散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

神様のカルテ

2011年08月27日 | ☆たまに娯楽

この作品は、くれぐれも原作を読んでから行ったほうがいい。

今村昌平監督だったか、山田洋次監督だったか、とにかく名のある映画監督が、オリジナルのシナリオで映画の制作ができなくなりつつある映画界の取り巻く状況を憂いていた。
小説ならまだしも、マンガが原作の映画化は、映画界が衰退する恐れがあるといっていた。
嵐の桜井翔さんが主演を務めることもあって、宣伝は徹底しているし、妻役に宮あおいさんを起用したことも手伝って、生命保険のアフラックやカメラのミノルタがスポンサーとして積極的に露出することはやむをえまい。
商業的に成り立たせようとする映画制作方法の見本のように見えた。

それにしても、深川栄洋監督は、結婚生活を知らないような気がしてならない。
桜井さん演ずる青年医師・栗原一止と、宮さん演ずる風景写真家・榛名は、夫婦というよりも、下宿の同居人といった感じがする。
お互いの仕事柄、すれ違いが多く、一止が夏目漱石の愛読家で古風な思考を持っているにしても、二人の間に「愛」を感じさせる何かが足りない。
また、医師のおかれている状況はハンパじゃないから、机の上や部屋の中の雑然とした様相は現実味を帯びているけれど、個性ある出演者が勢揃いし、無理な注文が出せなかったのか、みな衣装にしろ道具にしろ、真新しくて、生活感がないところも気にかかる。
特に、勤務を終えて帰ってくる御岳荘は、やすらぎの場所として、重要なポイントなのだろうけれど、事情を知らない人から見れば、なぜ御岳荘のシーンを多分に盛り込まなくてはならないのか理解できない。
その意味で原作を読み込んでから、映画を見に行くべきだろう。

本屋大賞を受賞したベストセラー小説だからといって、みんな読んでいるとは限らない。
原作を読まなければ、意味の判らない映画づくりは、また大衆の映画離れの一因となるに違いない。
加賀まりこさんや柄本明さんの演技力といおうか存在感はあるから、いるだけで絵になる。
それに、最近の要潤さんには、何か惹き付けるオーラのようなものが出てきた。
池脇千鶴さんをチョイ役に使うのもいかがなものかと思う。
号泣するかもしれないという心づもりで行ったけど、ちょっとウルウル程度だった。
それは、私だけの感想ではないのは、エンドロールが終わって、まわりの客席を見回しても実感できた。
やっぱり、嵐ファンのための映画なのだ。
桜井さんのキャラそのままに演じているだけに、終始「遠慮している」感じがする・・・抑えた演技とみるべきなのかな?


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