瀬谷図書館の裏手に「大門川」という川が流れています。
図書館に行ったついでに散歩すると面白い橋名を発見しました。
「大門川」は、近くにある曹洞宗徳善寺一帯の字名「大門」の地先で、
境川に合流することから呼びならわされて今もある川です。
川というよりも水路のような川幅なためか、
戸別の宅地用通路としての橋がいくつも架かっています。
大門川を横切る公共道路が少ないので、公共的な橋も数えるほどしかありません。
「女橋(おんなはし)」
「男橋(おとこはし)」
今昔マップで明治初期の地形図と照合してみると、
男橋(右上青丸)と女橋(右上赤丸)で、男橋は明治の頃には無かったようです。
左下緑色楕円辺りには、むかし「川口製糸場」がありました。
地図には周辺一帯「桑畑」のマークで埋め尽くされており、養蚕が盛んなことを示しています。
この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
「女橋」と「川口製糸場」、そして「男橋」の名付けの由来はいったい何でしょう?
その上流には「麦之橋」「粟之橋」「栗之橋」と続きます。
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