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往時の賑わいを思わせるような広い境内に鎮まっています。
泉区和泉町は、横浜市内最大の面積を持った大きな町でした。
昭和14年に横浜市に合併したときには、鎌倉郡中和田村の大字和泉で、
隣接する中田・上飯田・下飯田で1村を形成していました。
江戸時代、和泉は、さらに上・中・下の3地域で形成されていたようで、
「中之宮左馬神社」は、その名の示す通り「中和泉」にあります。
祭神 左馬頭源ノ満仲 相殿 天照皇大神
勧請年代不詳、源家隆盛のころ奉斎されたと伝えられている。
新編相模風土記稿の和泉村の項に「鯖明神社」とあるのは当社のことで、
往古から「相模七鯖の一社」といわれ、社名を左馬と称していたが、
北条氏の世に訛りて「鯖」としたといわれている。
明治6年12月、和泉唯一の村社に列せられた。『中和田郷土誌より』
疫病(新コロナウィルス)の無事な収束を願って、
七サバ参りならぬ、十二サバ参りのはじめは、
「疫病退散」の張り紙があるこのサバ神社にしました。
扁額「中之宮左馬神社」
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