはっきりした人は印を携行したようです。印を首から下げたりするために紐を通す穴をあけたことが起こりだと言われています。単なる洞が少し変化して丸く盛り上がった鼻の形になり更に瓦紐や橋紐と変化しました。


その後、漢の時代になったあたりから、官位など身分によってその様式やデザインが厳格に定められたようです。恐らくその頃には、書道家や篆刻家の手から離れて専門の「紐彫職人」が現れ、その細密かつ高雅な紐を彫る腕を競ったのだろうと思います。

さて、その紐には多彩な種類に分かれています。昆虫などを含む動物、想像上の怪物、植物、僧侶などの人物など形あるもののほとんどが「紐」になっております。しかし、その大半は「獅子紐」であります。獅子と言ってもライオンではなく、神社の狛犬みたいな獅子であります。稀に虎もありますが、そもそも獅子も虎も中国に出没していたわけではなく、もっぱら宗教的あるいは象徴的な存在として重宝がられていたのです。次に多いのが「龍」でこれも天子を象り空に向かって昇る空想上の昇竜をモチーフにしたのです。

下の写真は「唐獅子と龍」であります。なんか昔の東映やくざ映画みたいですが(笑)



一番下の石は「値段」が入っておりましたので隠しております。(想像にお任せします) 右側の獅子紐には尊敬する大家「徐三庚」先生の側款がありますが、本物か否かはいまだ不明であります。詳細はこちらです。

動物系では、例えば12支も多く彫られますが、中国では、印はそもそも数十年に渡って使用されるのでその年の干支にちなんでという考えは無かったのでしょう。干支を揃いの箱で売られているものもありますが、ほとんどは近年の品物であります。来年の干支「卯・ウサギ」など、4千個ほどある中で、ちょっと探しても2個しか見つかりませんでした。

兎や鼠などは、下賎な庶民の世界の動物であって、高潔な僧侶、権威ある書道家・官僚には全く見向きもされなかったのでしょう。中国では兎は食用にしか見られていなかったのか、紐では人気はありません。

これに少しですが人物紐も作られています。

これらは、紐の出来や技術はおいといて、印を使用する側の職業的な意趣が反映しているものとみていいでしょう。

こちらはワタシのお気に入りの紐象の彫りであります。


冒頭の方で上げている夥しい石材は、おそらくそのほとんどが中国人の学生アルバイト・パート主婦などが、マニュアルに書かれたとおりに電動ドリルで穴を穿ち丸く削るという「流れ作業」で工場生産されるものです。切り出した角材に若干の付加価値をつけ、それでいくらか高く売れるのでしょう。そんなことに気づいてからは、流石にこの手の紐付き印材には興味が持てなくなりましたが。

印材を集めるに従って、だんだんその法則も理解してきました。安物の石・駄石には立派な紐は彫られない、磨いて光る美材にこそ紐職人の製作意欲が湧くのです。紐の名人と言われる「手彫りで丁寧な細工を施した石は、自ずと品格が備わり石の持つ美しさを極限にまで高めるということであります。古来から、愛好家蒐集家は、銘品と言われる印材を手に取って愛玩してきたものです。

素晴らしい紐彫の石を持つと、思わずチューしたくなるのであります(爆笑)
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良識ある日本国民の責任ですか そうですか

2022年12月17日 | 時事
岸田政権は、もはや断末魔というか破れかぶれになってきたようでありますな。①ウクライナ情勢やら、北朝鮮の脅威などにかんがみ防衛費を大幅に積み増しする ②防衛費は国債(借金)で賄うような筋合いのものではない ③今の国民の責任で解決すべき ④貧乏人や見た目で負担がかからないように、奢侈税やら儲かっている法人所得税、復興税などから調達する、といった趣旨でまことに唐突にしかも拙速に事を運ぼうとしております。

選挙公約にも施政演説にもなかった防衛費増額と増税のセットは、「おまいら国民が自民党を選んでいるのだから、その自民党政権が何をやろうが、国民の責任だろう」という姿勢が前面に出てきたわけであります。

今までだって税収の不足分や返還すべき国債の償還財源をお構いなしに国債を発行してきました。たびたび消費税を引き上げ、社会保障費(年金)まで削減していながら膨らんでいる1000兆円という借入は、どこに消えたのか?。ここはすでにして拙分で触れておりましたので省きましょう。20兆円と言われる使途を開示しない(国会・予算の埒外)コロナ対策金を好きなように使って、財政規律をぶっ壊したのは先生方ですよ。

超低利なので国内では日銀しか引き受けない、円安進行の為外国投資家も含み損を恐れて手を引いたのであります。

これによって国が借金しようにもやりようがなくなったのです。民間企業で言えば明らかな債務超過であります。自転車操業が行き詰ったと言えるのです。ここ40年間無分別に借り入れを増やし、その金をすきなように空費した結果でありましょう。積極財政派の先生や提灯学者・マスコミが、挙って日銀の引き受け(国債と言う資産が増える)るのと国の借り入れ残が増えるのだから、足せばプラマイゼロなどという絵空事を得々としゃべっておりました。しかし国債を引き受ける代わりに日銀券(万札)を際限なく発行するということは、間違いなくハイパーインフレの原因になります。すでにその萌芽が現れております。給料や年金は増えず、猛烈なインフレ(モノの値段が上がる)になったとき、庶民は飢えて凍えるのであります。

一方で引き受けた国債は、他国の金利引き上げによってどんどん含み損が出始め急速に膨らんで数兆円に達しています。これは直接には何の影響もありませんが、日本中の金融機関の流動性を集中させて金利とマネーサプライ(市中に出回る現預金の流量)を管理している政府の銀行(安倍さんは子会社と呼びました。)の財務内容が悪化し、日本経済や日本政府の信用度が下がっていき、更に円を売られる=円安になる=輸入品が高くなり物価を押し上げるという悪循環になっていくのです(←今ココ)

そこで、もはや日銀は、これ以上国債は引き受け出来ないとなったのです。勿論財務省は先刻承知なので、岸田さんに「防衛費を増やしたかったら増税しかありませんよ」と言われたのでしょう。
では、何故防衛費を上げることになったのか、それは防衛族がロシアの暴虐に乗じて、この時しかないと腰を上げたのでしょう。そしてもう一つ、安倍総理の時もそうであったように、アメリカからもっと武器を買えと圧力をかけられているのです。アメリカとしたら、有事の時に日本に代わって戦争するより、自国の武器を売りつけた日本が、初期的な盾になってくれるのですからなんとしてでも日本の防衛予算を増やせと言ってくるでしょう。

例えば、河野元防衛大臣がイージス艦による「イージス・アショア」計画を中止したことを根に持ってたのです。このアメリカ製の新型迎撃ミサイルシステムはロシアや北朝鮮から核ミサイルが飛んできたときに迎撃できます、というのがウリです。しかし、こんなもので短時間に正確に大陸間弾道弾を打ち落とせるとは思えません。何億円もするロシア戦車が、安いドローンで簡単に爆破されるのが現実であります。

そして、今の日本を守るのには「防衛力の抜本強化し、安保政策の大転換をする。そのためには(借金でなく)責任ある財源を考えるべきであり、今を生きる国民が自らの責任としてその重みを背負って対応すべき」とぶったのであります。つまり、ここにきて従来の安保体制は不十分、大幅に軍備を増やす、そのために将来に負担を回す(国債)のではなく、今いる日本人が責任もって防衛費を負担して貰います、という事です。 

防衛の強化というのは国を守るうえで欠かせないものではありますが、そこで自衛隊と憲法第9条「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」という不戦の誓いとの整合性はとれるのでしょうか?
湾岸戦争やらアフガニスタン戦争という大規模な紛争の時、一発の弾も打たず、交戦中の地域にいたかどうかだけでおおもめしたではないですか。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣していた自衛隊の「日報隠し」を政府、稲田防衛大臣はそれに加担しました。

こんな自衛隊のあやふやな立ち位置、法的根拠のないまま、軍備や防衛能力を強化した時、ロシアや中国は、アメリカの属国として敵対姿勢を強めていると非難し、軍事行動の引き金になりかねない、しかももっとも敵性国家に近く領海を接しているのですよ。
更に、自衛隊を容認するとして、オペレーションの増加に対応する兵員は増員するの?。その先には死刑囚を傭兵として雇う、さらにもう兵役始めるしかないか、など極端に振り子が触れていくのを止められなくなるのではなどと懸念するのです

岸田さんが唱えていたという「今生きている国民」がいつの間にか「我々が自らの責任として」に訂正であります。我々っていったい誰のことを指すのでしょうか?。もし政府・自民党・官僚の事を言うなら、あなた方が身を切って国民には負担をかけません、と言うべきであります。いったん口に出したことを容易く変えるのは最近の自民党の正体を表しております。

あのディックヘッド甘利明さんは「賢明な国民ならばわかってくれる」と言っております。自民党や政府・公務員のあなたがたは賢明で、馬鹿な国民は「どうせわからないだろうから」勝手に反対していろ、と言い放っているのです。
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