これまで車で通り過ぎていた道を歩いてみると発見があります。
1軒1軒が離れている田舎ならともかく、
1mもなく軒を接する街なかにあって、
外壁が板の、それも時代がかったつくりの家を見つけると、
しばらく立ち止り、懐かしさに、その間取りを想像したりしてみます。
メタ坊が小学生だった昭和30~40年代には、
我が家も、また隣近所も、こんな感じの家が立ち並んでいました。
旧家といわれる地主さんの家になると、それこそ茅葺きでしたっけ。
1959年の建築基準法の改正で、簡易耐火建築物の概念が導入され、
コンクリートブロック造か、不燃材料を用いることが、
住宅金融公庫の融資条件になったことから、
外壁に板を用いる家は姿を消していきました。
瀬谷区や旭区は、高度経済成長に伴う横浜のベッドタウンとして発展したところです。
戦後の公営住宅いわゆる文化住宅も大量に建設され、
人口増に伴い昭和44年に同時に分区独立もしています。
その当時に住み始めただろうと思われる方の家は、
10m×10m=100平mという初期建築基準法の理想の敷地面積で造成されています。
その名残をこういう形で増築している家も見つけました。
大阪地震で基準に満たないブロック塀の存在が明らかにされましたが、
土留めの擁壁にしても、
ブロックや大谷石、丸石、鉄筋生コンなど時代に従って、
徐々に基準が厳しくなっていった歴史を知ることができます。
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