私の疑問。私は私であるのか。
ゲーデルの定理は自己言及に当たり否定も肯定も出来ないと言う限界を示す。
それでも、私は私なのだという感覚は、無矛盾の理論を積み上げて出来ることではない。
その上位の精神があって初めて私は私であると認めることが出来る。
そして、AI。
AIは人間が積み上げた理論の上にしかない。したがってゲーデルが示した限界点を
必ず持ってしまう。ということは”我思う故に我あり”と言えるけれど、そう感じる
ことができないということになる。
そして、私。
私は私が私であると実感していない。私は誰かの夢想のなかにしか存在しないのでは
ないかといつも感じている。
私は量子的な存在なのだろうか。
それとも、ただの幻覚なのだろうか。
または、実存しているのだろうか。
ペンローズが述べるマイクロチューブルの中に量子的な存在として意識があると
するならば私は確率論的に存在するのだろうか。
これは正しい感覚なのだろうか。
ゲーデルの定理は自己言及に当たり否定も肯定も出来ないと言う限界を示す。
それでも、私は私なのだという感覚は、無矛盾の理論を積み上げて出来ることではない。
その上位の精神があって初めて私は私であると認めることが出来る。
そして、AI。
AIは人間が積み上げた理論の上にしかない。したがってゲーデルが示した限界点を
必ず持ってしまう。ということは”我思う故に我あり”と言えるけれど、そう感じる
ことができないということになる。
そして、私。
私は私が私であると実感していない。私は誰かの夢想のなかにしか存在しないのでは
ないかといつも感じている。
私は量子的な存在なのだろうか。
それとも、ただの幻覚なのだろうか。
または、実存しているのだろうか。
ペンローズが述べるマイクロチューブルの中に量子的な存在として意識があると
するならば私は確率論的に存在するのだろうか。
これは正しい感覚なのだろうか。
確率論的に存在する・・ということをイメージするのは難しいですよね。イーガンの「宇宙消失」のような可能性のパラレルワールド的な存在をイメージすればいいのか?というとなんだかちょっと違う感じがします。
ゲーデルのあたりになにか糸口がありそうな匂いはしますが・・・
なんだかトンデモ系に近く言われはじめているようです。
ゲーデルがんばります。