NHKETV、原発に一番近い病院 ある老医師の二千日。
昨年末に火事で亡くなった医師のドキュメント。
昨年十月の撮影。
福島、双葉郡広野町、八十年に開業した地域の高野病院は、
第一原発から22キロに位置する。
81歳になる院長である高野医師は、ここで地域医療に取り組もうと開業した。
元は精神科医。
原発事故前は近くに六つの病院があったが、
事故のためすべて閉鎖、高野病院がすべての患者を診ることになった。
重い患者は県立医大など大きな病院へ搬送していた。
原発事故時、入院患者の避難指示がでても彼は拒否した。
それに対しては避難轟々もあったが、考えを通した。
その時の気持ちをたんたんと語る。
避難拒否選択で一人の死者もださなかった。
病院は少し高台にあり、津波は逃れたこともある。
老人、重い患者が多く到底移動に耐えられないと思った判断だろう。
他の病院では移動のバスの中で亡くなったり、
移動後の病院で亡くなった方も多数いる。
事故後も高野病院は診療を続けるが、常勤医師が彼一人になってしまう。
ナースも次々辞めて行く。
昨年末、病院の隣にある院長宅から出火!
夜、十時半過ぎの火事で院長は亡くなった。死因は焼死。
妻はもうなく一人暮らしだった。
社会福祉士資格などを持つ娘が、病院の事務長のようなことを担当していた。
毎年カレンダー、311には、「事故」と書いてきた。
六年になろうとする年末の火事での高野医師の焼死は、
長年彼に診てもらっていた患者にとって、衝撃だったろう。
このドキュメント放映は秋、声も小さく、疲れているように感じられた。
地域にはこの病院しかないので、多数の原発作業員も診察にやってきていた。
いろいろな科を診ることになる。
患者は多いが常勤務医師が、一人では、あまりに少なすぎる。
心労、疲れからか院長は歩行ふらつきも見られた。
喫煙映像もあり、火事は推測だが、寝タバコかもしれない。
どれほど、おつかれだったろう。
原発事故さえなければ、まだまだ普通に診療できていた病院。
震災後、退院した患者は289人。
県に常勤医を探して欲しいと希望したが、簡単には無理のようだった。
六年近く、すべて引き受け多数の患者を診て、
お疲れ様、ご苦労様。どうか、ゆっくりお休みください。
これを、書いた後、新聞のひと、欄に3月まで引き継ぐ医師が載った。
高野病院の公募を知り、すぐに応募した医師は
36歳、横浜育ち、都、駒込病院の非常勤医師、4月からは郡山市病院勤務が
決まっている。支援に入る、医師、ナースなどと乗り切りたい。
4月からの後任探しも動く、とある。
福島の医療の現実を見るドキュメントだった。
みなさん、お元気で地元の医療を支えてください。
四日のネットに、追記、常勤医が二名確保されたそうで、良かった!
昨年末に火事で亡くなった医師のドキュメント。
昨年十月の撮影。
福島、双葉郡広野町、八十年に開業した地域の高野病院は、
第一原発から22キロに位置する。
81歳になる院長である高野医師は、ここで地域医療に取り組もうと開業した。
元は精神科医。
原発事故前は近くに六つの病院があったが、
事故のためすべて閉鎖、高野病院がすべての患者を診ることになった。
重い患者は県立医大など大きな病院へ搬送していた。
原発事故時、入院患者の避難指示がでても彼は拒否した。
それに対しては避難轟々もあったが、考えを通した。
その時の気持ちをたんたんと語る。
避難拒否選択で一人の死者もださなかった。
病院は少し高台にあり、津波は逃れたこともある。
老人、重い患者が多く到底移動に耐えられないと思った判断だろう。
他の病院では移動のバスの中で亡くなったり、
移動後の病院で亡くなった方も多数いる。
事故後も高野病院は診療を続けるが、常勤医師が彼一人になってしまう。
ナースも次々辞めて行く。
昨年末、病院の隣にある院長宅から出火!

夜、十時半過ぎの火事で院長は亡くなった。死因は焼死。
妻はもうなく一人暮らしだった。
社会福祉士資格などを持つ娘が、病院の事務長のようなことを担当していた。
毎年カレンダー、311には、「事故」と書いてきた。
六年になろうとする年末の火事での高野医師の焼死は、
長年彼に診てもらっていた患者にとって、衝撃だったろう。
このドキュメント放映は秋、声も小さく、疲れているように感じられた。
地域にはこの病院しかないので、多数の原発作業員も診察にやってきていた。
いろいろな科を診ることになる。
患者は多いが常勤務医師が、一人では、あまりに少なすぎる。
心労、疲れからか院長は歩行ふらつきも見られた。
喫煙映像もあり、火事は推測だが、寝タバコかもしれない。
どれほど、おつかれだったろう。
原発事故さえなければ、まだまだ普通に診療できていた病院。
震災後、退院した患者は289人。
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県に常勤医を探して欲しいと希望したが、簡単には無理のようだった。
六年近く、すべて引き受け多数の患者を診て、
お疲れ様、ご苦労様。どうか、ゆっくりお休みください。
これを、書いた後、新聞のひと、欄に3月まで引き継ぐ医師が載った。
高野病院の公募を知り、すぐに応募した医師は
36歳、横浜育ち、都、駒込病院の非常勤医師、4月からは郡山市病院勤務が
決まっている。支援に入る、医師、ナースなどと乗り切りたい。
4月からの後任探しも動く、とある。
福島の医療の現実を見るドキュメントだった。
みなさん、お元気で地元の医療を支えてください。
四日のネットに、追記、常勤医が二名確保されたそうで、良かった!
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