散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

東京葛飾柴又散歩3

2010年02月08日 | ★メタ坊タウン情報

帝釈天(たいしゃくてん)といえば、柴又を意味すると言うほど有名なところ。
正式名称は、経栄山題経寺といい、日蓮宗の寺で江戸時代初期に開創されたと伝えられる。
9世住職の日敬は、長年行方不明となっていた宗祖・日蓮が自ら刻したと伝わる「帝釈天の板本尊」を発見、それが庚申の日であったことから、以来縁日を庚申の日とさだめた。
天明の大飢饉のとき、日敬自ら板本尊を背負って、飢えや病に苦しむ人々に拝ませたところ、不思議な効験があったので、特に信仰が広まったという。


仏教における仏の教えや心をビジュアル化したもの、仏教世界を表現するためのシンボルが仏像で、中でも「天部」に属する仏は、仏教よりも古くからあったバラモン教の天国を支配する神々が仏に帰依したことにより仏法の守護神になったとされている。
つまり、釈迦如来(しゃかにょらい=ブッダ)の守護神が、バラモン教の最高神である梵天(ぼんてん)と帝釈天という訳だ。
帝釈天は、武勇で悪を退治する英雄神で、象にまたがり、甲冑をつけて手に金剛杵を持つスタイルで、あらゆる自然現象を支配し、四天王を配下に置く。
帝釈天が人間界に四天王を送り、善悪を報告させるという教えから、以前、節分の際に説明した「庚申待ち」という信仰が生まれたともいわれている。
ちなみに、下の仏は、同じ象にのる仏でも、普賢菩薩なので悪しからず。


このような精緻な彫刻が帝釈堂のぐるりに施されている。
日蓮宗の根本という法華経で説かれる説話を題材にして彫刻されており、ひとつひとつ見ていても、かなり時間がかかるほど、よく彫りこまれている。


彫刻ギャラリーとして、有料拝観となっているが、その料金には隣接する大客殿と邃渓園(すいけいえん)という庭園の見学も含まれている。
庭園には回廊がめぐらされているので、庭におりられなくても十分に見ることが可能だ。


途中には、給茶器が設置されているので、お茶を飲みながらベンチでゆっくり庭園を眺めるのもいいかもしれない。
また、御神水が流れているところもあるので、お持ち帰りしたい方はペットボトルを持参しよう。


題経寺の裏手へ5分ほど歩くと、寅さんの映画や金八先生のテレビドラマなどでよく見かける江戸川の河川敷に出る。
とにかく広い。
もともと渡良瀬川の下流域だったものを、人工水路で利根川とつなげたことで、霞ヶ浦や銚子と江戸が直結することになり、北関東や東北の物資を運ぶ水運として栄えた。


河川敷に下りていくと、歌謡曲で大ヒットを飛ばした「矢切の渡し」がある。
冬の間は、土日しか運行していないし、対岸にはあまり見るものがないためか、ほとんど往復して帰るそうだ。
残念ながら、この日は営業していなかった。
しかし、ここを一躍有名にしたのは、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」である。


たまたま、1981年作品、松田聖子主演「野菊の墓」の映画があったので・・・
矢切の渡しへ、民子(松田聖子)が政夫を迎えに来たところ、写真右の瞽女(ごぜ)は、叶和貴子。


瞽女に傘を貸したために政夫と相合い傘になり、それがきっかけで、2人は引き裂かれることになる。


政夫が中学へ入学するのを渡し場まで見送りに行く。写真右の女中は、樹木希林。


そして、遠く去っていく舟を無言で見送る。その後、民子に縁談話が出、政夫のくれた手紙を握りしめたまま、嫁ぎ先で病死してしまう。


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