散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

禅 ZEN

2009年01月21日 | ☆たまに娯楽
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
禅宗曹洞宗の開祖・道元は、只管打坐(しかんたざ)=ただひたすらに坐ることにより、おのれ自身を無にし、さまざまな煩悩・雑念から解放することで悟りを開く法を伝えた。仏は極楽にいる訳でもなく、仏像が仏そのものでもない。仏は一人ひとりの心の中にある。日々、行うべき作務・修行を実践し、自然のあるがままに身をゆだね、坐禅を通じて心を清浄に保つ。映画を観て、そう思った。
福井県にある総本山・永平寺に行ったとき、寺や仏像は遠慮無く撮っても良いが、僧を撮影してもらっては困る。なぜなら、ここで修行している僧は「仏」そのものであるからだ、と説明を受けたことがある。禅問答の一つかと思っていたが、この映画の中で、禅を組む姿を仏の姿にオーバーラップさせていることから、今になって意味が判った気がする。日本仏教には、いろいろな宗派があって、それぞれに拠り所とする教典と教義があるが、それが確立される過程に共通する多くは「生・老・病・死」の苦から解放され、業と欲をどうコントロールしていったらよいのかに尽きるようだ。仏教関係の本を読み込んでいる人に聞いた話では、仏教原典の多くは世界の成り立ちから、生活全般、科学的な修法までに及び、仏教(教典)を極めることは、今のような近代科学が発達するまで、ノーベル賞級の研究をする学者のような存在であるとともに、政策立案者的な地位も意味していたという。それだけに、科学の発達により教典の中の非科学的な部分が否定され、経済の動きが政治動向を決定づける世の中となっては、寺も僧も俗世に翻弄されるか、世人よりも俗にならなければ存在できないようになってしまった、という。おまけに、大乗と小乗の意味も理解して「禅宗」をとらえなければいけない、といわれては、私としては何とも解説のしようがなくなってきた。
映画の中で、偉い坊主なら子どもの病気を治せと要求する母親に対して「弔いを一度も出したことのない家から豆を一粒もらってくるように」と道元が条件を出し、結局、弔いを出さない家など一軒もないことが判り、それにより人は必ず死ぬことと運命には逆らえないことを悟らせるシーンがある。それが道元が言いたかった全てなのかもしれない。世俗にあって「身分」は絶対に超えられない存在としてあった。道元は藤原氏から出た貴種であったから中国への留学僧にもなれたし、六波羅探題の武士に守られ、建仁寺にいることもできた。一方、達磨宗を率いて合流した弟子は後継者になり、中国から慕ってきた弟子は一修行僧として野に下り、女欲が生じた弟子は還俗して元の身分に戻る。時の権力者・北条時頼は、その権力闘争ゆえに倒した者の亡霊に悩まされるが、禅による心のコントロール法を会得することで最大の庇護者となる。そして、道元は死を迎えることになる。
最後に、多くのお坊さんが門から出てくるシーンと、遊女から弟子となった尼が道元が求道のために進んだ中国の草原を歩んでいくシーンは、スポンサーとしての曹洞宗との妥協が生んだカットとしか思えないのは、私に煩悩があるからだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 定額給付金 | トップ | 未来にひらく北仲通 »

コメントを投稿

☆たまに娯楽」カテゴリの最新記事