「大和・深見の史跡と下鶴間探訪」ウォークでは、境川沿いを歩きました。
相鉄線の北側から国道246号線まで。
入村橋(いりむらばし)どちらの村に入るから名付けたのでしょう?
次に、深瀬橋(ふかせばし)明らかに深見村と瀬谷村の一字を取って名付けたようです。
中島橋(なかじまはし)ひらがな橋名に濁点がありません。
両岸の字名・中屋敷と島津の一字を取って名付けたようです。
この橋は「銀行橋」と呼ばれていました。
この橋を渡った正面の瀬谷村中屋敷に「瀬谷銀行」が明治40年開業したことによるものです。
東名高速道路のガードをくぐると、上瀬谷橋(かみせやはし)です。やはり濁点がありません。
国道246号線に架かる橋が、大和橋(?)です。
橋が大きいのでひらがな橋名板を確認することが時間的にできませんでした。
ちなみに、信号機には(やまとばし)とローマ字表記がありますが、
決してイコールとはいいきれませんので、また後日判ったらコメントします。
目黒橋(?)は、瀬谷村目黒から下鶴間に向かう道路(瀬谷柏尾線)に架かる橋です。
ひらがな橋名板が盗られたのか、ありませんでした。
さて、深瀬橋のところには「瀬谷本郷公園」があります。
野球グラウンドとテニスコートが主な施設で、芝生のきれいな広場もあります。
ここの指定管理者は「横浜植木」で、さすがに様々な花を咲かせています。
開港した当時、横浜の輸出品目では、お茶と生糸が知られていますが、
「百合根」も上位を占めていました。
日本では食用として育てていたものの、輸出先では花として珍重されました。
横浜植木は、その輸出用百合の栽培で事業を確固たるものにしてきた会社なので、
秋に様々な百合を咲かせることができるという訳です。馥郁としたいい香りがしています。
野球少年ものびのびとストレッチをしていました。
○○橋を平仮名で表記する場合、「はし」とするのが決まりだったそうですが、
若い職員が増えてきて、そういうことも伝承できなっていると言います。
西乃橋は絶対に濁りませんね。
町名を中田+方角+〇丁目に決める際、
地元では呼称の(なかだ)ではないのかと、
物議をかもしたそうで、
その後、開業した市営地下鉄の中田駅は、
地元の意向を受けて(なかだえき)と濁音にしたとか。
そういえば、坂東橋駅が、
(ばんどうばしえき)になったのも、
ひらがな橋名の「ばんどうはし」を採用すると、
アナウンスしたときに違和感があるからとか。
北新横浜駅は、地元の意向を受け、
当初、新横浜北駅という駅名を付けたけれど、
アナウンスで新横浜に着いたと勘違いして降りる人がいたので変更したと聞いたことがあります。