散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

横浜・一六地蔵の縁日

2010年08月11日 | ☆横浜じゃん

11日。
「今日は一六(いちろく)の縁日だから、行ってみたら・・・」
そう、5月から8月の間、1、6、11、16、21、26と、ひとケタの日が「1」か「6」のつく日に縁日がたつ(31はない)。
場所は、伊勢佐木町7丁目。
中心は、子育地蔵尊。正式には、子育安産地蔵菩薩という。
そのお地蔵様と縁を持つ日なのだ。

明治37年に横浜善光寺別院が創建され、その10年後に地蔵菩薩を安置したという。
関東大震災、横浜大空襲と、被災したにもかかわらず信仰され、寺はなくなったが、子育安産、現世利益を守る地蔵菩薩は祀られ続けた。
一と六のつく日に縁日が行われることから、一六地蔵(いちろくじぞう)と親しみを込めて呼ばれる。



近隣の住民により守られ、住職はいないが、木魚などの仏具があるところをみると、たまには回向しに来るお坊さんもいるらしい。
有名な信州・善光寺は、日本仏教が各宗派に分かれる以前から信仰の対象となっていたため、無宗派とされる。
男尊女卑の世にあって、男女等しく皆極楽浄土へ導くと説いたことから、女性の信者が多いことでも知られる。
また、戦国時代の戦乱の中で、本尊・阿弥陀如来が各地を転々としたことから、善光寺信仰も全国に広がり、宗派もいろいろに「善光寺」や「新善光寺」を称する寺ができた。
横浜善光寺の創建もその一つと考えてもよさそうだ。
中央の地蔵菩薩を守るかのように、閻魔大王を含む十王と、奪衣婆がいる。
となれば、女性を中心とした業に関連した場所との繋がりが考えられ、今に信仰が引き継がれる所以でもありそうだ。


お地蔵様は、右手に錫杖を持ち、左手で嬰児を抱きかかえている。
気にかかるのは、頭の輪が鳴ることで来訪を知らせ、魔物を寄せ付けないために使われる錫杖を地面についている姿ではなく、振り上げようとしている様子が見て取れる点。
何を意味しているのだろう?


さて、縁日につきものの夜店・露店は、数えてみると58店も軒を並べていた。
開店は、夕闇に灯りがともりはじめるころらしく、三々五々準備をしている。
通行止めの車道を背に店を並べているところをみると、ここを仕切っている人はプロではなさそうだ。
「いつも、こんな感じですか?」と尋ねてみると、
「市内でほかに祭があれば、そっちへ行っちゃうね」という。


お好み焼きに、かき氷、ヨーヨーや金魚すくい・・・大体は揃っているものの、祭囃子がないので、縁日らしさの演出が何か物足りなさを感じさせる。
それでも、子ども達がワクワク顔でやってきた。


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