雲にかすむ富士山を眺めながら、
この漠然とした不安感はいつなくなるのかと思います。
むかしの人々は、伝染病がなんだかわからず、
ただ次々に病にかかって、バタバタと死んでいく、
怨霊や鬼、虫、疫病神に死神など、
得体の知れないものに恐れをなして日々を暮らしていました。
その恐怖から比べれば、
治療薬がなくても、病の原因がわかっているだけでも、
まだ「良い」方と考えるのは楽天的でしょうか?
開港とともに横浜が外国から日本への表玄関になると、
伝染病は船に乗ってやってきました。
1897(明治30)年に伝染病予防法が制定されます。
コレラ、赤痢、腸チフス、痘瘡、発疹チフス、猩紅熱、ジフテリア、ペスト
8種類が法定伝染病に指定されると、
横浜避病院は横浜市伝染病院と名を変え、
法定伝染病専門病院となり、3年後、万治病院に再び名を変えます。
「横浜疫病史・万治病院の110年」に、
襲い来る伝染病の猛威にどう立ち向かったかが、
詳細に記述されています。
ある日、伝染病入院患者がゼロになります。
すると、縮小・転換の波が押し寄せ、
やがて廃院の日を迎えるのでした。
大正11年の地形図を見ると、
吉田新田から移転した万治病院(赤丸)の周辺には、
A横浜刑務所、B獣類検疫所、C根岸墓地
などが確認できます。
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