龍谷山良長院、曹洞宗の寺で、元は泊浦(泊町又は楠ヶ浦町)にあったものが、横須賀海軍基地拡張に伴って現在地に移転したという。
基地の前身が製鉄所だっただけに、本尊の釈迦三尊像は鉄製だそうで、もしそれが戦時中の金属回収を免れていたとしたら、軍とも深く関わっていたことを示す。
階段を上りかけて左側に、大乗妙典一字一石塔が建っている。
大乗妙典は、法華経、妙法蓮華経をいい、そこに書かれている約7万の文字を、一石につき一文字ずつ書き込んで埋めたことを表す石塔だ。
門をくぐるとまた左手に「横須賀海軍建築部請負工事殉職者弔魂碑」がある。
この碑には、朝鮮出身者の名前らしきものも記されており、海軍基地の拡張工事の過酷さを物語る。
本堂脇には「横須賀鎮守府看護科戦病死者之霊」碑も建っている。
その傍らには、石塔・石仏が並んでいる。
境内には「出世閻魔様」として信仰を集める閻魔堂が建つ。左手奥には本地の地蔵像があり、右手には奪衣婆が座る。
地獄か極楽かを裁く閻魔大王は、
「ウソをつくとエンマ様に舌を抜かれるぞ」と子供心に恐れさせる存在だったが、
「ウソも方便」という、世渡り、場当たり的な大人の世界を知るにつれ、
私の中では恐れるに足らない存在となっていった。
その一方で、横にいる恐ろしげな婆さんの存在は異様だったし、意味も判らなかった。
亡者は、死んで27日目に三途の川を渡らなければならない。
その川を渡るのに、この婆さんから衣服をはぎ取られる。
はぎ取られた衣服が、衣領樹という木の枝にかけられると、生前に積んだ善悪によって、枝がたわみ、川を渡る方法が決められる。
罪深ければ深い川を、軽ければ浅い川を、善行を積んだ人は渡し船に乗って川を越える。
罪が重いとか軽いというのは、ここからきている。
とはいえ、善悪を教え諭すためにある閻魔様と奪衣婆だったとしたら、そこいらじゅうの寺にあってもよさそうなものを、滅多にお目にかかれない。
新宿の太宗寺では、亡者から身ぐるみはぎ取る奪衣婆を、妓楼商売の神様として信仰を集めたといっている。
また、三途の川を、この世とあの世の境界の意味で「関」と考え、そこで取ることから「咳とり」の神様となったという話もある。
閻魔様が嘘を戒め、奪衣婆が衣服(ケガレ)を取り、行く末を定めることから「再生」や「契り」を意味するという説もある。
ここの閻魔様の御利益が「出世」なら、この婆様は何の御利益があるのだろう?
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