この左馬神社は、瀬谷区唯一のサバ神社です。
江戸時代、神仏習合だったころは、
寺院が神社を管理し、祈祷を寺が行いました。
この役を「別当」といいます。
隣接する真言宗西福寺は、橋戸の鎮守・左馬神社のほか、
相沢の鎮守・諏訪神社の別当職を務めていました。
境内地の字地名は「橋戸」。
祭神は左馬頭源義朝
勧請年代不詳。
現在地の西方300mの境川付近に古宮と呼ばれる山林があり、
民俗的な食糧の神として祀られていたが、
鎌倉幕府の郷士で源氏ゆかりの家臣が村人と協力して
橋戸地区に神域を構え源義朝を祭神としたといわれる。
また境川の氾濫洪水を避けるため古宮の地より現在地へ移したとも考えられる。
社殿は嘉永7(1854)年と安政5(1858)年に改築があった。
文久元(1861)年に鋳造した鯖社の鐘があったが戦時中に供出してしまった。
この鐘は当時江戸の鋳物師が神社境内にて鋳造したものと伝えられている。
(中略)
なお昔より子供好きな神として言い伝えられ、
神社内で子供のいたずらを叱った者は神罰が当ると言われていた。
『瀬谷の歴史(宗教編)より』
疫病(新コロナウィルス)の無事な収束を願って、
七サバ参りならぬ、十二サバ参りの六社めサバ神社。
御神体は約8寸高の木造で、金粉塗だったため、ある時代に盗まれて、
近くの竹やぶに捨てられてしまった。
その夜、宮世話人の夢枕に現れたので、
早速見つけ出し、神社に戻したという話があります。
鳥居をくぐると正面は神楽殿で、本殿は南を向いています。
ちなみに、西福寺は西向きです。
扁額「左馬神社」
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