葉山のこの美術館はとてもメジャーなものとは思えない。
前回来たときはアルプ。この人もこういった規模のものは
初めてではないだろうか。
逗子からのんびりとバスに揺られ着いた先はひとけがとても少ない。
だからこそ気持ちよく楽しめるしゆったりと見られる。
ロケーションは素晴らしいと思う。
経営的にはどうなんだろう?しかし、このために税金を払っていると思えば
私は今の税金が惜しくはない。
シュバンクマイエルもたぶん初めてではないかと思う。
クエイ兄弟が師と仰ぐ世界中のアニメーション作家にとって
シュバンクマイエルは特別な存在だろう。
もちろん、日本のアニメシーンとは乖離している。
私は作品における暗さ、原風景とも言えるイメージが大好きであるか
なによりも諧謔に満ちたアニメーション手法に喝采してしまう。
たとえばしょっちゅうでてくる生肉。生肉がコマドリアニメーションになり、
蠢く。肉はもともとは生物であった。それが死せるものとなりそして
彼の手により全く違う創造生物へと変化する姿が面白い。
あえてその過程をふませるというところに私は彼のいたずら心と、地上のあらゆるものに
対する諧謔を感じてしまう。
無生物、生物、無機物、有機物。すべては一体のものであり連続しているのだ。
そう感じることが私にはとても楽しいことなのだ。
前回来たときはアルプ。この人もこういった規模のものは
初めてではないだろうか。
逗子からのんびりとバスに揺られ着いた先はひとけがとても少ない。
だからこそ気持ちよく楽しめるしゆったりと見られる。
ロケーションは素晴らしいと思う。
経営的にはどうなんだろう?しかし、このために税金を払っていると思えば
私は今の税金が惜しくはない。
シュバンクマイエルもたぶん初めてではないかと思う。
クエイ兄弟が師と仰ぐ世界中のアニメーション作家にとって
シュバンクマイエルは特別な存在だろう。
もちろん、日本のアニメシーンとは乖離している。
私は作品における暗さ、原風景とも言えるイメージが大好きであるか
なによりも諧謔に満ちたアニメーション手法に喝采してしまう。
たとえばしょっちゅうでてくる生肉。生肉がコマドリアニメーションになり、
蠢く。肉はもともとは生物であった。それが死せるものとなりそして
彼の手により全く違う創造生物へと変化する姿が面白い。
あえてその過程をふませるというところに私は彼のいたずら心と、地上のあらゆるものに
対する諧謔を感じてしまう。
無生物、生物、無機物、有機物。すべては一体のものであり連続しているのだ。
そう感じることが私にはとても楽しいことなのだ。