散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

小机領子歳観音巡礼「御利益は何だろう?」

2008年05月05日 | ☆横浜じゃん

日本がバブルを経て、一億総拝金主義になったおかげで、御利益を「りえき」と読む人が多くなったに違いない。「旧小机領三十三所観音霊場巡り」もあと1日。今日は朝から原付を飛ばし、我が家から遠方の北部方面を集中的に回った。仏教用語で会話することもあるこの霊場巡りで、御利益(ごりやく)は何だろうか?と考える。様々なお寺を尋ねながら、接待に務める檀家さんとやりとりするうちに、信仰といおうか、人と人の結びつきを仏(観音様)を媒介に、寺を接点として、それも12年に一回のとき、ほぼ1か月の間に縁を結ぶ。接触を拒む巡礼者も少数派、ほとんどが接待で出されるお茶とお菓子をいただきながら会話を交わす。ひたむきに寺を尋ねる心と観音様に出会うことで与えられる平穏、詳しい道案内もなく、赤く小さな幟旗を目当てに、自分の足がまた1歩踏み出せたことの喜びを感ずると同時に、納経帳(集印帳)に押されていく判の数とともに達成感に満たされる。もし、1番札所から33番札所まで本当に歩き通していたらどんな感慨を得られるのだろう。凡人の私にはエベレストに登る力量もないし、南極を横断する度胸もないが、それに匹敵するものを得られるのかもしれない。巡礼が旅行の口実として驚異的に流行った江戸時代も、きっと私と同じ庶民は手軽な割りに根気のいる霊場巡りで得られる御利益が何だったのか?結願が近づくにつれて理解できたんではなかろうか?仕事上では、まったく知らない相手と会話するものの、疲労感はあっても充足感を得ることは稀なのに、住職や檀家さんや巡礼者と交わす会話は新鮮で刺激的なのだから不思議だ。あと1か寺、やっと結願を迎える。


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