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3月まで直属の部下だったマダム。
ワタクシより5歳年上で、評判の美人、素敵なご主人とご子息がいて、気立てがよくて、機転が利いて人気者だったマダム。
4年間毎日一緒にいても楽しくて、笑いが絶えなくて。
仕事も一生懸命!遊びも全力投球!
公私ともに家族ぐるみで仲良くて、大切な友達であり、人生のセンパイでもあったマダム。
マダムの周りにはいつもみんなの笑顔が。
マダムのアイデアをワタクシが形に。何度も社内社長賞をいただき、業界賞もとりました。
すべてマダムの感性から生まれたものでした。
2015年1月、マダムは初期の乳がんが発覚しました。
抗がん剤でウィッグになっても、手術をした翌日でも、放射線に1ケ月通っても、
いつも笑顔で「会社の皆さん、病院のスタッフ、家族のおかげで十分に治療できています。ありがたいです」と
感謝していた心の美しいマダム。
いったんの治療が終わって、経過は順調!4月からワタクシは別の部署に。マダムはそのままの部署で。
いつかまた大きな仕事を、この異端児ペアでやらかしてやりましょう!と笑いあって別れました。
4月上旬にマダムが急性心不全で倒れたとご家族から連絡が。
ICUに入院してからも、毎日メールをくれたから、バカ話と「早く退院して!」と返信。
20日に危篤との連絡があり病院にかけつけると、意識ははっきりしながらも、息があがった状態で。
「ちょっとつらいと思うけど、すぐによくなるよ!GWに約束していた箱根温泉がちょっと延びちゃうね」と言ったら
「夏休み・・・・ですね・・・」と手を握り返してくれて。
「早く会社に行きたいです・・・ご迷惑かけてばっかりで・・・」と。
これが最後の会話でした。
5月1日、天国に旅立ちました。
闘病していた病気ではなく、別の病気でさようならなんて・・・
毎日マダムの自宅に行き、相変わらず美しい、眠ったままのマダムを前に、涙さえでてこない。
「そろそろ起きましょう、もう十分に寝たでしょう」と話しかけると「ごめんなさーい」と目を開けてくれそう。
でも、マダムは寝たまま。
やわらかいほっぺたをつっついてみても知らん顔されて
「もう、マダムったら」と苦笑いのワタクシにすがって泣く社会人2年生の長男さんと、大学生の次男さん。
「おかしいね、おかしいよ、こんなの認められないよね」って言うと
「KIYOさんが呼んでくれた起きるかも!もう一回呼んでみて!」と。
泣きながら3人でいくら呼んでも微笑んだままのマダム。
「ありがとう」なんて、まだ言えない。
ごめんね、マダム。力になれなくて。何もお返しできなくて。
「KIYOさんの部下になれて、私は幸せ者」っていつも言ってくれていた。
違うよ、幸せなのはワタクシです。マダムの笑顔に守られて、支えられて。
ご主人から会社としての葬儀委員長をお願いされました。
こんな形でマダムの人生最後のイベントを仕切るなんて、今も信じられない。
でも、がんばるね。マダムをしっかりお送りします。
ひまわりのようなマダム。
マダムの笑顔は決して忘れない。忘れられない。
みんなあなたが大好きです。
ワタクシより5歳年上で、評判の美人、素敵なご主人とご子息がいて、気立てがよくて、機転が利いて人気者だったマダム。
4年間毎日一緒にいても楽しくて、笑いが絶えなくて。
仕事も一生懸命!遊びも全力投球!
公私ともに家族ぐるみで仲良くて、大切な友達であり、人生のセンパイでもあったマダム。
マダムの周りにはいつもみんなの笑顔が。
マダムのアイデアをワタクシが形に。何度も社内社長賞をいただき、業界賞もとりました。
すべてマダムの感性から生まれたものでした。
2015年1月、マダムは初期の乳がんが発覚しました。
抗がん剤でウィッグになっても、手術をした翌日でも、放射線に1ケ月通っても、
いつも笑顔で「会社の皆さん、病院のスタッフ、家族のおかげで十分に治療できています。ありがたいです」と
感謝していた心の美しいマダム。
いったんの治療が終わって、経過は順調!4月からワタクシは別の部署に。マダムはそのままの部署で。
いつかまた大きな仕事を、この異端児ペアでやらかしてやりましょう!と笑いあって別れました。
4月上旬にマダムが急性心不全で倒れたとご家族から連絡が。
ICUに入院してからも、毎日メールをくれたから、バカ話と「早く退院して!」と返信。
20日に危篤との連絡があり病院にかけつけると、意識ははっきりしながらも、息があがった状態で。
「ちょっとつらいと思うけど、すぐによくなるよ!GWに約束していた箱根温泉がちょっと延びちゃうね」と言ったら
「夏休み・・・・ですね・・・」と手を握り返してくれて。
「早く会社に行きたいです・・・ご迷惑かけてばっかりで・・・」と。
これが最後の会話でした。
5月1日、天国に旅立ちました。
闘病していた病気ではなく、別の病気でさようならなんて・・・
毎日マダムの自宅に行き、相変わらず美しい、眠ったままのマダムを前に、涙さえでてこない。
「そろそろ起きましょう、もう十分に寝たでしょう」と話しかけると「ごめんなさーい」と目を開けてくれそう。
でも、マダムは寝たまま。
やわらかいほっぺたをつっついてみても知らん顔されて
「もう、マダムったら」と苦笑いのワタクシにすがって泣く社会人2年生の長男さんと、大学生の次男さん。
「おかしいね、おかしいよ、こんなの認められないよね」って言うと
「KIYOさんが呼んでくれた起きるかも!もう一回呼んでみて!」と。
泣きながら3人でいくら呼んでも微笑んだままのマダム。
「ありがとう」なんて、まだ言えない。
ごめんね、マダム。力になれなくて。何もお返しできなくて。
「KIYOさんの部下になれて、私は幸せ者」っていつも言ってくれていた。
違うよ、幸せなのはワタクシです。マダムの笑顔に守られて、支えられて。
ご主人から会社としての葬儀委員長をお願いされました。
こんな形でマダムの人生最後のイベントを仕切るなんて、今も信じられない。
でも、がんばるね。マダムをしっかりお送りします。
ひまわりのようなマダム。
マダムの笑顔は決して忘れない。忘れられない。
みんなあなたが大好きです。
KIYOさま、またランチご一緒してくださいね!
抜けるような青空の下、旅立たれました。
マダムらしく、通夜、告別式とたくさんの、本当にたくさんのご弔問客がいらっしゃいました。
ぜひぜひ、よろしくお願いいたします!
お土産の粉あります、粉が!!