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◎超拡散宜しく《令和元年5月11日、靖國神社前の路上で最期を遂げられた沼山光洋さんの死を「遺書」と受けとめ、心よりご冥福を御祈り致します》

2019-05-19 09:19:08 | 水間条項国益最前線ー水間政憲氏ブログ
◎超拡散宜しく《令和元年5月11日、靖國神社前の路上で最期を遂げられた沼山光洋さんの死を「遺書」と受けとめ、心よりご冥福を御祈り致します》 - 【水間条項ー国益最前線ジャーナリスト水間政憲のブログです。】

◎超拡散宜しく《令和元年5月11日、靖國神社前の路上で最期を遂げられた沼山光洋さんの死を「遺書」と受けとめ、心よりご冥福を御祈り致します》


■靖國會の沼山光洋さんとは、
北京オリンピックの長野市で行われた聖火リレーのとき、
傍若無人に暴れていた中国人グループに立ち向かっていた“勇姿”が
今も目に焼きついております。

「保守言論人」と名乗っていても、実際、靖國神社を参拝している方は稀であり、
長野市で行われた聖火リレーに中国人が集結する危険性が叫ばれていても、
実際に長野市を訪れた「保守言論人」もまた稀だったのです。

小生は「法と証拠」を原点に言論活動をしている手前、
現場主義を大事にしており当然中国人の破廉恥な姿を現認するため、
当日、善光寺を参拝したあと、聖火リレーを見物するため市中を散策しておりました。

その現場での一触即発の険悪な状況は、
長野市内至るところで小競り合いが勃発しており、
小生も中国人女性からハンヒールで蹴られたり、
いっしょに行動していた北海道新聞の女性記者は、
背中を「どつかれ」警察に被害届を提出していたのです。
この件に関しては、松原仁衆議院議員に情報を提供し、
衆議院外務委員会で取り上げていただきましたので議事録に記録として残っております。

その小競り合いでも、沼山光洋さんの“勇姿”は記憶に残るほど立派だったのです。

それ以来、靖國神社の恒例祭などでお会いする機会が度々あり、
その都度、短い会話を交わしておりました。

沼山さんをご存知の皆様方も共通の認識だと思われますが、
ことば少なくいつもニコニコ笑顔を絶さず朴訥な人柄の好青年でした。

最期の日も、靖國神社を御守りするための日課として深夜2時頃、
靖國神社を見廻りに出かけていたとのことでした。

烈士沼山光洋さんの最期の「遺書」(御言葉)の中から、
今後の保守活動(礼儀)の指針になることを紹介させていただきます。

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■ 新時代令和を迎えて天皇陛下・皇后陛下には心より皇室の弥栄を御祈念申し上げます。

平成の御代に御親拝賜れなかったこと天皇陛下、御祭神の皆様に
大変申し訳なくお詫びの言葉もありません。
―――皆様からま心をお預かりして平成二十九年全国護國神社巡拝、
平成三十年は九月末から十二月末まで和田倉噴水公園脇で宮内庁職員に
「天皇陛下靖國神社御親拝祈願」の幕を持って
朝のご挨拶を毎朝させていただきました。
―――御親拝を願っている日本人がいることが上層部に伝わることを願いました。
―――結果はこのような結果ですが、師走に入って寒くなって来た頃に
宮内庁職員の方から「毎日ご苦労様」とカイロを差し入れていただきました。
二回頂戴いたしました。
今でも大切にとってあります。
―――本日五月十一日は第五筑波隊の皆様、西田高光命のご命日である。
―――新時代令和の幕開けで祝賀一色なのは
理解できるしそうあるべきであると思うが、
御親拝がなかったことに対しての報道は一切なかった。
―――悠仁親王殿下御降臨は日本人の祈りが天に届き奇跡という必然を招いた。
御誕生した瞬間にそれまで活発であった女性・女系天皇論者が影を潜めた。
―――昭和天皇 御祭神 松平永芳宮司を侮辱する「富田メモ」
何より残念だったのは現役神職が「富田メモ」を信じ、
昭和天皇、御祭神である昭和殉難者、松平永芳宮司を侮辱して憚らないことです。
―――松平宮司は「忠」の人である。
禁闕(きんけつ)守護の一念、海軍出身であったが、
いざという時海の上にいたのでは皇居に駆けつけられないと
陸上自衛隊に鞍替えしたと聞いている。その尊王心の塊のような松平宮司を死後、
昭和天皇を御不快にさせた宮司として誹謗中傷する富田メモを信じるというのは、
繰り返し残念で悲しい。
―――御親拝中断の元凶は昭和五十年十一月二十日
第76回内閣委員会が原因である。
―――政治は売国政策を積み重ねている。
―――愛国団体は靖靖國神社・護國神社で日本人の手本たれ
愛国団体の皆様には、靖國神社・護國神社で日本人の手本となっていただけるよう
切にお願い申し上げます。
―――参拝作法もですが、衛士の皆様、清掃の皆様に
「ご苦労様」の一声をお願いしたいと思います。
同じように制服警官、消防官にも日常的に「ご苦労様」の一声をお願いしたく存じます。
―――平成の御世で御親拝賜らなかったということは
令和で御親拝賜る可能性も低いでしょう。
―――西田高光命の言葉「学鷲は一応インテリです。
そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、
そのあとはどうなるのです・・・おわかりでしょう。
われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人にもつながっていますよ。
そう、民族の誇りに・・・」との言葉を残した。
―――日本人の「誇り」のために我が身を捧げる、
散華すると明言していることに感動を覚えました。
―――忘れないこと、語り継ぐことこそ今を生かされている
日本人の務めだと思います。
平成の三十年間に御親拝を賜らなかった今、今後難しいと思います。
時間の経過と共に昭和天皇が御親拝出来なくなった事実がどこまでも歪められ、
靖國神社の御祭神の生命の意義が忘れ去られたときに
民族の「誇り」は消え去るでしょう。
―――どうか皆様、良識ある日本人として靖國神社に鎮まる
御祭神・忠霊の生命の意義を正しく後世に紡いで行きましょう。
―――長々と泣き言、負け惜しみを連ねました。
人間にとって最大の病は絶望と言いますが、ならば希望は最高の良薬の筈です。
新時代令和を元気に明るく希望を持って皇室の弥栄、
民族の誇りを守る為に邁進いたしましょう。


天皇陛下萬歳


我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき
                    明治七年一月二十七日御製


皇紀二千六百七十九年

令和元年五月十一日 

沼山光洋

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原文は長文ですが【靖國會 沼山光洋氏の残した最期の御言葉】は下記のURLでご覧いただけます。
https://drive.google.com/file/d/1FauaLVNkbbU7BT34Zamy2nVnSfmwAcVA/view?usp=sharing

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沼山光洋さんが命懸けで御親拝を願っていたことと併せて、
靖國神社がかかえている問題点に興味のある方は、
昨年10月末に靖國神社を退任された
小堀邦夫前宮司著【靖國神社宮司、退任始末】(平成30年11月29日発行、日本伝習所)を、
併せてご一読ください。

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