散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

商店街観光「イセザキ・モール*まち巡り」ツアー(その1)

2015年01月30日 | ☆横浜じゃん

商連かながわ主催の商店街観光ツアー「イセザキ・モール*まち巡り」に行ってきました。

商店の開店時間を基準としている上に、現地集合なので、
集合時間は、ツアーとしては遅めの午前10時。
ある意味、さまざまなところから集まりやすい"プチウォーキングツアー"に初めての参加です。

そんなことも忘れて、つい早めに到着したため、
お決まりのベローチェで、コーヒーゼリー(見出し写真)で小休止。

JR関内駅北口の集合場所へ行ってみると、思いのほか大勢の方が参集していました。
遠路から来られる方もいるらしく、若干、出発案内まで時間がかかります。
その間、駅に貼られている「JR SKISKI」のポスターを眺めていました。
SKISKI って、好き好きとか、キスをもじってるのかな?なんて、
おやじ臭いことを考えながら・・・

今、いろいろなメディアでひっぱりだこの「広瀬すず」さんです。
メタ坊も、この歳になると、流行りにサイクルがある、
もしくは、芸能界には、この次にくるのはコレ、というセオリーみたいなものがあると思います。

目の印象から思い浮かべたのは、石田ひかりさん(1987年デビュー)で、


その前は、富田靖子さん(1983年デビュー)。


つい、話が逸れてしまいました。
さて、参加費の2800円を支払うと、簡単な資料と缶バッジが渡されました。


ほぼ11人のグループ、4班に分かれて出発です。
まず、駅名の「関内」という地域名の由来となった吉田橋を渡ります。


渡り終えると交差点は「伊勢佐木町入り口」です。

横浜シティガイド協会のボランティアガイドさんから、
幕末の横浜開港に伴って、発展しはじめる横浜の簡単な成り立ちの案内がされます。

次にメインゲートの下で、伊勢佐木町商店街の生き字引といわれる「津田さん」から、
伊勢佐木町の変遷についてのお話です。
ちなみに、眼鏡をかけている方は、横浜シティガイド協会前会長の嶋田さん。


まず、幕末に横浜が開港予定地と決まり、港を作るために人足を近郷近在から従事させます。
保土ケ谷宿を経由して、当時沼地だったところの一本道(今の伊勢佐木町通り)を通って、
吉田橋を渡り、埋め立てていき、長崎・出島のような開港場を造っていきます。
開港場には、区域を分けて、日本人商店・外国人商館が立ち並びます。
攘夷(外敵を実力行使で斥ける)思想が強かったため、
吉田橋に関所を設け、侍が佩刀のまま入るのを禁じました。
それが、関内(かんない)・関外(かんがい)と呼ぶ所以です。
伊勢佐木町は「関外」になります。
人や物資の行き来の便のよい、浅間から戸部・野毛を通る「横浜道」が開けます。
関内(現・横浜公園)にあった港崎遊郭が大火で焼失したため、
遊郭が伊勢佐木町2丁目の南側に移転してくるとともに、
集まる人を目当てに商売する店や芝居小屋などが建ち並んでいき、
伊勢佐木町周辺が繁華な街へと発展します。
明治32年の大火事により、今のようなまっすぐな通りと街並みが形成されます。
関東大震災、横浜大空襲、米軍による接収と、いく度か灰燼に帰すこともありましたけれども、
そのたびに、復興を遂げた横浜第一の商店街です。
というお話でした。

それにしても、メインゲートがガンダムっぽいんだけど、
横浜ベイブリッジをイメージしているのかなぁ?


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