銀の人魚の海

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平幹二朗の母

2016-11-18 | 日本~映画 TV DVD 芸能人など
3年前くらいに書いた、NHK平幹二朗の歴史、再見した。
また少し追記。
祖父母は広島生まれ、106年前に初めハワイへ移住、サトウキビ畑で働く。
その後、カナダへ渡り民宿を経営する。
平幹二朗母は、14歳くらいで母をカナダで亡くす。
民宿のその建物が、まだ残っている!
地震がない国だからか。
まだ使えていた。
平の母は、S八年、父をカナダへ残し、たった一人で広島へ帰国する。
23歳で結婚するが、平幹二朗が生まれ、わずか九ヶ月の時、父はチフスで死亡する。
母もカナダで十代でなくし、夫まで結婚すぐ亡くす不幸には言葉がない。

夫の死から、平幹二朗を親類に預け必死で働く母。
広島で被爆したが、ビルの影にいたので幸運にも死なずに
帰れ、何日か経ち息子と劇的な再会を果たす。

その後、母が学校の事務をしている時、進駐軍が来て英語で質問するが、誰もわからない。
平幹二朗の母はカナダで覚えた英語で、会話ができ、その縁で、
渋谷のワシントンハイツの家政婦さんだったか?働き口を得、上京する。

平幹二朗、俳優の道へ進むのを、母は働きつつ見守り続けた。
赤羽の団地に二人で暮らし、彼が順調に仕事を得て、母もやっと、のんびり息子を見る生活へ。

その母は、H二年4月に八十でなくなるが、平幹二朗はその時、大阪で仕事で死に目には会えなかった。
父も一歳前に亡くなり顔もしらない平幹二朗は、母の最後にも会えなかった。

彼は37歳で佐久間良子と結婚、平岳大、と娘の双子がうまれる。

岳大は初めはサラリーマンだったが、どういう理由か俳優へ。
H12年、離婚した父母と3人で初舞台にたった。
平幹二朗も波瀾の人生だが、彼の母の波瀾には驚いてしまう。
気丈で、賢く、被爆の偏見も乗り越え、息子を守り生きてきたのだろう。
想像だが、子供がいて、被爆地にいた過去で再婚はできなかったと思う。
二回見て、平幹二朗より母の一生を想った番組だった。

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